第4回 ヨーロッパ音楽研修旅行
Vielen Dank! Unser Freund! その2
5/2 イムスハウゼンからドレスデン、シルギスヴァルデへ
寸言
イムスハウゼンでの4日間の滞在を終え、東に向かい出発する朝、バスの中でみんなウキウキしていた。それは遠足のバスが出るのを待つ気分だった。
そんなとき、滞在中の食事の支度をしてくれた婦人の名前がシュザンヌと聞き、フォスターのオー・スザンナを誰かが歌いだし、数人が和した。「オー・スザンナ」のくだりで異様に張り切る始末。
バスが出る時、シュザンヌは来なかった。(Y.S.)
ドレスデン経由シルギスヴァルデへ
今日でいよいよイムスハウゼンともお別れ。普段より少し早く、6:45から朝食。質素ながら、パンもバターもジャムもハムもいつものように美味しくて、最後の食事を感謝をこめていただく。8:00、特にアクシデントもなく予定通り出発。今日は大移動、イムスハウゼンの皆さんが見送ってくださった。さようなら!今年も素晴らしいひとときをありがとう。
アイゼナハのサービスエリアで昼食をとる。バイキング形式、予算はひとり10ユーロぐらいなんて言っていたけど、結構高くて、しっかり食べたかった人は超過気味。私はちょっとした野菜にビールを飲んで良い気分。ビール好きにはドイツはやっぱり嬉しい。だって美味しいし安いんだもの。お水の方が高いぐらい。今日は長距離移動のため、バスにトイレがついている。食事から戻り、シュッパーツ、となって数人がいそいそと出入り。鍵をかけると照明が点くようになっているんだけど、わからず扉を閉める前にスイッチを探す人、水を流すためのペダルの位置や手洗いの水の出し方が分からない人などなど、すったもんだ、ひと笑い。途中東ドイツに入ったところで、10年前に来たときよりも道路や町並みが格段にきれいになったとの解説がありました。
ドレスデンの三時間
13時過ぎにドレスデン着。ここで3時間ほどの長い休憩。素晴らしいお天気で陽射しが強く、むちゃくちゃ暑い!この旅行でもっとも暑かった日じゃないかな。エルベ川がゆったり流れ、アイスクリームを食べながら川辺を散歩したり、マイセン磁器を眺めたり。ドレスデンは16世紀以降に芸術と文化の都となり、エルベのフィレンツェと呼ばれた町。第ニ次大戦末期に壊滅的な攻撃を受け、今も傷跡がたくさん残ります。でも最近やっと町のシンボルであるフラウエン教会の修復がほぼ終わり、再建が進みつつあります。10年前に来たときに教会の姿はなかったとのことで、それを知る人たちは感激もひとしおのようでした。15時から教会にて再建までのスライドを見て、瓦礫の山の中からの気の遠くなるような作業を知り、本当によくやったものだと敬服。
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左:ドレスデンで3時間ほど休憩、右:戦争の傷跡が残る
シルギスヴァルデ
そしていよいよシルギスヴァルデに入りました。18:45ホテル着、すぐに着替えて近くのヘレッチさんの教会へ交換会に。教会の方たちが用意してくださった山盛りの料理(本当においしかったですね)と飲み物、そして素晴らしい歌で迎えてくださり、一同感激! とにかく声量に圧倒され、当然だけどドイツ語はちゃんとしてるし、ものすごいパワー。食事タイムとなったものの英語がまったく通じない。ドイツ語単語集とスケッチブックを手に、町の歴史のこと、ドイツと日本の食べ物のこと、気候のこと、この旅のこと、家の造りのこと・・・いろいろな話が出来ました。村の人口は3000人、そのうち80%がカトリックだそうで、日本は1億1千万のうち、クリスチャン人口が1%にも満たないと話したら驚いていました。
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左:山盛りの料理、右:教会の方とConfitemini Dominoを歌う
日本語の歌を歌う
教会の方たちと「UBI CARITAS」を一緒に歌い、私たちは「しあわせなかたマリア」「谷川の水」「赤とんぼ」を歌いました。日本語の曲を紹介するのですが、赤とんぼをドイツ語で説明できる人が誰もない・・・そこで絵を描いて説明。「ああー、わかるわ!」とのことだったけれど、真実は不明。かげろうか何かと思われたもしれません。シルギスの方たちについ影響されて(対抗して)大きな声になってしまいそうなところに、橋本先生がしきりに口にひとさし指を当てて「もっと小さく!」との指示。温かい人々に囲まれ、食べて、歌い、おしゃべりして、楽しい夜でした。
朝は自転車で、この町独特な家の造りを眺めながら教会まで出かけました。お天気もよく静かな朝にオルガンの音が響き、清々しく気持ちのいい朝でした。そしてシルギスヴァルデを後に、一行はポーランドへ向かったのでした。(記録者:T.N.)
