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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2019年7月1日

5.「30年前の約束」  西村 孔江さん 執筆


<2017年9月― 2年前にメールが >

 

2017年9月26日、友人のJeanからしばらくぶりに1通のメールが届きました。

Jeanは、34年前、私がベルリッツ外国語スクールにお客様担当として勤務していた当時の同僚です。1989年にJeanは、退職し、アメリカのシアトルに帰って行きました。

メールをもらった日は、ちょうど彼女の62歳の誕生日。バースデーメッセージを送ろうと思っていた矢先の出来事でした。

 

私達は、長い間友達だよね。お互いに人生いろいろあったね。

よしえと原宿ぶらぶらウィンドーシッピングして食事に行ったことがとっても楽しかったな!最後によしえとどこか旅したいと思っていたのに、それももう出来そうもないね。

でも1つだけ忘れないでね。あなたは、私の人生にとって特別な友達。いつも大切に思ってる。メールの最後にGoodbye my friendとありました。

 

 

メールのやりとりで分かったことは、彼女が末期癌で余命半年と診断されたこと。

会社を休職して治療すれば、延命できるかもしれないことでした。

Jeanとは、この10年、お互いに忙しく、誕生日とクリスマスカードのやりとりしかできていませんでした。30年前、彼女がアメリカに帰国するときに、いつか2人が退職したらゆっくり旅行しようねと言ったJeanの笑顔が思い出されました。

 

 

 

 

<そのときの 私の事情はー >

 

メールをもらった当時私は、スイスに本社のある多国籍企業の人事責任者として企業合併のプロジェクトを抱え、その上、父の喉頭癌の大手術、母の認知症進行による嚥下機能低下の入院が重なり、週末は、父と母の病院、実家の郵便物チェックと目のまわるような日々を過ごしていました。

 

10年前に妹を病気で亡くし、病院からの連絡は、私1人という環境の中、毎日携帯が鳴るたびにびくびくする日々。とてもシアトルまでJeanのお見舞いに行くことは、叶いません。

私からJeanに電話するとメッセージを送りました。

 

シアトルとの時差を気にしながら、教えてもらった電話番号に何度か電話してもJeanが出ることは、ありませんでした。

運悪く両親の容態は、ますます悪化し、私は、病院に近い実家に寝泊まりすることが多くなり、Jeanに電話もできないままあっという間に時間ばかりが過ぎてゆきました。

 

 

 

 

<2018年 ―― Jeanの友人Nancyから>

 

3ヶ月後の2018年1月7日に母が亡くなり、久しぶりに自宅マンションに戻ってみると外国人の見知らぬ女性から留守番電話が3本。

1本目は、Jeanの友人のNancyです。シアトルから電話しています。電話をください。

2本目は、留守番電話聞きましたか?お願い、電話して。

3本目は、何で電話してくれないの?Jeanが12月23日に亡くなったのよ。と半ば怒ったような声が響きました。

 

すぐにメッセージに残っていた番号に電話したところNancyは、Jeanの教会の友人で彼女の最後を看取った人ということがわかりました。よしえに連絡して欲しいと最後にJeanから頼まれたそうです。その後、Nancyからは、教会で行われたJeanのお別れ会の式次第が送られてきました。会社の同僚が集まりとても良い会だったとメッセージが添えられていました。

 

母が亡くなった2週間後の1月21日に父が亡くなり、それから半年くらいたったある日、Jeanの遺言で私にお金を送りたいとNancyから突然メールがあったのです。

後見人として遺品整理、コンドミニアムの売却、その他すべての片づけを済ませると半年かかかってしまったと記されていました。

 

自分の忙しさのために、電話もできず、話をすることもなく逝ってしまったJeanに私は、後悔の気持ちで一杯でした。何度も電話したらもしかしたら最後に話ができたかもしれない。私は、そのお金をNancyの教会に寄付をしたいと即座に申し出ました。そんな私に彼女は、Jeanの思いを無にしないで。あなたが一度、受け取って、それから寄付をしたければ、そうしたらとアドバイスを頂きました。

 

振り込まれたお金は、ちょうどJeanと2人でのんびり旅行ができるくらいの金額でした。

2年前にコンドミニアムを買い、住宅ローンやアメリカの健康保険の高さで将来が不安だと2年前のクリスマスカードに書いていたJean。一人暮らしで決して楽な生活では、無かったことを私は、良く知っています。私は、このお金を何に使ったらJeanの思いに報いることができるか考えました。

 

 

 

 

 

<2019年初夏 シアトルへの旅>

 

結論は、シアトルまでお墓参りに行くこと。

Nancyにお墓の場所を聞いてみると、Jeanの遺言で海に散骨したことがわかりました。

シアトルから車で北に2時間半、カナダの国境に近い海辺の街ベリングハムに息子家族が住んでいるの。息子の持っているボートでサンファン諸島に行き、海に散骨したのよ。もしよしえが来るのなら連れて行ってあげる。ぜひ私の家に泊まって。冬の間は、私は、暖かいアリゾナに行っているけど、来年4月末には、シアトルに戻るわ。

そんなNancyからの申し出に私は、5月に行くと即答しました。いつかやれたらいいなと言うのは、もうやめよう。いつかは、永遠こないかもしれないから!

