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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2019年9月1日

3.「孤独死のマナー」井上道子さん 執筆


1 <わたしのプロフィール>

平井さんとは、同時期に乳ガンの診断を受け、その後の治療を乗り越えてきたという共通項があります。そして、SSSネットワーク・女性たちの「共同墓」の仲間でもあります。

私は、看護師のキャリアを経て、埼玉県T市の地域包括支援センターで管理者として働いていました。2000年に介護保険制度が誕生し、各地で孤独死の問題がクローズアップされ始めた2005年に、地域支援事業のひとつとして「地域包括支援センター」が全国に設置されました。

 

 

この支援センターの財源は介護保険で、設置責任者は介護保険の保険者である市区町村です。支援センターには、社会福祉士、保健師または看護師、主任ケアマネジャーの配置が必須とされ、「高齢者の総合相談窓口」が業務の中心となります。介護保険を利用する時の窓口でもあり、第一号被保険者の65歳以上の高齢者だけでなく、40歳から64歳までの第二号被保険者の介護相談にも対応しています。

センター職員はそれぞれの専門性を活かし、日々地域の高齢者を見守り、問題解決にあたります。そして、地域住民の生活を見守り支援する役割を担っている民生委員とは協力関係にあります。
民生委員は、厚生労働省の委嘱を受けて、無報酬で地域住民の社会福祉の増進のため活動されている方々です。年齢は30-70代と幅広く、最近は働いている女性、現役世代も多くなってきています。かっては 地域の御世話好きな方の名誉職的な色合いも濃かったのですが、現在ではむしろなり手がいない!!という新たな問題も起きてきています。

 

 

 

2 < ある会議のテーマ !?ー孤独死ゼロの町を目指して>

ある日、参加した民生委員の会議で、配布された資料に目を通すと、「孤独死ゼロの町を目指して」というテーマが目に飛び込んできました。当時、NHKの特番でも取り上げられ、世間の関心事であった「孤独死」の問題が、民生委員さんたちにこのようなスローガンを掲げさせるまでになっていたのです。

 「えっ、ちょっと待って…」
 「地域から無くしたい孤独死って!?」

私は、それまで何件かの孤独死に立ち合っていました。その経験から、独り暮らしの人が誰にも看取られず亡くなることは悲しいことではありますが、孤独死自体はなくならない、と感じていました。

 

 

そこで、民生委員さんたちの真意をはっきりさせないと会議に加われないと思い、会議の冒頭質問してみました。「孤独死については、どういうイメージをお持ちですか?」と。
すると、民生委員が考える孤独死とは、「独り暮らしの人が、誰にも看取られず亡くなること」で、「地域にとっても不幸なことなので、この地域からは出さないようにしたい」という返事が返ってきました。

民生委員の重要な役割には、地域の独居高齢者の安否・生活状況を把握するための戸別訪問があり、地域の課題として関心が高いのは理解できます。
私自身独り暮らしですが、独居者は夜になれば独りで眠るし、家では独りで過ごす時間が圧倒的に長い。そのような時間帯に死が訪れることも 当然あり得ることです。

例え、介護保険を使っても、施設にでも入らない限り、24時間介護を受けることなどできないし、孤独死は高齢者だけの問題でもありません。今後、独居世帯はますます増えていきます。特に現在、国をあげて病院死ではなく在宅死を推奨している現状では、民生委員さんたちの考える「孤独死ゼロの町を実現する」のは難しいでしょう。

 

 

 

3 <孤独死は 身近な事柄>

私たちにできることは、孤独死をゼロにする町をつくることではなく、例え孤独死をしても困らない地域にするための取り組みではないでしょうか。―と、わたしは話してみました。

包括支援センターには、「最近、隣の住民の姿を見かけない」 「新聞がたまったままになっている」 といった相談が寄せられます。このように近隣住民の異変に気づいてもらえることは大変ありがたいことです。

支援センターとしては、そのような相談があれば、家の中で万が一…という緊急事態も考えられるため、直ぐに動きます。所在不明となっている住民の携帯電話に連絡すると、家の中で鳴り続けている…という状況の時は、現場は一気に緊張が高まります。そのような時は、行政と相談し消防の協力を得て、窓を破って家に入り安否の確認をします。

 

 

