平井ゆき子事務所


トップページ

プロフィール

現在の活動

ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー


トップページのバックナンバー


メール mailはこちらまで
yukikoh@gol.com

Copyright (C) 2006
Hirai Yukiko. All Rights Reserved.

ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
green_line
2013年7月1日

1.素顔の中国― 中国貴州省への旅


(1)なぜ、貴州省へ?

4月も下旬、中国貴州省(雲南省の東どなりに位置する)にいる友人Sからメールがきた。
「昨年、東京でゆきさん宅に伺ったこちらの4年生がもうすぐ、卒業します。卒業後は大学のある貴陽(貴州省の首都)を離れます。もしお時間があったらGWに彼女たちの激励のため、来ませんか? いや 励ましてほしいのは私の方かも」
Sとはここ3年くらいの付き合いだが、なぜかウマがあって飲み友達、そして旅にもよく一緒に出掛けた。そのSが「励ましてほしいのは私の方かも」というメールをくれたことに心が動いた。「行ってみよう!!」と決めて、GWの後半、中国貴州省を訪問した。


中国の真ん中より、やや西に位置します。
(貴州大学にはベトナム、ラオスからの留学生の多い)



貴州大学の構内にあった“魯迅”像(こういう筆をもったものは珍しい!?)

 

もちろん、全くのフリー 一人旅。北京経由で飛行機を乗り継ぎ、結局 13時間かけて 貴陽にたどり着いた。4泊5日の短い?旅程でしたが、貴州大学・日本語学科の授業で話し、学生と交流し、かつ 田舎へ1泊旅行したので結構ハードな日程だった。
まさしく、世界遺産が1つもない省・地域だ。観光旅行として、誰かをおつれする、、のは?? ということを実感できた。食事、インフラ(特にトイレ、大学でさえ、、、)は まだまだ。その中で Sが熱意をもって学生と向き合っている姿は 同じ大学教員としても 本当に感銘を受けた。



1年生のクラス 集合写真




(2)大学生の横顔 

貴州大学日本語学科1年生の授業の2クラスで各30分ほど時間をもらい、コミュ二ケーション・ゲームを紹介した。日本では大学生・企業人などによくやるものだったが、どのような反応があるか、実は私自身も興味深々だった。あらかじめレジメをSにメールしておいたので、それにうまく中国語の補足もつけて学生に配布した。



1年生のクラスでのワークショップ



 結果はSも「思ったより、よく理解してましたね」という程、反応は日本の学生と同じ。
ゲームはわたしが考えたものだが、ちょっぴり自信をもつことができた。
中国の若者には 北海道のお菓子“白い恋人”(クッキー)がすごい人気―ときていたので、大きなトランクの半分いっぱいに持ち込んでいった。授業の後で学生に配ったら大喜び、本当に教室に笑顔があふれたひと時だった。





1年生のクラスでのワークショップ





1年生のクラス 集合写真

さらに日本語スピーチの予選会にも参加させてもらった。夜には3年生数名と大学のそばの店で会食。みんなお酒がめっぽう強い。会話の内容も1年生とは格段に違う、中身の濃いもの。将来に対しての不安や期待などを語る彼らの横顔がまぶしかった。いつの時代でも、どこの国では若者の真剣なまなざしには、共通するものがある。


3年生と会食(1年生とは顔付きが違う、日本語もうまい。
私の右隣が友人sこと須崎たか子さん)



(3)需要と供給のアンバランス―  バスでも、電車でも 

<バスで>

今回、心から実感したこと。そして目の当たりにしたこと。それは需要と供給のアンバランスだ。朝、駅に行くために路線バスに乗った。早朝にもかかわらず、バス停で待っている人はたくさんいた。お目当てのバスが来ると、一斉に入り口に突入する。待っているときの順番は関係ない。乗るときはおすな、おすなの勢いである。
中に入ってからも大変だ。「もっと奥に入ってくれ」と運転手はいっているようだが(これは日本と同じ)奥もいっぱい。まさしくギュウギュウ詰め状態。それでも 途中から乗りたい人が、前の入口からではなく、出口からも乗り込んでくる。「今、降車口から乗ってきた奴は降りろ!!」などど(たぶん)運転手がどなっても、乗った人は知らん顔。さらに「前からだと乗れないから!!」とこちらも 女性がどなって応戦。本当に、一発触発の雰囲気のまま バスは鉄道の駅までひた走りだった。

<電車で>

 電車でももっと悲惨な(!?)状況を体験した。前もって指定券を買っておいたのだが、その席に着いたときは発車寸前。すでに私たちの指定席には中年女性が座っている。3人の横並び席に私とS、そして教え子の学生Cが座ることになっていた。
当然 手元のチケットを見せたら「失礼」とか言ってその女性は立ち上がってくれると思った。が、たたない。したがって3人席に4人が座ることになる。「わたしたちはこの席の指定券を買ったのだから、このおばさんにどいてもらうように言ってください」と私とSがCに頼んだ。

「すみません、これが中国流なんです。“ここは私たちの席です”といっても、“あっそう、じゃあ 一緒に座りましょう”といって動きません。がまんしてください」とCは 泣き出しそうな顔で言った。えーっだって、これでは 3・5時間 狭い座席でがまんしなくちゃならないの!? 内心 不満に思いながら、Cにはこれ以上強く言えないなあーと あきらめた。途中駅で中年女性が下車。やれやれと思っていたら、当然のようにまた違う女性が、割り込んで座ってしまう。こんな状態なので座席はすべて埋まっている、通路にも人がいっぱい!! 息苦しさ、蒸し暑さで どうにかなりそう!! ――――  


