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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2006年9月3日

1.32歳のアメリカ体験― 自己表現の原点


友人Sさんから自身の大学の卒論「キャリアの交差点」を書くにあたって、インタビューを受けた。

以下は その一部である。30代の始めにアメリカに行った前後の気持ちが、なんだか懐かしい。そしてこのときの体験が、今わたしが「自己表現」に拘っている原点でもあるようにも思われた。



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 私が32歳のとき、正直働きすぎてクタクタに疲れた。疲れちゃったなと立ち止まった自分がいた。
 当時いたのはコンサルタント会社。ものすごく稼いだという実感がある。「こんな若い女性に20万出す会社がどこにある!!」などと、当時の上司にも怒鳴られたけど、どうにもヘトヘトだった。今から20年以上前のこと。

 こんなハードな働き方では持たないと考えた。それでダメモトと「1年間休暇をください」と、申し出た。「疲れました、勉強もしてきたい」と。
 「1年じゃ無理、半年にマケロ」と言われて会社を辞めないまま、アメリカへ行った。正直、とりあえず半年でも行ってしまえばこっちのもんだ、もっとアメリカに居たくなったら会社は辞めればいいと若かったし体力はあるし、ある意味ではいいかげん、投げやりな気持ちになっていた。




 そのアメリカの半年間で得たもの。
 大げさにいうと、英語圏の考え方みたいなものを少し理解したことだろうか。
 もうひとつは、青い鳥はどこにもいない、むしろ自分の身近なところにいる青い鳥に気づくべきだと私なりに納得できた。
 海外に行ったらバラ色の何かがあって、素敵な男性がいてと期待したけど、素敵な男性にも会ったけど、そこで何かが起きたわけではない。今が苦しいからと、そこから逃げてどこかへ行っても、やっぱり青い鳥はいないなと。英語ではくやしい思いをした。それは英語を勉強するバネにはなった。

 そして英語圏のものの考え方というのは、今私が専門にしている「自己表現」につながっている。
 日本の家では、照明が明るすぎるとも気づいた。アメリカのほとんどの家庭ではこんなに天井から眩しい光を当てないで、ダウンライトがあるくらい。
 そこでは私は、夜になるととたんに、コミュニケーションが取れなくなった。
 つまり私はあまり英語が出来ないけれど、人の表情を読むとか、ボディーランゲージで結構話が通じていた。だから夜は弱い、とたんに無口になる。ただ黙っているだけだと「あなたは何も考えていないのか」と言われたりした。


 思ったことをキチンと言語にするというのは、英語圏ではとても大切だし、「沈黙は金」では絶対ないと確信させられた。極論すると、しゃべらないのはバカというくらいの評価さえアメリカにはあるようだ。
 しゃべらなくていいじゃないかというのは、逃げというか甘えというか、そんなことも思い知らされた。

 価値観としては、表現することの大切さ、表現しなきゃダメだと、言葉はもちろん表情とかジェスチャーも含めての表現力の大切さを学んだ。
 だから英語についてもやっぱり、最低限でもいいからなおざりにはできないと痛切に実感した。

「32歳でのアメリカ体験」は良かったのか、時々ふと思う。もっと若い時期、たとえば20代なら違った思いを抱いたかもしれない。しかし またある程度価値観のできあがった30代であったからこその葛藤も経験し、そこからの収穫も大きかったのではないか、と。

アメリカに行った当初は「日本ではこんなはずがない」とあらゆることを“比較”してみていた。やがて、そういう思考をしている私自身がものすごく枠にとらわれていることに気づいた。優劣や比較というものさしで物事を見るのではなく、そこにあることを丸ごと受け入れることの大切さを本当に実感した。



写真:ニューヨーク・ラブズ・ユーより




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