2017年9月1日
4.“わたし、ケータイ電話を持ちません”
目に留まった新聞記事がありました。東京新聞・2017年7月23日の朝刊―<新聞を読んで、もしスマホなしならば>というコラム欄でした。東洋大学社会学部教授・水野剛也さんが書いています。
「ケータイもスマホも持ってないし、持ったことがないし、これからも持つつもりはない」ジャーナリズム論の初回の授業で私が必ず話す「鉄板ネタ」です。多い順に、次の三種類の反応が返ってきます。
- 「ホントですか?」とのけぞる。
- 一瞬の沈黙の後、珍獣に遭遇したかのようにプット吹き出す
- 「どうやって生きているんですか」と真顔で心配する。
「なぜ持たないんですか」という素朴な質問には「いらないから」とサラリとさばき、逆にこう尋ねます。「君らはなぜ、必要なの?」返答はほぼ決まっています。いわく固定電話がない、交通機関の遅れや休講などの緊急の情報、家族・友人などとの連絡、バイト・就活のため、各種の調べもの、暇つぶし、そして最後に「ニュースとか」。
さらにこう問います。「じゃあ、朝からニュースを含めてスマホでどんな情報に接したなか、教えてよ」虚を突かれ、絶句するデジタルネ―ティブたち。
(中略)
彼らとて感づいているのです。スマホだけでは表面的な理解しか得られないことに。簡単に手に入れて知識ほど、すぐ忘れてしまうことに。なのに、中毒患者のように手放せなくなっていることに。
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もちろん、ココラム欄はまだ続きます。そして最後に、効果的に新聞を読むことの大切さを促しています。
実は私自身も携帯電話を持ちません。理由は、必要性を感じないので。おそらく、実家の母が生きていたなら持ったかもしれないなあ、と思います。母はまだ、さほど世の中に携帯電話が出回っていない時代に他界しました。
そして“わたし、ケータイ電話を持ちません”と、言った途端に、この新聞記事のような反応をされてしまいます。過日は、即「ええ、じゃあ電車に乗ったら、平井さんは何をしているんですか?」と質問されて、こちらがビックリしてしまいました。
「あなたねえ、携帯電話が誕生したのは ホンノこの10数年のこと!!なのよ。わたしは電車に乗って景色を見るのが好きだし、何よりも人間が好きだから、、ヒューマンウオッチングしているかな」と答えたのでした。
でも最近は、あまりの反応の陳腐さにウンザリして、敢えて「持ってない」ことも話さなくなりました。
学生と接しているとインターネットで検索して得た情報をツギハギして「レポート」や「卒論」といって、当然のごとく提出してきました。いちばん怖いのは、スマホでやり取りをしているので、PCに向かってワードができない学生が増大してきていることです。このような学生とどう向き合っていくのか、教員受難の時代といえるかもしれませんね。
そんな思いをもっていた矢先、冒頭の水野先生の歯切れのいい文章が目に留まり、同じ感覚をもっている人がいるんだ ー と嬉しくなりました。
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―我が家にて、B大学の学生・YWCA留学生の母親運動で出会った留学生と一緒に―
彼らはまさに、“ライン世代”です。中国・台湾・タイ・日本の学生たちです。みんなアジア人、似ていると思いませんか?
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