2010年3月1日
4.わたしのボランティア活動 小史
ボランティアとは何か? たぶん多様な定義付けがあるだろうが、ひとまず「営利を目的としない(組織)活動」として話を進めたい。
<きっかけは、、>
もう20年以上も前だったが、思うことがあってわたしの住んでいる東京都B区のボランティアセンターのドアをたたいた。確か区報に「ボランティア活動―あなたの出番です」という見出しを見つけたのがきっかけだった。「あなたのできることは?」と訊かれた。手話もできない、点字もだめ。運転もできない。そして、何よりも「助けがほしい方になんらかのお手伝いをしたいが、そのためのサークルに所属するのは苦手です。わたし個人がすぐできるものをやりたいのです」とボランティアセンターの相談員に訴えた。「はい、わかりました。もちろん平井さんでもできることはありますよ」と言われた。
<H先生の対面朗読>
筑波大学付属盲学校の盲人の先生に対して<対面朗読をする>というボランティアを紹介していただいた。
毎週決まった曜日に、2時間H先生のもとに通い、先生が希望する書類・資料・DM・データを読んだ。かれこれ10年近く続けただろうか。H先生は定年退職になり、このボランティアはピリオドを打った。今でもH先生との会話やそのときの先生の言葉を思い出すと懐かしい気持ちでいっぱいになる。「完璧にやろうとしなくていい。できる範囲で細く長くボランティアを続けてほしい。一人でも支えてくれる人がいるーということだけでわたしは勇気づけられているのですよ」と言われた。障害をもった方々と接する原点を教えていただいた。
こちらと平行して、時々B区の大学に中国や韓国から来ている留学生に「日本語ボランティア」もやった。のべにして10人位のさまざまな国からの学生と出会い、時間を過ごした。
<中断 そして再開>
その後、新潟の実家にいる母親の介護などがあり、個人でやるボランティアは中断した。
母を見送ってから、大学のOG会(共学であるが、横断的な女性卒業生の会)や地域の大学同窓会、習い事・稽古事の会、マンションの自治管理組合など、組織運営の幹事役のお鉢が立て続けに回ってきた。
一人で活動するというより組織運営という、これもボランティアである。「まあ、できる範囲でできることをやっていこう」と腹をくくってやってみた。
不愉快なことや苦労も多かったが、得たものも大きかった。特にマンションの自治管理組合の活動は、目の前に片付けなければならない問題が山積していたので、それを他の理事さんたちと相談し解決できたときは嬉しかったし、やりがいも感じた。
<気づいたこと と これからのこと >
つくづく難しいと感じたのは、「役割を上手に他へスイッチする」ことである。それと世間一般!?ほとんどの人々は「組織運営に関わりたくない」と思っている、にもかかわらず「文句を言う、批判するのは大好き!?」ということだ。
まあ、すごく当たり前と言えば当たり前の事柄であるが、改めて人間の弱さ・ずるさ・いいかげんなところ・無責任な部分を実感できた。渦中にいるときは、愚痴や嘆き・怒りでいっぱいで友人と長電話をしたものだったが、それらもまた今ではわたしの中で全て経験として生きている。
ポジション・役割にしがみつかない。他の人へ引き継いだら、全面的に協力する。原則求められなければ口を出さない。新しい人が新しいやり方で運営していくことを見守る度量をもちたい。―こんな風に最近は思っている。
そして、もし楽しい趣味や遊びの活動なら自分のやりたいスタイルで新しいグループを自分でつくればいいんだ、とようやく目覚めた私である。
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