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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2003年4月10日

その5 フィリピンで見たこと、感じたこと レポート1

03年2月6日〜12日、6泊7日、アサ−ティブジャパン(以下Aj)主催のスタディツアーに参加した。総勢女性ばかり13名、NPO王国と言われるほどNPOが盛んな国で4つのNPOを訪問し話を伺ったり、討議したり、ワークショップに参加するなど盛だくさんの7日間だった。

少しずつ、見たこと感じたことをこのHPでご紹介していきます。


【右が私、左はメンバーの早苗さん 今回このHP改訂を手伝ってくれました】

<浅からぬ?フィリピンと私の縁>

 今回のツアーはマニラとその郊外の町とリゾートの海へ行った。実はマニラは確か今回で4回目。10年も前のこと、当時のボーイフレンドがなぜか「フィリピン大好き人間」で休暇のたびに続けて遊びに行ったことがある。文字通り遊びの旅行だったので、おしゃれなマカテー(銀座のような感じ)やキアポ(下町)の教会、中華街、そしてマニラ湾の夕日位しか印象に残っていないが。今回あらためて一人で歩いてみて「これらはほんのマニラの一部にすぎない」ことが実感できた。

 もう1つの縁は私の兄(アメリカ在住)の再婚相手がフィリピンの女性であること。数年前に再婚して何度も会っていて、とてもやさしい陽気な女性である。
いつか「フィリピンからここ(アメリカ)に至るまでどんな人生を歩んできたのですか?」と聞いたことがあった。一瞬彼女はいいよどんで「イッツ ア ロング ロング ストーリー」と答えたのでそれ以上は聞けなかった。

そんなわけで、多少の懐かしさと興味もあって参加した旅であった。


【BUBIのメンバー Rさん。後ろに見えるのは彼女の養豚場。無担保融資を受 け、家族で養豚場を経営。 穏やかだけど、カッコたる姿勢・発言が心に残っている。夫を亡くした後、この仕事で生計をたて4人の子供を育てた。】

<目の当たりにした経済格差>

到着したその日ツアーリーダー・AJのSさんから「1週間、1万円両替すれば、十分です」といわれた。その通りだった。食事(もちろん、贅沢でないが美味しい町のレストランでの)と可愛らしいサンダルを2足買ってもおつりがきた。

 最初の夜、偶然にもホテルの側に文化センターがあったのでコンサートに行った。チケット料金は600ペソ(日本円で約1500円)で、日本の4/1の価格であった。そのときはあまり実感できなかったが、聴衆はいわばフィリピンの超金持ち階級。ドレスやスーツを着飾ってマナーもいい。こちらが気後れするほど、堂々としている。多くが華僑(中国系)、白人。前の方にカトリックのシスターが数人いたのも印象的だった。あとで「月600ペソで生活している人も多くいる」とわかった。

 旅の終わりに、「最後のマニラ湾の夕日」を眺めていたとき 次の光景を目撃した。身奇麗なカップルが 自分たちの食べ残しを ぐそばにいた身なりの質素な男性にごく自然にトレーごと手渡した。その男性は全く動じないで、ごく当たり前のように受け取ってそれを食べた。つい日本なら「ごみ箱をあさるホームレス」と想像してしまったが、この国では「豊かな人が貧しい人に与える」のは、それもストレートに、これが「当たり前」なのだ、と納得してしまった。

 帰りのマニラ空港でも たくさんの若い女性(日本への出稼ぎ)がロビーに溢れていた。多くの人が6ヶ月のビザで働き、また帰ってくるとのことだ。
日本との物価格差、フィリピン国内での貧富の差が 現実の場面で迫ってきた。


【BUBIの融資で 村で雑貨屋と焼き鳥のお店をやっている女性(中央左)。すっごく明るい人。右のおしゃれな女性はBUBIのスタッフ。 時々、お店がうまくいっているかどうか 視察にくるとのこと。】


【お店の前で全員集合。美味しいビーフンと焼き鳥をごちそうになったが「今度 きたとき お金を払ってね」と 全くお金を受け取らなかった。本当の意味でのホスピタリティを実感した。】

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