2013年7月1日
2.TV(NHK 首都圏ネットワーク)に出ました
− NHKの取材で てんやわんやの1週間!?
数年前にSSSネットワークというNPO活動をしている組織に参画しました。
3つのSはシングル・シルバー・スマイルの頭文字をとったもの。
ノンフィクション参加の松原淳子さんが代表でさまざまな活動を行っています。シングルといっても結婚をしていないサラサラシングル(松原さんの造語)もいますが、離婚した人・夫に先立たれた人・戸籍上は結婚し夫と同居していてもシングルを自負している人など さまざまな女性が参画しているようです。ようです、、という表現はおかしいと思われるかもしれませんが、800名に膨らんだメンバーすべてを把握しているわけではありませんから。そして、そのほどよい距離感がよいーと私は思っています。
このSSSの中で私は2つの部会?に属しています。1つは災害ネットワークで、地域ごとにグループがあり「何かのときに助け合いましょう」というもの。今、わたしの所属している文京グループは3人いますが、3か月に1度程度食事会をして、地域の情報を交換し合っています。
もう1つはローズクラブという共同墓地で共に眠ることを約束し合った仲間がいます。こちらも1年に1回、その年亡くなったメンバーを追悼するというささやかな場があるだけ。幸いなことに?今年(2012年春―13年春まで)は亡くなった方がいなかったので、サンドイッチを食べおしゃべりして、歌ってお開きになりました。
こちらも今200名くらいのかたが登録して、クリスタルの墓標に名前が刻まれていますが、私にとって顔と名前が一致するのはほんの数名だけです。今年度、亡くなった場所から共同墓地までをつつがなく見送る“直葬(じきそう)”プランがたちあがりましたので、お互いの関係がもっと密接になる活動が活発になる予感がします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
GW前のある日急に このSSSの代表松原さんから、「NHKの取材に協力してほしい」という依頼がきた。そのため、5月中旬までは なんとなくあわただしい日々だった。幾分なりともSSSのお役にたてば、と OKした。「自分でよいと思って参画している活動のPRに協力した」ということにすぎない。首都圏ネットワークという報道番組で、<2030年シリーズ>という企画であった。
取材の当日。仕事先の大学まで授業が終わる14:00過ぎに、車が私をピックアップにきた。都内から郊外の多摩までひたすら走る。その間、車の中で電話だけでやり取りしていたNHK新潟局の女性記者Nさんと打ち合わせ。
15:30前に、共同墓地に到着。丁度、バラが満開。本当にお天気とバラ恵まれた日だった。「歩いてください」「お祈りしてください」「お墓の前で、少しインタビューさせてください」言われるままに、何度も 歩いたり、座ったり。
小1時間の後、都心の我が家へ。17:00から数十分、またまた「お茶をいれているところ、新聞を読んでいるところなど、撮りたい」というので、その動作を繰り返す。
19:00から 災害ネットの友人たちと食事会の予定があったので、またまた着替えて東京ドームホテルのレストランへ。メンバーの一人が災害時の避難場所の地図を用意してくれたので、その確認をしている画像を撮影。撮影のクルーが 引き上げたのが20:00頃。 ―― 長い、長い1日だった。
さらにこの日に先立ち、SSSの直葬プランの説明会風景も撮影し、その画像も含めて放映された。「ずいぶん、衣装が綺麗だった」と言ってくれた友人がいたが、衣装ではなく、もちろん自前。というか 普段着で、撮っていただきました あ。画像が、あまりにもクリアでわが顔の年齢をはっきり、くっきり!!自覚し、ショック。(笑)
そして、この出来事を通して、気づかされたこと。たった数分の番組のために、こんなにも多くの人々が裏方で動いていること。(撮影に携わった人―4人) 多くの人の力が結集して、仕事が成り立つということ。− ふと 忘れていた 組織で仕事の成果をだすためには、それぞれが自分の持ち場で役割をしっかりと果しているのだーという感覚を思い起しました。
私が取材に協力した時間はおよそ1・5日。それまでの企画や電話での打ち合わせ、そして編集時間は膨大なもの。放映時間は数分でした!!
<< メニューへ戻る
|