2021年5月1日
3.Zoom について考える
― まずは 遊びからだった
― こんな場面でもZoomが
― まずは 遊びからだった
「コロナ禍であなたが得たものは?」と訊かれたら、まちがいなく「Zoomをマスターしたこと」と答える。
焦って何度も若い友人に助けてもらった。細かい具体的な技も教えてもらった。
昨年の夏、アタフタしたことが今となっては懐かしい気さえする。
Zoomを定期的に使っているのは、月に3―5回程度。もっとも「仕事上」ではないから、いたって気楽だ。
はじめは「友人・知人とインフォーマルなおしゃべりができたらいいな」という軽い気持ちだった。コロナでなかなか会えないし、やはり一堂に顔を揃えると その人なりの特徴が感じられて面白い。たとえば毎回 背景をバーチャルに変える人、お部屋の背景の絵や飾りものに変化をつける人、反対に全く無防備(?)に洗濯ものが干してあったり、ゴチャゴチャした物置のような空間を意に介さない人もいる。
私は最近友人から「背景にぼかし」を使うと、本人の顔が美人に見えるよーと言われて「ぼかし」を使っている。
私がZoomで 実は一番面白いと思うことは誰かが話をしているときの聴いている人の表情だ。スピーカーとなるとそれなりの緊張感が表情にでてくる。が、リスナーの立場になると、途端に無表情になる人が多い。コミュニケーションやヒューマンスキルの研修では、「言葉を発しなくても表情は雄弁に語っている」ということをいやと云うほど学んだ。そして、教えた。だから、Zoomの画面では、スピーカーよりその話を聴いている人の顔に、ついつい目が行ってしまう。たぶん「誰も自分を見ていないだろう」と思って無防備になる顔、が非常に私には興味深いのだ。
― こんな場面でもZoomが、
私にとっては、気楽な友人とのおしゃべりの道具と思っていたら、世の中の
状況(コロナによる)の変化によって、必要性が高まってきた。
1つは申し込んでいた区民講座が対面からZoomに切り替わった。
25名定員だったが、Zoomになったことで15名に受講者が減った。それも 私以外の他の受講者は全員オジサン(中高年・男性)ということがわかってビックリした。
もちろん、Zoomだから女性が少ないということではなかろうと思うが!?
ちなみにこの講座のテーマは「アメリカ経済はどこへ行く」というというものだった。
2つ目は ボランテア活動の場での講習会にZoomが活用されたことだ。
こちらはそもそも、ボランテアスタッフは圧倒的に中高年・女性が多い。トータル30名?程いるのだが、この防災講習会に参加したのは10名足らずだった。うち、男性はひとりだけだった。もちろん、私自身がメンバーのZoomについての力量を正確に把握しているわけではない。
それにしても、とても大切な講習会なのに、参加人員が少ないのは勿体ないなあ、という感じがした。事務局の若いスタッフは、この講習会に先だった懇切丁寧にZoomについてのアドバイスを行ってくれたのだが、その割に「みなさんの食いつきが足りないなあ」という印象だった。あとで「平井さんはZoomの講習会に参加したの?」と先輩に訊かれた。「はい」と応えたら「スゴイわね」と言われて、ちょっと返答に困った。ちっともスゴイことでないんだけれど。
そんなこんなで、今後Zoomについてのニーズは益々高まっていくのだろう。
おそらく、コロナが終息しても仕事や生活の中におけるZoomの活用はさらに拡大していくのではなかろうか。
<おまけ>
私のZoomの師匠・年下の友人から次のコメントをもらいました。
彼女はアサーションのセミナー講師をやっています。
Zoomをマスターしてよかったですね。このご時世、Zoomができる・できないは大きな分かれ目だと思います。
私がやっているアサーティブのクラスはそれこそ全国各地から参加者が集まります。なかには、アメリカやドイツからも。
Zoomのおかげで距離に関係なく学べるのは、本当にいいことですね。
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