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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2014年4月1日

2.邂逅


邂逅とは何か? 出会いといわれるが、出会いというだけでは物足りないような、それは“運命的な出会い”という感じがしてならない。
心に響いた3つの邂逅について書いてみた。

1) ある家族と家族の 

友人A子さんから伺った話である。

A子さんの家族は1985年から4年間、上海で暮らした。商社勤務の夫の駐在によって、A子さんと子供3人も一緒だった。「まだ子供も小さくて、現地の小学校に入れたの。もちろんクラスメートはみんな中国人。でも子供にはこの辺のことが理解できないから、“お母さん、みんなすごいんだよ。中国語が上手なんだとよ”と驚いていたわ。わたしは子供に“あなたも勉強すれば話せるようになるから頑張ってね”と言ったの」

その息子さんは大きくなって中国語を学び、今はそれを活かして中国と日本を行き来しながら活躍している。そして数年前に中国で出会った女性と結婚して家庭を築いている。

そのA子さんとこの春上海に行き、駐在当時からすなわち30年来のおつきあいが続いているという中国人Sさん夫妻にお会いした。Sさんは日本商社の上海支店で運転手をされていて、つい最近60歳になったので定年を迎えた。
なんとSさんには聡明な一人娘(すでに中国で一人っ子政策が始まっていた)がいて、この娘さんにもお会いすることができた。上海の師範大学で日本語を専攻した。とてもキレイな日本語を話し、上海の日本企業で働いているという。

1985年当時、まだまだ上海といっても不便な生活を強いられていた時からA子さんの家族と夫の運転手であったSさんの家族は家族ぐるみでおつきあいが始まったのだった。
それから30年の時が流れて、お互いの子供はまさに日中の懸け橋となるような仕事についている。それはこの2つの家族の邂逅がそれぞれの子供たちに大きな影響を与えたことに他ならない。

 子供は親の背中を見て育つーというが、まさに一朝一夕ではできない2つの家族の絆を見る思いがした。
3年前福島の原発事故が起きたとき、上海のSさんからすぐに「日本が危険だったら、上海に来ませんか」という打診があったという。国と国との関係がどうであろうとも、人と人との長い時間をかけてできた信頼関係は深く、強い。ゆるがない。


2)50代になってから、、、A子さんと私

そもそもわたしとA子さんがどこで出会ったのか、これも素晴らしい偶然の邂逅だった。10年くらい前に私は一人でよくパックツアーに参加していた。その時の参加者にA子さんと夫―仲の良いご夫婦がいた。昼間のツアー日程を終えてお部屋に入るとき「一杯、飲みませんか?」とどちらがというわけでもなく誘いあって、よく飲んだ。
なんとなく、話が合う素敵なご夫婦だなあーと思って、帰りの飛行機の中で「私 高尾山を登っていますのでご一緒しませんか?」と住所のメモを渡したのが始まりである。

友人とは、職場・地域・趣味・出身学校・故郷・ママ友などいろいろなきっかけでできるものだが、A子さんとの出会いを考えるとこんな風にも思える。
「年をとって自分の選択眼ができてからのほうが、むしろ気の合う優れた友人を見つけることができるのではなかろうか」と。




3)若き日の邂逅が、人生を決めた  − 私とU先生

2014年3月1日にかっての会社の上司・U先生の卒寿のお祝いがあった。卒寿とは90歳のこと。このU先生とは1973年から1987年まで14年間、一緒に働いた。

当時U先生は49歳から63歳までのまさに働き盛り、わたしはまだ社会人ホヤホヤの生意気盛りで、本当に鍛えていただいた。出会った当時、U先生は<女性能力開発部>の部長だった。上司だからU部長と呼ぶべきなのだろうが、コンサルタントとして社内外からその人はU先生と呼ばれていた。

よく叱られ、注意された。何度か泣いた。1年くらいして、「どうしてわたしばかり厳しく注意するんですか?」と文句を言いにいったら「あなたは、注意してもめげない、へこまない、折れないから。これからも代表して注意されなさい」と言われた。
あっけにとられた記憶がある。

またこうも言われた。「あなたの話し方はフリルのたくさんついたお嬢さんのエプロンみたいだ。これから研修講師としてお金をもらうためには、酒屋のしみのついた重い商売用の前掛けのような話し方を身につけなさい」とも。

組織人としての在り方、会社を代表して社外の人と折衝するときの心得、もっと小さなことでいえばタクシーの乗り方など数えきれない“仕事をする上での考え方・身の処し方”を教えていただいた。この20-30代にかけての“U先生との邂逅”はわたしの職業人生を決定づけたといっても過言ではない。






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