2019年7月1日
4.劇場という空間 −そこに来る人間を見ている、私―
昔から劇場へはよく出かけていた。劇団四季のミュージカルも好きだったし、オーケストラのコンサートも定期会員になって足しげく通ったものだった。
そして今、劇場へは相変わらず出かけている。が、すこしその“劇場”に変化が起きてきている。まず なぜか?大きな劇場には行かなくなった。
一番 コンスタントにいっているのは 初台にある国立小劇場や下北沢の本多劇場。そして今年になって音楽ではトッパン・ホールへ。さらに東十条の篠原演芸場と浅草の木馬館も。
大劇場より、演じる人が身近に感じられる距離感がいい。オーケストラの迫力ある大演奏にももちろん感動はするが、それ以上に演奏している人の表情や息づかいが感じられる空間に自分の身をおきたくなっている。
3年間チケットをフルセットで購入して通った、オペラを見るのをやめた。もちろんオペラそのものには、感動したが、どうにもこうにもあの“カーテンコールのダラダラ”が絶えられない。カーテンコールの始まる前にさっさと逃げるようにオペラパレスを後にした。
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そして、気づいたことがある。
劇場に行って音楽や芝居を鑑賞しているのだが、それ以上に わたしはそこに来る観客を眺めているということだ。当然と言えば当然なのだが、その劇場の演目によって全くそこに集う人々が異なる。
オペラパレスに集う人々はマチネーでも日本では?そぐわないような肩をだしたドレスを着てくるご婦人もかなり見かける。本多劇場などでは、昔の?ウーマンリブの面影を残したインテリおばさんがたくさん来る。
そして、大衆演劇の篠原劇場や木馬館には、、、地味な化粧っ気のないおばあちゃんもいるし、その人がお目当てのスターに突進していく様には、芝居以上に私の目が釘付けになる。
マッサラな1万円札を扇のように広げてネックレスのようにして、ごひいきの役者の首にかけるしぐさ、そして其れに応える役者の様子もー。もう見ているだけでワクワクする。・・・ 正直言って、そのパフォーマンスにあっけにとられている私なのだ。
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―― というわけで、マッタク意図したわけではないのに私の中の“劇場”が大きな変化を起こしている。
大劇場から小劇場へ。気取っている人・おすましさん・インテリ風情の人よりも大衆のおばちゃん・おじちゃんの在り様になぜか興味深々だ。私は、今 この劇場というよりまさに“小屋”に集う人々に惹きつけられている。
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