郊外の田舎へ行く電車の中(両側の女子学生が今回の旅の名ツアーガイド)



  需要と供給のアンバランスがもたらす悲劇である。中国の人口増加にあらゆるインフラが追いついていってない、と実感できた。乗り物、そして公共のトイレについてはちょっと説明不能な状況だった。
いちばん びっくりしたのはいわゆる食べ物のお店・レストランでトイレがないことだった。「あちらでお願いします」といわれて道路の反対側のいわゆる公衆トイレに向かったが、― 絶句。 ??10年前の日本の公衆トイレよりもっと大変な!!状況。トイレはまさしくそこの文化水準のバロメーターである。




(4) 家族の太い絆
 

Sの勤務する大学から離れて、田舎へ1泊2日の旅をした。<六盤水>という街。貴陽から電車で4時間近くかかるので、相当な田舎だろう、、と覚悟していたのだが、これがなかなかの都会だった。今回の旅ではじめて、洋服・靴・バッグを買った。Sの教え子Cに訊いたら「このブランド、私も好きです」という若者向けの店が宿(ビジネスホテル)の隣にあったから。

 さてここではすっかりCの家族、とりわけお母さんにお世話になった。日本で言えば、肝っ玉母さんそのもの、一族を仕切っているビッグママ。日焼けした真っ黒な顔にしわを寄せながら満面の笑顔で迎え入れてくれた。もちろん、言葉がほとんど通じない。Sにとっても「ここは 方言がすごくて、わたしもほとんど??」ということだった。
街を案内してくれたマイクロバスの中でも大きな声で携帯電話をかけまくって私たちのスケジュールをアレンジしてくれた。その娘Cは「母はいつもこんな風に大きい声で話すのでちょっと恥ずかしいです」と(もちろん日本語で)私に耳打ちした。


ビッグママを中心に


親戚の、本職はタクシードライバーという男性がまる1日、レンタカーを運転してくれさらに田舎の親戚の家を訪問した。「この人は母の兄弟の―― で」と説明してくれるが、とても複雑で?覚えきれない。わかったことは、とにかく親戚の中でCのママはすごい!!力がある人らしいこと、だ。彼女の頼みなら、多少無理してもきくーという感じがみなさんから伝わってきた。

 知り合いのレストランで超豪華な火鍋を食べる。田舎の親戚の家で、美味しい家庭料理と年代物のお酒で歓待をうける。さらには「近所で珍しい旧式のお葬式をやっているから見においで!!」とお誘いもあった。
まさにパックツアーでは見られない、経験できないたくさんの体験をさせてもらった。


火鍋(コラーゲンがいっぱい!!でも食べるには かなりの勇気が、、、)



名物のおそば(お好みで唐辛子をいれます)



年代物のお酒(豪農のランチでいただきました)


やはり教育のため、田舎のさらに田舎に住んでいる親戚の子供をひきとって暮らしている。
その子供たちは週末には両親の家に帰るという。そのお家にまでもお邪魔できた。圧倒的な一族のつながり、結束、絆を目の当たりにした。
貴州省の首都・貴陽で大学を卒業した娘Cは 今年から地元の高校の日本語学科の教員になるのだという。それがとても嬉しいとママは話していた。ママにとっても一族にとっても自慢の娘で、誇りに思っているのだろう。そういう母をちょっと恥ずかしいと感じながらも大切に思っている娘 ―ふたりの姿が、とても羨ましかった。



(5) 教育とは何か?
 

多くの刺激をもらった旅だった。特に“教育とは何か?”という根源的な課題が鋭くわたしの胸につきささってきた。
Sと交わした会話。「学生はまじめで可愛い。でもね、率直にいってまだこの貴州省では日本企業が1つもきていない。そういう環境にあって、果たした彼らは日本語を学んでそれをどこでどう活かすのか! 考えるとちょっと暗くなる」これには同感。「だから、せっかくゆきさんが来てくれたのだから、できるだけたくさんの学生と接してほしかったのよ」と言ってくれた。本当に多くの触れあう場をつくってくれたSには心から感謝である。

 ビッグママそして親戚の方々と接して、とても教育熱心であること、子供の教育にはお金・労力を惜しまないことが伝わってきた。これは昭和30−50年代の日本の姿とオーバーラップするようだ。

共産主義の国とはいえ、地域格差そして貧富の格差は年々広まりつつあるようだ。もちろん豊かさを実感している人々も増えてきているようだ。同時に、都市から遠く離れた山奥の村で小さな子供だけを残して、両親が出稼ぎにいかなければならない家族もいる。
Sから直接きいた話だが、大学生の中にも<実家には幼い妹・弟しかいない。親は出稼ぎに行っている>という家もあるそうだ。

  つい先日渋谷で見たドキメンタリー映画「三姉妹―雲南の子」の世界がものすごいリアリテーで迫ってきた。



貴陽から遠く離れた(電車・車を乗りついで数時間かかりました)
Cさんの田舎の親戚を訪問したときの集合写真
(この家はトイレも個室で清潔、キレイなバスタブもありました。
“相当なお金持ちだわね”とSの弁)

 

 



<< メニューへ戻る