また、所在が不明なまま何の情報もなく、仕方なく遠方に住む子供に連絡を取ると、本人は入院していたり、海外旅行中だったというケースも少なからずありました。最悪な事態でなくて良かったと安堵すると同時に、こういうことが繰り返されないためには何ができるのだろうと思いました。
そのような経験を通して、住み慣れた地域で最期まで暮らし続けるには、独り暮らしにもマナーが必要であり、それは孤独死のマナーにもつながると思うようになりました。

その日の民生委員の会議では、それまでに実際に地域であった孤独死について検討し、地域で起こってはいけないこととして扱わず、身近に孤独死があるという現実を地域住民に知ってもらい、自分のこととして考えられるような働きかけが必要だという結論になりました。

 

 

4 <看取りの経験―ある男性のケース>

次に、とても記憶に残る高齢者の看取りを経験しましたので紹介します。この経験は、その後の私の人生の終い方を考える上で大変役立ちました。一緒に動いてくれたケアマネジャーや成年後見人には心から感謝しています。

男性の背景―

担当地域に暮らす一人暮らしの70歳代の男性は、10代の頃に故郷・新潟を後にし、親族と50年以上も一切の連絡を絶っていました。
持ち家のマンションに住み、話し好きではありましたが、子供はなく地域との関わりはほとんどありませんでした。初婚の妻、再婚した妻も病死し、埼玉県内の寺で一緒に供養しており、この男性は少ない年金から毎年住職に送金していました。

歩行が困難となり、民生委員から支援センターに相談がありました。介護保険の利用を開始するにあたり、連絡が取れる身内が居ないこともあり、担当するケアマネジャーはフットワークのいいケアマネジャーにお願いしました。
訪問介護を利用しながらの生活にも慣れてきた頃、認知症の症状が観られるようになり、裁判所に成年後見人の申し立てをする必要も出てきました。この男性の支援チームの一員として動いてもらうには、後見人の選定も重要でした。

 

 

看取り、そしてー

そして、包括支援センター、担当ケアマネジャー、成年後見人、介護サービス提供事業者、医療機関が連携しそれぞれの立場で支援しました。最期は在宅での看取りとはならず、一週間ほど入院した後、病院で亡くなりました。

入院費用の支払い、死亡診断書の届け出、火葬場の予約、病院からご遺体を移送し火葬までの数日間安置保管してくれる業者を探す、火葬後のお骨をどうするか…等々することは次々にありました。
その間、市役所がしたことといえば、戸籍を辿り「故人とは一切関わることはできない」という親族の返答を引き出しただけで、何もしようとしない行政には私は率直に言って驚かされました。

私は思案の末、二人の妻の墓がある寺に連絡を取りました。住職に状況を説明したところ、生前の故人との関係を大切に考えてくれ、火葬場まで足を運んでくれました。火葬中に待機する部屋を住職が借りてくれ、長い付き合いである故人の話などしてくださいました。
骨上げは住職、ケアマネジャー、後見人、私で行いました。その後の納骨も住職が日取りを決め、立ち合った私たちに温かい労いの言葉をかけてくださいました。私は感謝の気持ちとともに、この日墓前に流れていた温かい空気を忘れることができません。

この男性の後見人から学んだこともたくさんありました。
本来、後見人の役割は生前に限られ、死亡した時点でその役割は終わりますが、この後見人は最期まで傍に寄り添い、おかげで私たち支援者はずいぶん助けられました。納骨後も預貯金の解約、保険金の請求手続きをし、更に、売却まで時間はかかりましたがマンションの処分までやっていただきました。

 

 

 

5 <まとめー 人は 人のお世話になりながら死んでいく>

一口に孤独死といってもいろいろなケースがあります。ご紹介した男性の場合は正に“後味のいい支援”ができたーと、感じることができました。
支援を必要とする相手の方とももちろんのこと、その方を支援するさまざまな方々との信頼関係が大切だということも身をもって実感しました。

私はこの経験から、「人は死んだ後に、人に委ねなければならないことがなんと沢山あるのだろう」と教えられました。私にもやがて訪れる死に備えて準備するべきことがスッキリと整理でき、老いていく不安がなくなりました。

そして、地域の中でいろいろな人にお世話になりながら死んでいくのも悪くないなぁ、と思うようになりました。

 

 

 

 



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