2020年1月1日
2.小さな3つの物語 (ベルリンにて)
その1 本場でベルリンフィルを
今回の旅の発端は「ベルリンでベルリン・フィルを聴く」ことだった。それは 5月にアムステルダムでコンセルト・ヘボ―を聴いたことが引き金になっていた。クラシックは好きだが、どうしても、、という熱烈ファンでもない。若い友人の誘いに乗っかったというのが正直なところだった。
だから、ホテルもコンサートホールから徒歩圏内。極寒の夜の道を歩いてホテルにたどり着き、ワインを傾けながら 今、聴いたオーケストラの音に酔いしれたのだった、3晩も。
(最初の夜のコンサートはー伝説のコンダクター・ズービンメーター、コンサートマスター・樫木大進、 曲・ブルックナー 交響曲 8番)
その2 不思議な美術館
ベルリンと言えば、「ベルリンの壁」がつとに有名だが、それ以前にドイツは2度の世界大戦で敗戦国となった国である。日本でも、最近広島で「軍服を作っていた工場」の遺跡が1つを残して壊されるというニュースが流れた。ベルリンでも、特にロシア軍を意識した防空壕がいくつか残っている。ブンカ―と呼ばれている。壊すにも、莫大な費用がかかるそうだ。そしてこのいくつかがリノベーションされ、個性的な美術館に生まれ変わっていた。そのうちの1つに「日本語によるガイドツアーあり」とわかり、インターネットで予約した。
残念ながら、この内部の写真がない。撮れないのだ。入り口でチェックインして、まず<無の空間>の洗礼をうける。(下記の内部の写真はトリップアドバイザーより)
真っ暗、音もしない。と思ったら、、2分間、不思議な音?音楽が暗闇の中から聞こえてきて、そこからアートの世界に吸い込まれていく。2フロアでおそらく1フロア100平米くらいの広さ。そこに私と友人の2人だけがお客。30歳くらいの日本人女性はささやくような声で、最小限の説明をくれた。展示されている作品は、オリエント時代の仏像、中国の古い家具など。一切 説明などのパネルもない。
厳密に時間で区切っているのだろう。誰も入ってこない。たった3人だけで、ものすごく贅沢な空間を独占したのだった。美術館を出て下界に戻ったら、現実の世界の明るさにめまいがしたのだった。
このファイエルレ・コレクションは、私にとって生涯忘れられない美術館となるだろう。
|
この美術館の近くにあった、屋台・タイ料理のやさしいお兄さん |
その3 ユダヤ人の慰霊モニュメント (ドイツの覚悟)
「ベルリンで一番 印象に残っている所は?」と問われた、わたしはここをあげる。それはブランデンブルグ門の近く、ある通りと通りの一角にあった。何も説明の表示がない。コンクリートの塊が、、並べられているだけのモニュメントだった。高さもマチマチで、あるところはそびえ立つようにこの塊がならび、人がひとりやっと通れるだけの通路しかない。そう、わかりやすく言うと<迷路のようにコンクリートの塊が並んでいる>のだ。
低いところは大丈夫だが、さすがに覆いかぶさるようにコンクリートが並んでいるエリアには 近づくことができなかった。
ナチによって虐殺されたユダヤ人の慰霊のためのモニュメントである。なんとこの建設のために17年かけたというから、言葉がない。もちろん、建設については賛否両論あったというが「過去の負の事実から目をそらさないドイツ政府の強い決意と覚悟」を表している記念碑なのだ。
私がここを訪れたのは、夕暮れ時だった。ポツポツと人がいたが、決して楽しい場所ではない。人々の表情は、それぞれが深い思いにふけっているように見えた。
<< メニューへ戻る
|