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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2021年1月1日

2.GO TOを使ってみたら <四万温泉 3題小話>


2020年秋に、地方在住の友人と四万温泉で現地集合してつかの間の休日を楽しみました。わたしには無縁と思っていた「GO TO トラベル」の特典が利用できて、超お得な旅になりました。旅の間中、常に「ありがとうございます」「申し訳ありません」という気持ちがつきまとっていました。

 ここで発見したこと、<四万温泉 3題小話>です。

 

①奥四万湖のポスター(大人の休日クラブ・吉永小百合)

 

 四万温泉に行くために、上野から<特急・草津号>に乗りました。
中之条でバスに乗り換えました。中之条駅、四万温泉の観光案内所、地元のウナギ屋さん、そして宿。いたるところにあの吉永小百合の<大人の休日クラブ・四万温泉>のポスターが張られていました。残念ながら、都心ではほとんど見かけたことがありません。
 聞けば、2020年はこの「四万ブルーの奥四万湖を背景にした、美しい小百合さんのポスター」を大々的にPRして、町を挙げての一大観光ブームを起こそうという記念すべき年だったそうです。臨時のバスを運行して、、と 一大プロジェクトだったらしいのです。

 

東京・銀座にある群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」の公式Twitterより

 

 それが「すべてコロナ禍で おじゃんになりました」と宿のおかみさんから聞きました。 心なしか、ポスターの小百合さんの表情も残念そうに見えました。翌日 秋晴れの下、私たちは泊まった宿から、およそ40分かけて歩いて奥四万湖を目指しました。そして、美しい四万ブルーを目にすることができました。

 

 

 

 

②食事が素晴らしかった宿

 

 私にとって四万温泉は初めての場所でした。昔 行ったことがあるという友人に最終的な宿の選択をお願いしました。「いろいろあって迷ったけど、食事が美味しいところというので決めました」と言われて、期待していきました。
 そこはわずか8室の小さな宿、もちろん 他のお客様もいましたが食事の場所は個室で、周囲を気にせず心ゆくまで見事な芸術品のような和食を堪能しました。夕べの膳に 笹でこしらえたコオロギが載っていたり、料理人の遊び心というか気合が感じられました。

 

 

 

 

 3日目の朝は宿のおかみさんの故郷、奄美大島の郷土料理である鳥のお茶漬けが出されました。宿のスタッフも、「ビックリしないでくださいね」と 誇らしげに話していました。
スタッフが自信をもって、自分の宿のことをお客にPRできるのは、「聞いていても気持ちがいいもの」ですね。

 チェックアウトする日の朝、外へ出たら白い上着を着た板前さんらしき人がいたので「とっても美味しい食事でした、ありがとうございました」と声をかけたら、彼から満面の笑顔が返ってきました。あくまで 口下手な職人さんらしき風情の人でした。

 

 

 

 

 

③スリランカから来た若者

 

 もう1つこの宿で印象的だったこと、まだ若手といってもいい!?40代半ばのご夫婦が経営者のようでしたが、スタッフの中にスリランカからの若者がいたことでした。会ったのは男性と女性の2人でした。特に女性は年齢が不明でしたがおそらく30歳くらい?でしょうか。あまりにも 落ち着いた丁寧な態度とキレイな日本語だったので、つい食事のサービスをしてくれた時に話しかけてみました。「どちらのお国から来たんですか?」と訊くと「スリランカらから来て5年、栃木県の日本語学校で学びました、この宿で働いて2年です」とのことでした。

 朝早くは、玄関・外回りのお掃除をして、それからロビーの消毒など実によく働いていました。スタッフといっても大規模ではありませんから、誰でもが何でもできるように教育されているようでした。

 それにしてもーー熱い国から寒い日本の温泉宿で働いている若者がいるとは。おそらく、アジアの人々にとって日本は安全で安心できる、働きやすい!?国になっているのでしょうか。
 特に語学を学ぶ場所は、東京や大阪の大都市ではなく<外国人がほとんどいない地方都市>のほうが身につく、ということを聞いたことがあります。これは たとえば日本人が英語を学ぶためにアメリカに行っても同じことです。NY、ロスアンゼルス、サンフランシスコなどに行くと、ワンサカ日本人がいます。語学学校ではつい日本人同士でツルンデ、ちっとも言葉が上達しないから、田舎の小さな街の語学学校がよい、ということです。

こういうこともキチンと踏まえてたぶん敢えて<栃木県のどこかでの日本語学校>で学んだんでしょう。日本語学校の紹介で、就職したとのこと。

 意外な場所で意外な国の若者に触れて、今までとは違う視点でまた日本という国を見ることができた出来事でした。

 最近TVで「東北のある街では、20%が外国人である」ーというニュースを見ました。いつの間にか、日本も多国籍化が進んできているのだ、知らないのは自分だけ!?―と 気づきました。

 



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