2021年3月1日
3.それぞれの決断
コロナの蔓延がはじまってほぼ1年、わたしの身近なところで大きな変化が起きています。特に働く女性たちの身に大きな動きがあって、彼女たちからそれぞれの「決断」を聞きました。
1)店をたたんでマイカーで出張サービスに
(カイロプラクティス・施術士 Yさん 54歳)
「前々から考えてはいたのですが、コロナが迷っている気持ちを後押ししてくれました。はい、2020年5月からお店を閉めて、マイカーで出張のみに切り替えました。
一番 良かったことはそれまで“お客様を待っている状態”から、こちらが“お客様のところに出向く”ということになったこと。来るか来ないか??という待ちから、こちらが行くというのは、私にとって非常に精神的にいいことでした。
もちろん、プロとしてカイロプラクティスをやるのだから、ベットなど少し設備投資もしました。お客様の要望にはできるだけ、応えたいと思っています」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
|
B区で10年以上賃貸マンションの1室で開業していました。そのスペースをたたんで、 かれこれ10か月がたとうとしています。マイカーにベッドなどもろもろの設備を載せて、都内を走り回っています。そのバイタリティに、こちらが元気をもらっています。
2) 田舎で薪ストーブのある暮らしを
(田舎の実家へ移住・Hさん 61歳)
「年をとったら、田舎で薪ストーブのある暮らしをしたいなあ、と漠然とした憧れはありました。夫ですか? 夫も東京生まれ東京育ちなんですが、、賛成してくれました。
わたしの両親が高齢(90代)になり、月に1度関西の実家に行ったり来たりしていたのですが、、。成り行きというか?勢いで<関西の田舎への移住>が 決まってしまいました。
当面は私の両親が住む実家の近くの公団に部屋を借りて暮らします。将来は、両親と私たち夫婦が住まいを取り換える?こともあるかもしれません。夫は同居してもいい、といってくれていますが 私は程よい距離を置きたいんです。もちろん、今後どうなるか?すべてが流動的ですね。
これまで私を“お花”を仕事としてきたので、できればこれも続けたい、果たして暮らす地域で需要があるのかどうかーー ボチボチ 考えていきます。ええ、実家には 薪ストーブがありますよ。そうですね、今回の引っ越しは何よりも両親が喜んでくれています」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
|
ここ数年、月2回―とてもオシャレなセンスのいい花束を自宅まで届けてくれたお花屋さんです。近所の花屋さんでは買えないようなちょっと変わった丈の長いお花が届くのが、とても楽しみでした。
自から市場で花を仕入れ、お客様に応じて花束をつくり マンションの戸口まで届けてくれました。お花のファンとしては、寂しい限りですが 新しい彼女の門出に拍手を送ります。
3) 医療事務の勉強を始めました
(ネイリスト・Gさん 48歳)
「私、12月から医療事務の資格をとるために専門学校に行っています。ええ、いろいろ考えて、一体私は何ができるんだろう?と思ったんですね。もちろんネイルの仕事は好きだし、これからも続けていきます。ただ 本当にこれだけでいいのかしら?と。今後、すごく需要が伸びるとも思えない。これ以外に、いわゆる. 手に職をつけるって!?、、、と。
先輩に医療事務の資格をとって仕事をしている人がいたんです。その方から話を聞いて、数字を扱う仕事も嫌いではないし、とにかく勉強に踏み出してみようと。
毎日ではないのですが、週3日 専門学校へ通っています。クラスは3人だけ、わたしは最年長です。あとは21歳、35歳の女性です。それぞれに、次のキャリアへつなげるために勉強しています。仲間がいるのは 刺激になりますね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
|
ネイル・命―みたいな彼女から、この話を聞いてちょっとビックリ。当たり前といえば当たり前なのですが、それぞれが堅実に将来を見据えて「今 何をすべきか」考えているんだなあ、と実感しました。「実は 案外 わたしは数字を見るのが好きなんです」と言っていました。意外な気がしましたが、納得した私でした。
4) ミシンを手放す
(企業 事務職・Sさん 49歳)
「断捨離でーついにミシンを手放すことにしました。ベッドカバーを作ろうと、久しぶりにミシンと格闘2時間。どうしても下糸をすくってくれない。シンガーミシンのコールセンターに連絡しても職業用ミシンなので「わかっている人」前提なんですよね。説明されても??とほほ。あきらめました。
こうなると、もうミシンを持っている理由がない。ミシンというモノではなく、思い出が捨てきれなかったんですね、自分でもわかっていました。心のどこかで“惜しい”と思っている自分もいますが、使いこなせない道具は、道具ではありません。
このミシンによって、母は救われていたのです。
母は、まだ若かった私に主な家計を負わせている事に、決してネガティブな言葉は発しなくても心の中で申し訳なく思う気持ちを持っていました。でも、洋裁で物心ともに私を支えてくれたーそしてその事自体が母の支えになっていたからです。
母を見送ってから6年。時薬とでも言うのでしょうか。気が変わらないうちにと、ミシン糸は 職場の後輩に全て譲りました。
―― そして、ようやく ミシンを手放すことにしました。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
|
コロナ禍で、思いがけずリモートワークを経験したそうです。その結果、いままであまり目がいかなかった家の様子がいろいろ気になって、整理整頓・断捨離 そして家具を買い替えたりしたそうです。
さらに、ずーっと気がかりだったお母様の遺品・プロ仕様のミシンともついに、お別れの時がきた、ということでした。
<< メニューへ戻る |