2016年11月1日
1.多様性ということ
いつからでしょうか、多様性という言葉がひとつの流行語になったような気がします。
働き方の多様性とか、文化の多様性とか。まずは「多様性を認めよう」という前提があるようです。
ふと視点を変えてみると、自分自身の中にも「多様性」が必要なんだ、と気づきました。これまでも断片的に、このHPに書いていますが、わたしはいくつかのボランテア活動に参加しています。大きな組織の一メンバーとしての活動もあるし、グループを立ち上げリーダーとして動いている活動もあります。
つまり、「その活動の中でも自分の置かれているポジションによっても、動き方の多様性が求められている」と実感します。
リーダーなら、組織・メンバー全体を見て方向付けを行いかつメンバーの状況を把握することが不可欠です。サブリーダ―なら、リーダーがうまくリーダーシップを発揮できるようサポートすることも必要です。そして、一メンバーであっても ただ単に“言われたことだけをやる”のではなく、組織全体が活性化するために役立つことはないかと意識して心がけて動きたいと考えています。
自分の中のどういう力・能力を発揮したらいいかーその時々で考え、動いています。
つまり、自分の中に“動き方の引き出し”がどれだけあるのか、も常に問われているようです。
具体例をあげます。現在<かっぽれ・ゆきんこ一座>を立ち上げて、都内や近郊の
老人施設へボランテアに行っています。つたない私たちの芸に、お年寄りが手を叩いて喜んでくれるのは無上の喜びです。しかし、この<ゆきんこ一座>のメンバーも本業をもっている人もいる、家庭の事情・健康問題などで十分活動できない人もいます。
そういうとき、リーダーとしてのわたしには何が求められているのか?大切なのか?
と、立ち止まって考えます。
特にこの夏、自分の中で大きな発見がありました。
「かっぽれに 拘ることもない!! 落語をやる人もいる。語りをやる友人もいる。音響面をサポートしてくれる友人もいる。オカリナ演奏をやるグループともコラボができた。南京玉簾をやる知人もできた。そういう正に多様な人々も巻き込んで、<ゆきんこ一座>のボランテアをやればよいのだ」と。
かっぽれはもちろん「ゆきんこ一座・ボランテア」の原点です。が、これだけに執着する必要もありません。
もしかしたら、今 私に必要とされている能力は多様なものを組み合わせたり、他者へ働きかけるプロデュース能力なのではないかと。
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