今年5月15日、私は、シアトルに旅立ちました。ほんの少しの不安と期待とともに…。

人生で初めて、見知らぬ人のお宅に泊めていただく。Nancyのことは、何も知らない。電話で一度話しただけ。声の感じだと70歳前後の人かな?ただそれだけ。

 

 

 

 

 

シアトルの空港に着いて電話をすると5分もたたないうちに満面の笑みを浮かべた中年の女性が私に近寄ってきました。Nancyでした。

彼女のコンドミニアムは、空港から車で20分くらいの海の前に立っていました。

 

インテリアは、すべて海グッズ。灯台が大好きでドールハウスのような灯台が部屋のいたるところに飾ってあります。キャンドル、お皿やカップ、紙ナプキンにいたるまですべて灯台。リビングルームからは、海が見えてとても素敵な部屋でした。

ご主人のGaryは、Nancyとは、真逆のもの静かな紳士。結婚前、日本の父島に海軍のコックさんとして1年駐在していたこともわかりました。

Nancyは、退職前まで銀行に勤務していたそうで、今は、ご主人と2人暮らし。

 

 

 

 

 

 

<Jean という人>

 

夕食までの間、Nancyは、Jeanの部屋を片付けていたら古いアルバムを見つけたの。一緒に見ようと言い5冊のアルバムを持ってきました。

貴重面だったJeanらしくアルバムには、1枚1枚メッセージが添えられていました。

 

Jeanの子供時代、若き日の私の写真や懐かしい同僚の写真もありました。アメリカ人の父と日本人の母を持ち、一人娘として愛情一杯に育ったけれど、どこか寂し気なJean。よしえには、打ち明けるけど、私は、赤ちゃんのときに今の両親の幼女になったの。実の両親のことは、全く知らないし聞こうと思ったこともないんだ。そう言っていたことが思い出されます。

 

それから私とNancyは、Jeanと知り合ったいきさつやエピソードなど時間の過ぎるのも忘れて話しました。印象深かったのは、ユーモアたっぷりで人を喜ばせることが大好きだったJeanの孤独をNancyは、よく理解していたことでした。

Nancyがあなたは、私の本当の家族よとJeanに言ったときに、うれしそうにしていた話を聞き心が温まりました。

 

 

 

 

リビングルームには、Jeanの写真と一枚のカードが飾ってありました。

そのカードには、Jeanの主治医と看護師さん達からのメッセージが書き込まれていました。ドクターのメッセージは、初めて診断したときにすでに病気のステージがかなり進んでいたこと。彼女がどれだけ治療を頑張ったか。そして今は、痛みも苦しみのない平安なところにいるから大丈夫だよとありました。看護師さん達からも大切な人を失った心の痛みに共感するようなメッセージの数々。アメリカのすべての病院でこのようなカードを頂けるのかわかりませんが、少なくても残された家族や友人にとっては、心の支えになると感じました。

 

べリングハムには、NancyとGaryの運転で約2時間半。山と海が見える素敵な海辺の街です。街からは、サンファン諸島の島々が見え日本の瀬戸内海に似ているなと感じました。

サンファン諸島は、およそ200の大小の島々があり、自然豊かな島には、夏になるとアメリカだけでなく世界中から人々が訪れるようです。フェリーで30分。ルミ島に着きました。

島を1週しても40分は、かからない小さな島で、瀟洒な家々には、色とりどりの花々が咲き乱れていました。青い海と白い雲。まるで天国に一番近い島。

 

Jeanの散骨は、あの島と島の間でしたのよ。お花とバスケットも流したわとNancyが指さしました。日本まで繋がっている海。来て良かった!!

その夜、息子さん家族と夕食を共にし、翌日サンファン島に渡るフェリー乗り場までNancyとGaryに送ってもらいました。

 

サンファン島は、諸島の中でも一番のリゾートアイランドです。車で1時間あれば一周できる小さな島は、おしゃれなホテルや別荘、広大なラベンダー畑もありました。岬からは、ホエールワッチングのボートも出航しています。今は、鯨、オルカ、シャチ、ラッコも島の近くに来ているようです。

 

・・・・・・

 

島を回りながら私は、何度もJeanに話かけました。私は、昨年3月に退職したよ。お互いに長い間よく働いたね。

やっと30年前に約束した旅ができたね。Jeanと最後に電話できなくてすごく後悔したけれど、後悔してもいいんだって思ったよ。後悔から始まる何かがあるから。

 

サンファン島からカナダのビクトリアにフェリーで渡り、バンクーバー経由で帰国。私の9日間の旅は、終わりました。これから何年生きるかわからないけれど、どんな自分でありたいか考えさせられた旅でした。ありがとうJean

 

 

 

 

 

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「追記」 西村さんと私

西村さんは私の古い友人です。出会いは、30年位前 彼女がベルリッツの人事担当者で私がこの会社の人材育成の仕事をお手伝いしたことでした。そのころ、西村さんはJeanさんと出会っていたのですね。素敵な女性で、ほぼ初対面にも拘らず「今夜、私の本の出版記念パーティがありますので、出席してくれませんか?」とお誘いしたのです。これがお付き合いの始まりで、今ではかけがえのない友人です。

 過日「大昔、一緒に働いていたアメリカ人の女性が私に遺産を残してくれたのです。そこで、、、」といって、上記のエピソードを話してくれました。

もちろん私自身はJean さんもNancyさんのことも存じません。ただ、この話を聴いたとき、何か心を打たれるものがありました。2人のアメリカ人女性の固有のパーソナリティのせいかもしれません。同時に、それに応えようとした西村さんの人柄にも、わたしは感動しました。お読みになった人が、それぞれ何かを感じ取っていただければと思います。



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