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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2017年5月1日

1.59歳は女のターニングポイント!?
        ー3人の素敵な友人たち


企業や学校は3月が締めくくりの時。特に仕事をしている人間にとっては異動や転勤、仕事の変化などがあります。久しぶりに会った友人たちと話してみて、、、「59歳って、女のターニングポイントかしら?」と実感しました。なぜって、偶然とはいえ イキのいいわが友人たちは、3人が3人とも「もうすぐ還暦、今 59歳です」と言ったから。

 

Yさん

3年ぶりの再会でした。わたしのHPを見て「わー、大病をしたのにこんな風にオープンにしているのは、元気になった証拠。ぜひお会いしたいです」とコンタクトをとってくれました。Yさんは わたしの故郷新潟の女性です。10数年前に仕事で縁ができて、何度かお酒を飲みました。もちろん、お酒も強い。でも何よりもそのパワフルさに私自身が嬉しくなりました。カウンセラーとしての仕事を全うしながら、2人の娘を育て、家事も手抜きをせず、かつとっても夫から愛されている魅力的な妻でもあるらしい!?
 その彼女が時を経て、またまた自分にとっての無理のないスタイルで<引きこもりを社会に送り出す>NPOにも参画して、しっかりと着実に難しい仕事に取り組んでいます。

 

この画像はFreepikによるデザイン

 

「いろいろな人が世の中にはいます。わたしは自分のできることで少しでも彼らの役に立ちたいと思っています。今、試みていることは元引きこもりのメンバーをグループにして、今現在のひきこもりに働きかけるということ。苦労もあるけど挑戦しています。でもね 平井さん、引きこもりもそうだけど、、家族の問題ってものすごく糸がこんがらかっていてコレで解決―とはなかなかいかないんですよ。私自身の頭がぐちゃぐちゃになってしまいます。そういうわたしにとっての楽しみはクロスステッチなんです。とにかく無心になって針を動かす。一針一針縫っていくことで、確実にできあがる、この達成感がすごく自分の中のバランスを保つうえで大切ことなんです」


 頭のいい女性だなあとー感心しました。見事に自分の心理状況をわかりやすく表現してくれました。大きな目をくりくりさせて、私の話す言葉を聴きもらすまいと真剣に耳を傾けてくれます。本当に心底、この人はカウンセラーだなあと思いました。頑張ってくださいね、あなたの仕事―心から応援しています!!

 

―新潟から会いに来てくれたYさんとー

 

 

Nさん

彼女とももう20年余の付き合いになりました。歯切れのいい話し方、そして何よりも即レスポンスをする行動力には脱帽です。たまたま彼女の会社にはじめて研修に行った日のこと、その日の夜にわたしの出版記念パーテーがありました。「実は 今夜、この近くでパーテーがあるのですが、ぜひ ご都合ついたら出席してください」とお昼休みにお誘いしたことが、個人的なお付き合いの始まりでした。その後外資系の企業に転職、その間に社労士の資格も取りました。「平井さん、これからわたしは試験勉強に集中します。だから わたしは死んだ、と思ってください。試験に受かるまではどなたとも遊びません!!」と言われてびっくりしたのがまるで昨日のことのようです。さらに彼女の極めつけの語録<わたしの辞書には、根性・努力・忍耐という言葉はありません>というもの。といいながら、まさに彼女の日々の仕事・生活は根性以外の何ものでもない、と思うのですが。

 

 

 

この画像はFreepikによるデザイン

 

 

 時々メールをくれます「今、イスタンブールの飛行場で平井さんのHPを読んで、とても元気をもらいました」などと。それを読んで「ああーまた世界を飛び回って、仕事をしているんだなあ」と、彼女の細いけれどスタイルのいい颯爽とした姿に思いをはせるのです。わたしもNさんに負けないよう、頑張ろうっと。

「うーん、うちは外資系だから特に定年はありません。でも、厳しかったリストラもここで一段落したので、この1年で自分自身の身の振り方を考えてみます。今、担当している人事部門が分社化になる可能性もあるので、“これをわたしにやらせてくれませんか”と 会社に売り込んでみようかなと考えています。そうすれば自分なりの仕事のやり方ができるようになりますから」

 転職、そしてその最初の仕事が<社長の首を切ることだった>という。さらにはメンタルを病んだ部下から訴えられて裁判所にも通ったことやフランス人・スイス人・アメリカ人など、それこそ多国籍の上司と仕事をしたことなど、折に触れて生々しい現場の実態を話してくれました。“私だったらとても務まらないなあ”と何度も彼女の話を聴きながら、思ったことか。日々、職場でおきるさまざまな諸問題、そして言語の違う人々との協働作業。それらと向き合い、投げ出さず取り組んできた彼女のパワーは一体どこからくるのでしょうか!!1年前わたしの闘病中に、さりげなく「平井さんへの耳よりの情報です。わたしからのプレゼントです」と言って ゴージャスな軽井沢のホテルを紹介されたことがありました。彼女のセンスの良さ、ホスピタリティに感激した出来事でした。

 

―東京ステーションホテル・バー<カメリア>にて、ちょっとみなさん おしゃれしてー

 

 

Aさん

大学を卒業して新卒でメーカーに勤務、そしてめでたくこの夏60歳で定年を迎えるということです。もちろん、昨今 定年まで働く女性も増えてきています。が、彼女のように新卒・総合職で転勤も経験して、、という人はまだまだ少数派と言えます。

 7年前に東京から仙台へ転勤になりました。そしてその直後、あの東北の震災を経験したのです。震災の年の秋、親しい友人と彼女を激励に行きました。今でも震災直後の町の様子と“鳴子温泉の鮮やかな紅葉”が目に焼き付いています。会社も、彼女の実家も大きな被害を受けそこから立ち上がり、定年を前に本社勤務(東京)となって、この春 帰ってきました。
私との出会いは、彼女がまだ人事・研修の本社部門の担当者だった頃、私自身もまだまだ“ひよこ”でした。彼女は人事担当者として、わたしは仕事を依頼された外部講師として、切磋琢磨した日々が懐かしいですね。そして、かれこれ 30年余の時間が流れました。

 

この画像はFreepikによるデザイン

 

 彼女自身も人事研修のエキスパートとして、社内外の研修を手がけてきました。この3月の転勤に伴い、連日連夜「送別会のラッシュ」だったとか。さもありなん、と思います。もちろん、社内的にも怖い、デキル、一目置かれる女性ではありましたが、工場のあった地域の人々からも慕われていたのでしょう。地元企業や自治体との交流もとても大切にしていました。「今回、東京に転勤になるにあたりいろいろな人と会って、“わたしはなんて素晴らしい人たちと仕事をしてきたんだろう”と改めて気づきました」と彼女はウルウルした目で語ってくれました。

60歳になると、会社との雇用関係も変化するとのこと。「でも、わたしはこれまで わが社で誰もやらなかった雇用契約をして、ずーっと仕事は続けていきたいんです」と目をキラキラさせて、力強い表情で決意を述べていました。きっと 彼女ならやるだろう、やるに違いない。いわゆるデキル女性と言っても、最終的には多くの男性同様「定年を勤め上げる」という発想を持つ人がほとんです。でも、彼女なら いままでの実績を踏まえて何らかの働き方を会社へ提案して、おそらくそれを認めさせるに違いない。今後どんな働き方をしていくのか?どんな仕事をしていくのか?彼女から、目が離せません。



―真ん中の男性は、私の人生そして仕事の師匠・田畑真七先生(87歳)です―



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