2018年11月1日
1.NY センチメンタル・ジャーニー
1年前、2017年の秋にアメリカ在住の兄が他界しました。そのお墓参りのために9月中旬にNYへ旅してきました。年の離れた兄でしたが20代の後半で日本を離れ、彼の83年の生涯の内、そのほとんどをカナダ・アメリカで暮らしました。
私が前回NYへ行ったのは2012年の春でしたから、6年ぶりです。変わったところ、懐かしいところ、そして兄のお墓参りにまつわるエピソードをご紹介します。
その1 美しい森の中の公園墓地
マンハッタンから北へ車で1時間あまり、NY州の森の中のちょっと開かれた小高い丘にそれはありました。実は<それ>といっても いかにもアメリカ?的な話なのです。行く前に、姪(つまり 兄の娘)から「ゆきこさん、お墓のプレートはこうデザインしました」とコピーを見せられました。そこには<名前。生まれた日―亡くなった日>が刻まれています。ところが その後「でもね、このプレート まだ完成していないの。発注したから3か月かかるといわれて、10月にできる予定です.今は行っても何もありません」というではありませんか。「へーっ、これがアメリカか!?」と内心 驚きつつもその墓地へ向かいました。
車を降りてー美しい芝生の丘に向かったのですが、なにしろ目印になるものが 私にはわかりません。ややあって、公園墓地の管理事務所のスタッフとおぼしき女性スタッフが出てきて「たぶん、ここでしょうー!?」と言って、場所を指し示してくれました。
わたしも、同行してくれた友人も、姪も、その夫も、もはや苦笑いしかありません。
まぶしいほどの光の中、青空の下で ゆっくりお参りすることができました。帰りしな、ふと、もう埋め込まれ他のプレートを見たら「2001年9月11日」という文字が刻まれていました。あのテロの犠牲者でしょうか。おそらく遺体がないままに、ご家族がここにお墓をつくったのでしょう。
もう1つ、胸を打たれたことがありました。私の兄は日本で日本人の女性と結婚して、その後アメリカへ渡りました。3人の子供が成人した頃に、離婚。数年後アメリカ人女性と再婚しました。トータルすると最初の奥さんと30年、2度目の奥さんともほぼ同じ時間を過ごしたことになります。2度目の奥さんが兄を看取りました。
その奥さんが「わたしも彼の隣で眠りたい」と申し出て、兄の隣の墓地を買ったそうです。もちろん、まだこの人はお元気で70代の半ばですが、看護婦として現役です。とても素敵な女性で,いい人と巡り合ったんだなあーとこの話を姪から聴いて、私自身も心から嬉しくなりました。
その2 リンカーンセンターでのバレエを、再び
今回は「NYは初めて」という友人と一緒、しかも彼女もミュージカルやバレエが大好ききということもあって、事前にネットを駆使して予約をしてくれました。中でも懐かしかったのは、リンカーンセンターの中にある劇場で、NYバレエを見たことでした。
もう20年も前になるかもしれません。すぐそばのメトロポリタン劇場でオペラを見に来たことがありました。こちらは 日本のエージェントがチケットを手配してくれたのですが、全く昼間はフリーでした。そこで、ふらふらと劇場の窓口に行ってみたら、すぐにチケットが買えたのです。ブロードウエーのミュージカルとはまた一味ちがう劇場の雰囲気でした。
お上りさんではない、まさにバレエが好きな地元・NYの人たちが楽しんでいるという感じ、これは昔も今も同じかな、、と 懐かしい気持ちになりました。小品が4つ、古典というよりもコンテンポラリ―ダンスに近いシンプルな衣装、切れのいい振り付けで 小気味のいい舞台でした。何よりも 観客の反応が直接的で、うまい?人気のあるダンサーには惜しみない拍手が鳴りやみませんでした。
その3 大衆化路線のプラザホテル・フードコート
その昔、もう30年前になるでしょうか。今度お墓に案内してくれて姪が結婚した時、そのセレモニーに出席するためわたしはNYに行きました。その旅の終わりに、NYの豪華ホテループラザホテルに泊まろうと一緒に行った女性の友達と計画したのです。
