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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2006年3月21日

2.<谷間の百合>の物語


 出張からの帰り、上野駅からタクシーにのった。「B区のN町までお願いします」と行く先を告げたら、「ああ、あのレスランのそばですね」と運転手さんに言われた。「レストラン?そんな有名なレストランがあるのですか?」と訊いたら、「最近 よく無線で呼ばれるんですよ」という。― そんなお店ができたとは?私は、まだ知らなかった。

 しばらくして、ある日曜日の昼下がり、ここかな?と思って探検に出かけた。そこは住宅街の路地の突き当たりで、普通の家の門柱に小さなフランス国旗が出ていた。ピンポーンと呼び鈴を押してみた。「あのー、こちらはレストランですか?」と問いかけたら「はい そうです」と女性の声。ややあって、女主人と思われる女性が「どうぞ、おあがりください」と、招き入れてくれた。

 その日はお店がお休みらしく、テーブルには真っ白なクロスがかかっていて、隅のテーブルには磨きこまれたワイングラスが並べてある。「お休みの日に申し訳ありません」と詫びると、「いいえ、せっかくお訪ねいただいたのですから 中をご覧いただきたいと思いまして、、」という。そして、冷えたシャンペンを私と一緒に行ったボーイフレンドにも出してくれた。
「あのー メニューを 拝見していいですか」とお願いして見せてもらった。私とボーイフレンドは思わず顔を見合わせた。高い!! とても 気軽にランチというお値段ではない。思わず「どういう方々がお客様でいらっしゃるのかしら。とても 私たちには、、高級すぎて、、」といったら、すかさず「お二人のような方に来ていただきたいのです」と私たちを見て、きっぱりと言う。

 それから、何度 行っただろう。もちろん、度々は行けない。2ヶ月か3ヶ月に一度位、大切な時間をすごしたいとき、このお店にふさわしい人と行った。いつも「お願いだから、絶対おしゃれしてきてね」と相手に念を押すのを忘れなかった。

 およそ、100年はたっていると思われる木造の日本家屋。それがなぜか、フランス料理にマッチして、不思議な空間を作りだしている。もともとは住まいだったが、ここへ結婚してから住むようになったR子さんが、「谷間の百合のように、住宅街にひっそりとあるこの場所でレストランを開きたい」と始めたという。古い家のたたずまいをできるだけ活かして、照明も控えめ。音楽はかけない、音もない。夜はひっそりとした隠れ家のような雰囲気だが、昼下がりの時間はベランダから木漏れ日がはいり、なんともいえない静謐な空間。いつも、わたしの大好きな真っ白な大きな百合・カサブランカが活けてある。

 ここを紹介した友人は誰もが気に入ってくれた。私はR子さんとはすっかり打ち解けた間柄になり、さながら強力なサポーターという気持ちがあった。でも、わたしが訪れたときたいていは、私たちの他に1組か2組のお客様だけで「経営は大丈夫かしら」と気をもんでいた。
やがて、、お料理と建物の雰囲気が評判になり、雑誌などにもとりあげられるようになった。


     
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 「ああこれで安心、このお店もこの街になじんできたなあ」と思い、わたしもやや足が遠のいていた。1年くらい、行かなかったかもしれない。

 ある日、その路地の前に大きなトラックが止まっていた。―― なんと、あの素晴らしい家が跡形もなくなっている。なぜ? どうしたのかしら? 

 大切な人、素敵な友人たちと過ごした夢のようなあの空間が、まるっきり姿を消していた。R子さんは一体 どこへ行ってしまったのだろう?
10年前にはじめて、一緒に探検しにいったボーイフレンドとは もう会っていない。

 形のあるものはいつの日かなくなる。出会いがあれば、別れがいつか来る。そういう当たり前のことが、この<谷間の百合>でリアルに私に迫ってきた。そして、だからこそ思い出は心の中で生き続けている、ということも。



 わたしの住まいから歩いて数分のところに<谷間の百合>という名前のレストランが、かって ありました。ここにまつわる 私の思い出を書きました。






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