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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2018年7月1日

5.わたしをささえてくれた言葉


この頃 折に触れて思うことがあります。それは「人が生きるということは多くの他者に支えられている」ということです。まあ、年のせいでもありますね!?(笑)

具体的に親・上司・先輩・友人など、本当にたくさんの人から手を差し伸べてもらい、今日にいたっています。もう少し、掘り下げてみると「他者から言われたいくつかの言葉がわたしの軸になっている」とつくづく実感できるのです。
 今日は特に今も軸になっている2つの言葉をご紹介します。

 

その1 「情報は 出す人に集まる」

これは20代の後半、転職したコンサルタント会社の上司から言われた言葉です。彼女自身の言葉だったのか、コミュニケーション理論の1つのセオリーだったのか、今となっては判然としません。

 

 が、間違いなくこの言葉はわたしのその後の仕事をする上での大きな指針になりました。その理由は嫌というほど、「情報を出さないために協力してもらえなかったこと」そして「情報を出さない人には、協力をしたくないと思った」経験を体験したからです。
特に、私自身が「情報を出さない」と意識したわけではないのに、結果として「そのときの状況をオープンにしてなかったために、欲しい情報をもらえなかった」ということがありますね。

 

 

さらに後者の場合はもっと実感できます。「自分の情報を出さずに、つまり自分のことは言わずに、人のことばかり知りたがる輩」は世の中にたくさんいますね。小さな例ですがわかりやすい例を出します。プールでこういう会話がありました。

 

「あなた どこからいらしている?」言葉使いは丁寧ですが、やじうま根性丸出しです。「何をしているの?」「年は?」「どこか体の具合が悪くて、プールに来ているの?」
矢継ぎ早に質問されて、「あのー失礼ですがこれ以上、勝手に 踏み込まないでください」と、私はキレてしまいました。私の強い口調に、訊いてきたオバサマはびっくり!! でも、案外 日常的にありそうな場面でしょう!?

 

相手から何事かを聞きたければ、自分のもっている情報をまず出すこと。たとえば、「わたしは本郷に住んでいるんだけど、、あなたは?」とか「長年の腰痛でプールにきているんだけれど、あなたは?」とか 最低限度のマナーではないでしょうか。

 

 

 わたしは携帯電を持ちません。だから外出して帰宅してPCのメールをあけるとき、「誰かからメールが着ているかな?」というワクワク感があります。友人と話すと「人によってレスポンスのしかたが違うね」とよく話題になります。ホント!!その通りですね。ただ、わたしは原則、気になったら訊く、こちらからメールをすることにしています。もちろん、最近は留学生とのやり取りでイライラが募りましたが、それもお国柄・世代間のコミュニケーションの取り方の違いかな、と思いました。

 

情報といっても、それが特別有益で確かなもの、、でなくてもいいと思いますね。今、自分の置かれている状況説明でもいいし、困っている現状についてでもいいのです。
これは 次の SOSを発信できる人―にもつながっていきます。

 

 

―東大安田講堂にて、五月祭で模擬裁判を見学したー

 

 

その2 「SOSを発信できる人ほど 強い」

実はこの言葉も、2つ目の会社の上司から言われた言葉です。強烈な言葉だったし、彼女(23歳年上)の魅力にひかれたことも事実でした。おそらく私が20代半ばという感受性の鋭い時期での出会いのせいかな、と今 思うのです。

 

「あのね、人は誰でも、本当は誰かの力になりたいと思っているのよ。でもね、どう、助けたらいいかわからない。おせっかいと思われたくない、という神経も働く。だから、むしろ積極的に“力をかしてほしい”と言われた人には、喜んで協力するものなのよ。
問題は、苦しいときに協力してほしいときに、それを率直に人に言えるかどうかーということね。わたしはSOSを発信できる人こそ、本当は強い人といえるのではないか!!と思っているのよ」

 

2015年からこの3年の間に、私はもしかしたら一生分の病気をしたかもしれません。「きっとこの時期が過ぎたら、ものすごく元気になりますよ、平井さん」と言ってくれて友人がいます。嬉しいし、この言葉に励まされました。

 

この夏、膝関節症の手術のときは<こっそり、ひっそり>手術をすませよう!−と 思ったのですね、最初は。ところが そうもいかなくなりました。とにかく外へでること、行動することが大好き人間ですから「断る」ためには 事実を明らかにしなくてはなりません。「もっとこれからも行動するため、動き回るため 膝の手術を決めました」と公言しました。言ってしまうと、気が楽になりました。

 

乳がんの闘病中も後輩がサポートしてくれました。大学の授業にサブとして入ってくれ、一緒に授業を運営してくれました。
「入院の日は私が行きます」「私が手術には立ち合います」「お見舞いには何がほしいですか」−たくさんの手が、声が届いて本当に心強い日々でした。

 

そのような私自身の体験もあって「他者からのSOSの声に、耳を澄ませよう」というアンテナを一層磨いていかなくては、と思っています。
自らも率直にSOSの声をあげる、同時に誰かのSOSをキャッチできる ーそういう人間でありたいと心から思っています。

 

―前列右から2番目が台湾からの留学生ファンさん、東大五月祭にてこのメンバー6人でパフォーマンス(歌)やりましたー



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