まだ、バリバリの現役でしたので、短い休暇をぬってNYに旅して最後は「豪華に決めたい」とわくわくしてチェックインしました。今もそうかもしれませんが「全員のパスポートをお預かりします」と言われて、そのホテルの格の高さ!?にびっくりしたことを覚えています。英語を使うことにも疲れて、確か?ルームサービスをとったような記憶があります。
多少高くついても、豪華なプラザホテルのお部屋でゆっくり美味しいものを食べた(何を食べたか、忘れましたが)んですね、女性3人で。
このプラザホテルはマンハッタン・セントラルパークに隣接しています。なんと、このホテルの地下に高級デリカショップ・フードコートができていました。いわば、帝国ホテルの地下に三越本店のデパ地下があるような感じですね。今回の旅のために買った<NYガイド本>には「ここで美味しいモノを買って、セントラルパークまで行ってピクニック気分で食べるのがお勧め」ナンテ 書いてあります。
とにかく、NYは世界一物価が高いのです。特にまともなレストランに入ろうものなら、チップも含めて、法外な値段になってしまいます。原則チップは不要、明朗会計で明示された値段で 思いっきり好きなものを買うことができました。ただし、目の前で手作りで作ってくれるサンドイッチ屋さんなどは、<チップ箱>が置いてありました。そこへチップをはずむと「ピックルスを どさっと多めに入れてくれる」というオマケもありました。
好きなものを好きなだけ買って、やわらかい秋の日差しを浴びながら、セントラルパークのベンチでゆっくりと女二人は至福の時を過ごしたのでした。もはやプラザホテルに泊まりたいという願望はありませんが、「このフードコートのお買い物 + セントラルパークのひととき」は またいつか挑戦したみたいですね。
その4 思いがけない、そして さりげない出会い
旅のだいご味は、予期しない出来事との出会いがあげられます。それも決して大げさな事でなく、ちょっとしたささやかな出来事がむしろ、後になって心に響くものとしてよみがえってきます。
<私たちだけのためのパイプオルガン>
MOMAに行こうと張り切って地下鉄を降りたのですが、東京の大手町駅のように出口がたくさんありました。とにかく「地上に出て方向を確認しよう」と決めて、ある出口から地上に上がったら、小さな教会が目に留まりました。まだ午前中の静かな時間でした。中に入った途端、ほとんど人がいないその空間にパイプオルガンの音がいっぱいに広がっていました。しばらく、たぶん20分くらいだったと思いますが、椅子に座ってその音に聞き入ってしまいました。教会を出てからお互い顔を見合わせて「なんだか、ものすごく得した気分ね」と友人と言葉を交わしました。
<地元の週末のイベント>
ブロードウエーだけでなく、オフ・ブロードウエーにも挑戦、ということで あまりこれまで足を踏み入れたことのないマンハッタンの南にあるイースト・ビレッジに行ってみました。15:00からのマチネを見るために、昼過ぎに着きました。
地下鉄の駅からその劇場まで少し歩かなければなりませんでした。途中に小さな広場があって、その日はちょうど土曜日でしたので、そこでちょっとしたイベントが行われていたのです。広場に舞台が設営されていて、その前に100人くらいが座れそうなベンチも並べられていました。
もちろん 誰が座っても、どこに座ってもOK。どれくらいいてもOK。勝手にスタバ―のコーヒーを片手に体でリズムをとっている人、ラテンのバンドに合わせて舞台の前で踊り出す人、それぞれが本当に自由にこの空間・音楽を楽しいでいました。舞台では ジャズやラテンなど、、こちらも、さまざまいろいろな音楽が演奏されていました。
ド迫力のオフ・ブロードウエーの舞台にも圧倒されたのですが、この何気ない小さな街のイベントにお邪魔させてもらったことは、楽しい出来事となりました。帰り道もここを通ったのですが、小さな広場のイベントはまだまだ続いていました。観光客ではないまさにここの地元民が心からこの場・この時間を楽しんでいることが伝わってきました。
アッパーマンハッタンとはまた一味違う、ニューヨーカーの素顔を垣間見たような気がしました。
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