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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2009年3月1日

3.今年、09年1月1日は、−画家と文学者に思いをはせる―

 未明2:00過ぎに起きて、終夜運転している地下鉄大江戸線にのって新宿へ。京王新宿駅からほぼ満員の始発<迎光号>に乗って高尾山口へ。そこで山歩きの友人・Kさんとその息子さんと合流して、いつもとは異なる人種?の多い高尾山を歩き始めました。
 山頂の薬王院でお参りする人、初日の出を見る人、そして大晦日の飲んだ勢いで来たらしい人― この日ばかりはいろいろな人がごった返しています。
ご来光を拝んで、すぐに下山。さて、どうしようかーと思っていたわたしの目に車内ポスターの<年中無休>の字が飛び込んできました。それは<上野の森美術館・レオナルド フジタ展>でした。

 新宿からJR山手線に乗り換えて、まっすぐ上野まで。開館の10:00前だというのに、すでに30名近くの人が並んでいました。
ここで、ゆっくりと 最近修復が完成したフジタの大作を鑑賞できました。


藤田


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 もちろん、フジタの名前は知っていたし、多少の興味はもっていたが、今回会場でノンフィクション「藤田嗣治・異邦人の生涯」という本を見つけ、その日のうちに読みきった。
1920年代のパリで時代の寵児となった彼が、なぜ 晩年にフランス人に帰化したのか、「私が日本を捨てたのではなく、私が日本に捨てられたのだ」と言う意味が、おぼろげながら理解できた。

 同時にわたしの心に浮かんできたのは、井上ひさしの戯曲「太鼓たたいて、笛ふいて」でみた作家・林芙美子の姿だった。「太鼓たたいて、笛ふいて」とは、一体どういう意味なのか?長い間、気になっていた。昨年 秋にこまつ座の芝居を見て、納得した。
それは劇中、「わたしはまさに戦争に投入したとき、太鼓たたいて笛ふいてー 兵隊を戦場へ送り出したのよ。その責任をきちんととらねばわたしの戦後はない」と井上ひさしは、大竹しのぶ演じる林芙美子に言わせている。

 藤田嗣治も戦争中、戦争を鼓舞するような絵をかなり多く書いている。そのときの胸中はさまざまなものがあったようだが、その結果戦後いわゆる日本画壇からすさまじいバッシングを受けたようだ。

 戦後60年余が過ぎ、戦後生まれのわたしたちはほとんど「日本現代史」を正確にしらないまま、今日まできてしまった。こういう思いがけない場面で、画家と文学者を通して歴史の一断面を知ることができた、1月1日だった。

藤田



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