2015年10月1日
1.わたしの仕事 ―“教える”ではなく“伝える”ことを通じて
「教員にはなりたくない」とずーーと思っていました。でも、わたしのキャリアの最終段階は“大学の教員”となりました。
なりたくなかったその理由は実は両親が田舎教師だったからです。もう両親が他界して20年が過ぎました。年々、両親に対する尊敬の気持ちは強くなるのですが、特に大学卒業時には「絶対、企業に就職したい」と思っていました。それは“地方都市における先生と呼ばれる大人”が、 とても私には世間知らずに思えたからです。
――というより、いわゆる教育一家という環境の中で育ってきたので、会社とか企業とか利益をあげる、儲けるという組織に強い興味をもったのです。
大学卒業後、メーカーに勤務。その時の配属先が総務・人事だったのがその後の私のキャリア形成に大きな影響を及ぼしました。企業の人事を経験したことが契機になってコンサルタント会社に転職、39歳で独立。そして大学で教えるチャンスも巡ってきました。
巡り巡って、今ここにいる私をかの地から両親はきっと笑ってみているでしょうね。
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4年ゼミの女子学生と (2人とも中国からの留学生) |
さて、教えるという仕事に長く携わってきて思う事。学校教育としての学ぶチャンスは、現代では、大きな格差はなくほぼ平等にあります。しかし、社会に出てからの学ぶチャンスはかなり大きな格差があるということを、今更ながら実感しています。
教育には率直にいってお金がかかります。意欲と向上心があれば、基本的には誰でも学ぶチャンスはあります。が、そういう個人のやる気に委ねる以前に、日本の大手企業は非常に熱心に社員育成・教育に投資をしています。
新人研修から始まり、階層別・キャリア別研修、さらに最近では職能別というより多様なメニューを用意して自由に選べるアラカルト研修も多くなってきています。
“全て費用は会社もち”は少なくなってきているとはいえ、いわゆる大人になってからの学ぶチャンスは、その人がどのような規模の会社に入社したかによって大きな格差があるのです。これはコンサルタント会社にいて、イヤというほど 思い知ったことです。
自治体主催のセミナーで、最近はシルバー世代にもたくさん接する機会が多いです。対象はもう仕事という場を卒業して、自由に自発的に学ぼうとする意欲的な方々が多いです。
企業研修で、入社2・3年の中堅社員に対してお話しするコミュニケーションの内容を少しアレンジして伝えることがほとんどです。ここで「初めていい話を聴いて、目から鱗でした」という参加者の反応をきくと、実は私が驚いてしまいました。「そうか、こういう内容の話を今まで聴くチャンスをもたなかったのか」と。
水を飲みたくない牛を川べりに引っ張っていっても無理、という言葉がありますね。現代の大学生を見ていると、残念ながらこの絵を連想してしまいます。
自らのお金と時間を使ってセミナーに参加してくる社会人、歳をとっても一生懸命メモをとり質問をしてくるシルバー世代の方々― こういう方々の真剣なまなざしに見つめられるとき、この仕事に携わってよかったと心から思います。そして“教える”ということは“伝える”ことに過ぎないということも、ようやくわかってきた今日この頃です。
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