5/3 シルギスヴァルデからブレスラウへ
シルギスヴァルデ散策
バスの出発まで時間の余裕があったので、シルギスヴァルデの街を歩くことにしました。地図もなく、川の流れをたよりに知らない町を歩くなんて、小さな冒険をしている気分です。川沿いをしばらく歩き続け、シルギスヴァルデの町の中心部にある石の橋までやってきました。
町役場や商店が並んでいる通りから見上げると、ゆうべのカトリック教会がすぐ目の前。階段を上った先が教会の正面入り口でした。聖堂に入って、内部を見ることができました。結局、私たちは教会の立っている小高い丘のふもとを流れるSpree川に沿って歩き、一回りして出発地点に戻って来たというわけでした。素晴らしいお天気で、美しい緑の中、ちょっぴり冒険気分も味わえて、気持よい朝の散策でした。
国境
バスの出発は9:00。アウトバーンを走ってポーランドとの国境に10時少し前に到着。2人の若い役人(兵士?)がバスに乗りこんできて(映画の一場面みたい!)ひとりひとりパスポートの顔写真と実物とを見比べながらパスポートを集めます。それから待つこと30分。丁寧にドイツ出国とポーランド入国のスタンプが押されたパスポートが戻ってきました。バスに乗って国境を通るのでスタンプには自動車のマークがありました。(そう言えば、空港では飛行機のマークのついた入国スタンプが押されます。)
さて、パスポートが戻ってきたので、もう出発できるのかと思ったらとんでもない!国境を通るための書類を提出するために、事務所のような建物に行った人達がなかなか帰ってきません。その間、会計の方たちはユーロからポーランド通貨ズオーティーへと両替を完了。バスが国境検問所に停車してから1時間50分経過。やっとのことで入国手続きが終了。橋本先生のお話では、書類にゆっくり書きこむ。数字の読み方をいちいち訊く。全員の名前をそれぞれ確認。スタンプを押すのにも定規できちんとはかっていたのではないか(ええーまさか?)とのことでした。
国境からブレスラウへ
国境を越えてからの風景はドイツの田舎の風景とそれほど変わりませんが、家々がドイツの家ほど手入れが行き届いていないような印象でした。ヘレッチさんのお話では、そのあたり=低シュレージア地方はもとドイツ領だったので、ドイツ人の技術によるセラミック産業が盛んだったそうです。戦後ドイツ人がドイツへと強制移住させられてから途絶えていたそのセラミック技術は、最近資料が発見されたために復興して、今では磁器の名産地となっているそうです。
また、途中に、13世紀にモンゴル軍とドイツ・ポーランド諸侯連合軍との激烈な戦いのあったヴァールシュタット(死体の山)を通りました。町に寄ると教会では大勢の人々がお祈りを唱えていましたが、この町だけでなく、ポーランド側に来てから、町や村で大人も子供も外に出ているのがバスから見えて、今日は学校お休み?休日なの?と不思議でなりませんでした。広場には人が大勢いるので、今日は休日なのかと尋ねると、"Constitution Holiday"という答え。まあ日本と同じなの!ポーランドでも5月3日が憲法記念日の祝日とは!道理で人出が多いわけですし、あちこちにポーランド国旗がはためいていたわけです。
ブレスラウの町
1:30頃ブレスラウ到着。昼食をとるため、広場に面したカフェ風の店に腰を落ち着けることになりました。飲み物と全員同じバゲットサンドイッチを注文。飲み物はすぐに来たものの、サンドイッチはなかなか現れません。私たちが座ったのはパラソルの立ててある外のテーブルだったのですが、どこからともなく酔っ払いのおじさんが現れ、ぶつぶつ何か言いながらしつこく私たちに接近してきて、男性店員がやっとのことで追い払うという出来事もありました。「ヒロシマ」「ナガサキ」「ヤマト」などの単語が聞き取れましたが、私たちが日本人だと分かってそう言ったのでしょう。
