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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2021年7月1日

1.問題解決のアプローチ


 問題につきあたったら、また同じような過ちを繰り返さないために「その問題の原因分析が大切だ」と言われます。「なぜ、そうなったのか?」を反省、振り返ることによって、学ぶことは大きいからですね。
  その通りです。が、問題が発生しているその時、その場でどのような行動をとるべきなのか? 考えさせられることがありました。
  ひとつは友人の体験、もうひとつは私自身の体験です。

 

<その1 どっちが正しいか?は 問題ではない>

 友人Mは ボランテアである学会の会報誌を作っています。2019年は某映画監督に講演をお願いして、そのテープを起こしてこの会報誌に掲載することになりました。
 原稿を作成して、最終的にそのチェックをお願いしたら「わたしの講演を掲載してよいーという許可をした覚えがない」と監督にいわれました。この講演した監督と交渉した他のスタッフに確認したら「いえ、確かに わたしはOKをいただきました」と言うのです。
全く 双方の言い分が食い違っていました。

ただね、僕はここで “どっちが正しいのか”を議論してもしょうがないと思ったんですよ。まあ、監督はもしかしてその場で軽い気持ちでOKといったのかもしれない。でも 今は、本人がNOというんだからNOなんでしょう。まずそこから交渉しなくてはと思ったんです」とMは続けました。

 

 

 

「わかりました。こちらの誤解があったようです。ただ、大変に深い内容だったので、ぜひ講演会に参加していない人にも伝えたいと思っています。ぜひ、お許しをいただけませんか?」とお願いしました。

 結果、掲載することの了解を得ることができました。「なぜ OKしない」といったかというと「講演会という場面で、聞き手を前に話している言葉をそのままテープ起こしされても 誤解を与えることがありうるから」ということだったそうです。「この監督の言い分もよくわかりましたからね」とMは話を続けました。

「NOと言った、NOと言ったとは聞いていない―どっちが正しいのか?」が、問題ではないですから。本人がNOと言ったというんだからNOなんですね。 でも、そこからどう、、こちらの意図をわかってもらえるかが重要だと僕は思ったんですーと。

 こういう風に、問題解決のために頭を切り替えられるって、スゴイなあーと彼の話を聴きながら 深くうなずいていた私でした。

 

 

 

 

 

<その2 見知らぬ人へ助けを求める>

 GWのある日、都心のレストランで 友人とランチの約束をしました。

 そこは、私にとって初めてのお店。友人はその最寄り駅・出口からお店に行くに向かう道をmailで書いてくれました。「この道をまっすぐ歩いてきてください。道の途中でゆき子さんをキャッチします」とありました。

 ところが、その駅が大規模な工事中でまず出口を出たところから、わたしは途方にくれてしまったのです。まず、友人が書いてくれた道がわかりません。「左に大きな木、右にフェンスがある道を歩いて、、と書いてあってもその道が?? 一体 どれなのか?」

約束の時間はどんどん過ぎいく。

 

 

 

 そこに30歳くらいの若いカップルが通りかかりました。ちょうど、駅の出口を出た大きな道路の信号の前でした。

「きっとこの人たちもどこかへ急いでいるんだろうなあ」と思いつつ、勇気を出して声をかけてみました。

なぜなら、わたしは携帯を持たないから。まさにこういう場合は致命的なのです。

幸い、お店の電話番号も、そして待ち合わせした友人の携帯電話番号も控えてきていました。

その若いカップルの二人に道を訊いても不明。そして、さらに私はズウズウしくも、「申し訳ありません、こちらの電話番号に電話していただけませんか?」と友人の携帯電話にかけることお願いしてしまいました。

「はい、いいですよ」といって大変感じよく男性が電話してくれました。そして、友人と電話で話すことができて、セーフ。
たぶん、この間 20分くらいだったのですが、この2人は嫌な顔せずに根気よく“困惑している私”に付き合ってくれたのでした。

 

 

 

 今、振り返ってみるとー ものすごく困った顔をしていたんだと思います、私は。

 途方にくれた中年(老年?)女性が目の前にいる。この若い二人は嫌な顔もせず、待ち合わせ相手が、駆け付けてくれるまで、私と一緒にいてくれました。

 本当に 本当にありがたかったですね。

 

 今思うと、我ながら、よくズウズウしく見知らぬ人に声をかけたものだと思います。声をかけるとき、なんとなく「このお二人ならば、」という動物的な勘が、そのセンサーが 私の中に瞬時に働いていたのです。この二人の電話応対や対応したときの言葉使いなど、的確で、しかもとてもスマートな人達でした。

  同じよう困っている人がいたら、ぜひ積極的に助けてあげよう、と心から思ったのでした。

 

 

 

 


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