2007年11月1日
4 母校を愛した2日間
2007年10月20日21日は、続けて母校早稲田大学へ出かけた。20日は毎年恒例のホームカミングデーのボランテアとして、21日は創立125周年記念式典参加だった。
2日共に最高の秋晴れ、20日は朝8:00−午後16:00まで運営の裏方としてお手伝いした。午前中は参加者へ福引券・チケット販売の仕事であった。ホームカミングデーというのは、大学卒業後30年50年のOB・OGを対象に大学が呼びかけて招待するお祭。わたしも30年目のホームカミングデーで思いがけなく大学のクラスメート10数人と再会ができた。最近は35年や45年など節目の年を拡大して、参加者の増大を図っているようだ。こういうチャンスがないとなかなか母校にも行かないし、中高年という世代になると、人恋しくなるのかあちらこちらで「笑顔の再会シーン」が繰り広げられている。そういう場に、ボランテアとして参加できるのも、嬉しいこと。
午後は大隈庭園内の環境係、早い話が「ゴミ分別 処理」係である。OBと現役学生がシフトを組んで、<缶><燃えるもの><燃えないもの><再生可能なもの>に出されたゴミを分別する。または参加者に分別を呼びかけて、やってもらう。
毎年感じること。<口だけ達者で体が動かない人>と<黙々と労働する人>がいる。
でも、母校の風に触れて、<エラそうにしているおじいちゃま>を見ても、最近はあまり腹が立たなくなった。可愛いなあーと思ったり。こう思えるのは、わたしも年のせいかな!?
21日は参加3000名の125年記念式典に臨んだ。膨大な数の卒業生がいる中で誰に招待状がきているのか?不明。おそらく地域の同窓会の役員?一定額以上寄付した人?− これは周辺の人に聞いても誰も定かではない。このあたりも半分興味深々で出かけた。会場に着いて最初は「なんで、お年寄りのおじ様ばかりいるの?」という冷めた気持ちだったが、式典がすすむにつれて、どうしようもなく胸に熱くなる思いがこみ上げてきた。
総長から「これからの125年は日本だけでなくアジアの世界の早稲田を目指そう、これまでにも世界に目をむけた素晴らしい校友がいた。一人はリトアニアでユダヤ人のためにパスポートを発行した杉原千畝さん、そしてもう一人はアフガニスタンで外交官として凶弾に倒れた“奥”さんであるー 」という話を伺ったとき。そして最後の参加者3000人による校歌の大合唱のときも。
名残を惜しんでこれからまた次の場へーという人々の群れを後にわたしはそっと早稲田を離れたが、「来て良かったなあ」という満足感で一杯だった。
母校を強く意識し、愛した2日間の出来事だった。(07年10月22日 記)
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