腰をおろしてから50分ほどたって、やっとバゲットサンドイッチが現れました。皆おなかが空いていたのでもぐもぐぱくぱく頬張るけれど、何しろ大きくて平らげるのは大変!一部残して持ち帰る女性もいました。サンドイッチを待っているうちに、雲行きがあやしくなり、大粒の雨が降ってきました。さっきまであんなに晴れていたのに・・・。でも、せっかくブレスラウに来たのですから、食事の後、広場の向かい側の歴史あるエリザベート教会を見に行きました。内部にはポーランド出身のヨハネ・パウロ2世の胸像があり、花が沢山供えられていたのは、亡くなられたばかりだったからでしょう。雨が降り続くなか、ヘレッチさんと数人はゴシック建築の市庁舎を外から見物。バスが駐車していた場所とオドラ(オーデル)川をはさんでちょうど真向かいにあったブレスラウ大学も美しい建物でした。4時20分にブレスラウを出発し、アンナベルク修道院に到着したのは6時40分でした。(記録者:H.S.)
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左:広場で昼食、右:美しいブレスラウ大学
5/4 ブレスラウからクラクフ、アウシュビッツへ
クラカウからアウシュビッツへ
7時に朝食に下りてゆく。建物の天井が高く、まわりに樹木も多いせいか、うす暗い。冷気が、石の壁から押し寄せてくる。霧がでているらしい。朝のお祈りに行ってきた人たちが少し遅れて入ってくる。前夜案内して頂いた小高い丘の上に建つ礼拝堂に行きたかったけれど、雨で道がとてもすべりやすかったので我慢した。巡礼者のお祈りの場所として、丘の中腹に石の祠がいくつも点在して、ローソクの灯りが何本も瞬いていたのが印象的だった。8時にバスで出発。11時、ヘレッチさんの知人のドクター ジッダさんと落ち合う。「ようこそ、クラカウへ。数週間、降らなかったこの雨を、私はよろこぶべきか、悲しむべきか」と挨拶される。
クラカウにて
ポーランドは、前日の憲法記念日もあって多くの人で賑わっているが、なにしろ雨のなかとても歩きにくい。やがて通訳として、ポーランド人のマヤさん(お名前が聴きとれず、日本でマヤと呼ばれていましたとの事でそうよぶが)が現われる。日本に留学して慶應で学んだというとてもチャーミングな若い女性。聖マリア教会をはじめ、旧市街を案内して頂く。クラカウが、プラハ、ウィーンと並んでヨーロッパの文化の中心だった14〜16世紀。その後、強国の間で翻弄され、国がなくなってしまうという過酷な経験もしたポーランド。国ってなんだろう。民族、言葉、歴史がからみあって。日本のような島国にいる者にとっては想像もつかない。もし中国や韓国と併合されるというような事が、歴史上起こったとしたら、と考えると、民族の独自性というか、それぞれの存在の大きさはどこから来るのかと、マヤさんの白い少女のような美しい顔を見ながら考えてしまう。陸続きで国境を接しているって、どんなに怖いことだろうか。
1時に昼食。今日は、全ヨーロッパのユダヤ人が集って、お祈りする特別な日なので、アウシュビッツ見学は許されないかもしれないとの事で、予定がなかなかはっきりしなかったが、3時半になってやっと見通しがたち、行くことになる。マヤさんとはここでお別れ。ドクター車の先導で、一路、夕暮れの道をアウシュビッツへ。
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左:ガイドを務めてくださったジッダ先生とマヤさん、右:クラカウ織物会館(一階は土産物屋街)
アウシュビッツにて
アウシュビッツは、おだやかな町のたたずまいから、いきなり境界の中へ、という感じ。
生と死のわかれ目とも知らず、ここを越えた多くの人をおもって胸が痛かった。建物が幾棟も並んでいて、何気なく入ると、そこには長い長いガラスのショーケース、部屋の端まで10m以上続く中に、一部、編みかけ、また織りかけと思われる髪の毛の山。また別の棟では、赤ちゃんのものから、大人のものまで男女を問わず、ほとんど片方ずつしか見当たらない靴、くつ、クツの山脈。これを履いてここに連れてこられた一人一人の断ち切られた生、その重さに押しつぶされそうになる。あまりになんでもなく、コルベ神父の最後をすごされた部屋があり、ガス室がある。まるで中庭のブランコのように、逃げた人の身代わりに吊るされたという木の枠がある。
