2014年10月1日
1.最後のヨーロッパー!? ポーランドで考えたこと
(1)なぜ、ポーランドへ?
この前ヨーロッパへ 行ったのはいつのことだったろうか? ふとそんな疑問符が胸に浮かびました。わたしの持論で<経済力・体力と好奇心・時間>があったら旅に行ける。
おそらく<時間>は年齢に比例して増えていく。しかし、他は? 特に<体力>についてはもう時間との年齢との競争だ!!と自覚するようになったのです。とすると、現実的な話 エコノミーの飛行機しか乗れない私にとって「ヨーロッパはもはや遠い存在」になりつつあります。
そこで冒頭の自分へ問いかけが起きたのです。この前のヨーロッパは記憶にあるのは<2000年のお正月にオランダ・アムステルダム>に行ったことでした。その後、兄のいるアメリカには2012年に行きましたが、あとはもっぱらアジアを旅していました。
さて、それではこれが最後のヨーロッパだとするならば、一体どこへ行きたいのか?
答はポーランドでした。その理由は、若かりし頃(20年位前かな?)付き合っていた友人が「あなたもいつかはポーランド(アウシュビッツ)にいくべきだ」と言っていた言葉が、どうしても頭から離れなかったのです。その人のことは忘れてしまったけれど、「――行くべきだ」という強い表現が 今でも私を捉えていたのです。
といってもなかなかポーランドだけのツアーは少ないですね。ようやく、1つ見つけて
これが最後のチャンスかもーと決心しました。
(2)ポーランドと日本のご縁
この画面上でポーランドと日本の歴史上の関係を述べるつもりはありません。ただ、驚くほど日本とのかかわりは深く、ポーランドの人々は親日的ということでした。
旅の中でポーランドの田舎を歩いていても時折「ジャパニーズ?」と話しかけられ、親しそうに笑顔をむけられたことがありました。日本のシンドラーと言われた杉原地畝さんもリトアニア(ポーランの北に位置する。その当時はポーランドという国はなく、ソ連とドイツに分割されていました。)に関係しています。近代史の中での日露戦争の日本の勝利は長い間大国ロシアとドイツの痛めつけられてきたポーランドにとって、誇らしい事柄になっているようです。
ポーランドを旅するといたるところにショパンの像があります。今回の旅の参加者の中には音楽が好きで、ショパンに魅かれて来た方々多くいました。しかし、ショパンが生きていた時代にはポーランドという国は存在していなかったのです。 (ということを、ポーランドを旅して実は初めて知りました。)
(3)アウシュビッツと中谷さん
ポーランドに行くと決めてから、お決まりのガイド本を探してみましたが、なかなかありません。そこでアマゾンで<ポーランド・ガイド>と入力して、いくつかの本を入手しました。
その中の1つに「ホロコーストを次世代に伝えるーアウシュビッツ・ミュージアムのガイドとして」という岩波ブックレットがありました。これは200名余いるといわれるアウシュビッツの公式ガイドの名でただ一人の日本人・中谷 剛さんが書いたものです。早速購入して、行きの飛行機そしてポーランドに着いてからも帰りの飛行機の中でも幾度となく読み返しました。
そして、誠に幸運なことにその当の本人である中谷さんからアウシュビッツで直接ガイドしていただくことができました。
彼(1966年生まれ)は、大変物静かな印象ですが熱く力強くきっぱりと、そしてあくまで穏やかに説明をしてくれました。
<ブックレットにサインをしてもらいたい>気持ちがありましたが、あまりの自分の幼稚さが恥ずかしくなって、止めました。
「ぜひ、この場で見たこと感じたことを周囲の人に伝えてほしい。アウシュビッツは過去の遺産ではない。ヒットラーは狂人ではなかった。あくまで誇り高き、ゲーテや素晴らしい音楽家を生んだドイツ国民から合法的に選ばれた人間だった。―― アウシュビッツの姿は 今、生きている現代にもまだどこかで起きている現実なのだ。そこに生きているわたしたちが今 何をしなければならないか、一人ひとりが考えていただきたい」中谷さんの説明が、深くそして鋭く胸に染み入ってきました。
(4)個性的なツアーのメンバーたち
ー添乗員Mさんと「一人参加」のメンバー
このツアーの参加者は 合計22名、添乗員は30歳の男性Mさん。そのうち一人で参加した人は6名。男性女性それぞれ3名ずつでした。特に女性はご多分にもれず、男性以上にアクティブで個性的、刺激的でした。
ポーランドに来る、それも<ひとり参加>のメンバーはほとんどメジャーな海外は訪れている強者ばかりでした。それでいて、声高に自慢話をするような人はいなくて、それぞれが“自分のスタイルで旅を楽しんでいる“という印象でした。
興味深い存在は添乗員のMさんでした。彼は大変な熱血漢で、非常によくポーランドのことを調べてわかりやすくメンバー(お客様)に伝えてくれました。手作りのポーランドの地図をバスの前方に張出して、ポーランドがどのような国々と隣接しているか、ポーランドの国のどの辺をこのツアーは旅しているの、その都度説明してくれてよくわかりました。
旅の後半古都クラクフからワルシャワまで3時間ほど電車に乗ったのですが、その食堂車で彼と話す時間がありました。<まだ、添乗員のキャリアは1年半ということ。サラリーマンをしていたが、どうしても世界を見てみたくなって、専門学校に行って添乗員になったこと。職場を辞める時“気が狂ったのではないか”と周囲の人から 引き止めれたこと。専門学校では、他の科目はさぼっても英語を集中して学んだこと>など、話してくれました。
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ツアーに「一人参加」の3人の女性 偶然 右隣にポーランド人のガイドさんが写りました。彼女は「日本大好き」で数度、日本に来ているとのこと。
特に「神社の静けさがいいですね」と美しい日本語で話していました。
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ツアーの最後のデナーの席で。全員が「一人参加」のメンバーです。みなさん、一人で判断して行動できる素晴らしい人たちでした。こういう刺激的なメンバーとの出会いも旅の醍醐味ですね。 |
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