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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2006年1月1日

2.花火のような1日 −忠臣蔵の舞台に立った−




 2005年12月13日は私の生涯でもおそらく忘れられない日になるだろう。そして、ここ数年のうちで 最も長い1日だった。

 あの文京シビックホールの大舞台に、立ったのだ。しかも 最前列!!で。演目はあの「忠臣蔵」人間国宝の講談師一龍斎貞水さんそして和太鼓・三味線・笛の生演奏さらにジャズダンスのコラボレーションという、ものすごい大掛かりなもの。10月下旬の「文京区報」で出演者募集という記事にひかれて、申し込んだ。


募集が掲載された区報ぶんきょう


 11月の初めに 第1回の顔合わせ、そして12月の初めに4日間の特訓。それだけで、当日の本番に投入した。12月12日、前日の舞台稽古からすでに 心も体もハイ状態。当日は「殺陣の仕上げ」もあって 11:00集合。
通し稽古、その後は衣装・メイキャップもして本番と同じゲネプロ。やっと、本番の出番は午後8:00をまわっていた。
6:30開演だったが、わたしたちのジャズダンスは2幕から。それまで、楽屋で寝転んだりしても、落ち着かない。とうとう、舞台の袖で、貞水さんの講談を聞きながら、静かに集中力を高めつつ、出番を待つことにした。


 ものすごい光の中で、本番が始まった。客席を通って一気に舞台に駆け上がった。もう、それはまるで花火のような一瞬の出来事だった。

 47人の赤穂浪士が討ち入り前の緊張と決意のダンス、そして立ち回り、最後に吉良を討ち取ってからの喜びのダンス。たぶん わたしが舞台にいたのは。正味15分?くらい。

 友人が数名、見に来てくれた。「すごくよかった。揃っていたよ、手先まで伸びていた、目がぜんぜん泳いでいなかったね、さすが腰が据わっていた、すごく練習したでしょ」など 賞賛の声・メールをもらって、眠れない夜だった。

 一緒に殺陣を組んだKさんと泉岳寺まで 赤穂浪士のお墓参りにもいった。その足で、本所の吉良邸跡(今は小さな公園になっていた)にも行った。参加した文京区民有志で打ち上げをした。そのとき誰かが言った言葉「本当にできる人というのは、腰が低いですね。貞水師匠もジャズダンスのトップダンサーのMさんも、ぜんぜん 威張らない、すごいなあ、一流の人というのは」−まったく 同感。

 何よりも、短い時間で密度の濃い<ものを作る場>に参画できたことは、言葉では言い尽くせない経験だった。自ら手を上げて参加した文京区民は約20名。誰ひとり、誰かとつるんで参加、、という人がいない。家族や友人にも黙って、、という人が多かった。
性別、年齢もさまざま。でも みんな一生懸命、ギリギリまでダンスのステップを舞台の袖で練習していた。

 2005年の中で12月13日という日は 特別にわたしの中で輝いている。私が参加したきっかけ!? 実は私、12月14日― ずーっと子供の頃から「赤穂浪士 討ち入りの日」と言われたその日に生まれたから。

 



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