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左:ガラスのショーケース、右:コルベ神父の最後の部屋
アンナベルクに戻る
閉館時間に急かされ、重い心を抱いて、この地を後にする。夕暮れの道を寡黙な私たちを乗せて、バスはひた走る。途中の別れ道で、先導してくださったドクタージッダの車が去っていく。夜7時、まだ辺りは明るい。道端のマリア様に花が一杯、供えられている。西に向かうまっすぐな道。真赤な夕日がバスの正面に沈もうとしている。ときに窓ガラスに写った落日が、ふたつに見えたりもする。8時。遂に日が沈む。それでもまだ白夜というような白を多く含んだ明るさ。暮れなずむ淡いブルーと茜色の空に、バスだけが灯りをともして向かっていく。9時30分、やっとアンナベルクの宿に到着。明日はいよいよウィーン。夜のうちに宿泊費の精算を済ませなければならず、食事もそこそこに事務室へ。
修道院だったというこの建物は、外側から見てもその全体像が見えないほど堂々たる大きさで、天井も高く、迷子になった話やエレベーターに閉じこめられた話が、さもありなんと思われる立派な建築物で、博物館のよう。しかも、東京の明るすぎる夜に慣れた目にはとても暗くスリ足ですすむ。ドアが開くと、そこから洩れる赤っぽい灯りが、四角に切りとられたようで、中世の巡礼者は、やっと辿りついて炉端の灯りにどんなにホッとしたことだろうと想像をたくましくする。
大柄なシスターがパソコンにむかっている。その辺りだけが明るくて、部屋の四隅は闇に閉ざされている。パチパチとソロバンならぬパソコンをはじいて、「あっ、ワインを忘れていました」と入れ直し、あざやかな手さばきでズォーティもユーロも数え、「おつりは、これでいいですね」とワインを差し出され、「明細書は明朝お渡しします」で幕。ズォーティからユーロへの細かい換算など覗く暇もない。中身の濃い一日でした。明朝の出発のため、荷物を詰めなければならない。「お疲れさま、ではまたあした、おやすみなさい」と、それぞれの部屋に急いだ。 (記録者:M.W.)
寸言
アウシュビッツの帰り道、我々のバスの前に大きなトレーラーが割り込んできた。これが遅い。
しばらく我慢していたが、やがて見通しのよい1本道で追越をかけた。抜き去ると皆でやんやの喝采。アウシュビッツで受けたやりきれない衝撃を忘れてしまった。
突然の拍手に後ろを振り返った運転手のRolfは嬉しそうだった。(Y.S.)
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アンナベルグ巡礼者宿泊所前で始めての全員写真を撮る。
3日間お世話になったヘレッチさんともお別れだ。ご機嫌よう、又逢う日まで!!
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イムスハウゼンを後にする
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シルギスヴァルデで泊まったホテル
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ヘレッチさんの教会
国境を越えてポーランドへ・・・
ポーランド・ブレスラウ
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クラカウの聖マリア大聖堂
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ヨハネ・パウロ2世の死を悼んで市民が花を・・・
アウシュヴィッツ
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「働けば自由になれる」
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死の壁
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アンナベルクでの夕食
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