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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2021年7月1日

4.<紹介します・私の友人>
       ― その14 石橋京子さん


  石橋さんはかっての職場・人材育成のコンサルタント会社の同僚です。わたしが退職して久しく交流が途絶えていたのですが、20年余の時間を経て再会しました。今は高尾山をご一緒する仲間として、また飲み友達としてお付き合いしています。ちょうど、仕事のキャリアに区切りをつけたタイミングとか、彼女の仕事人生を振り返っていただきました。

(平井 ゆき子 記)  


 

 

さまざまな出会いがあった・・


石橋 京子

〜もくじ〜

序章
1.社員教育関係の仕事との出会い
2.平井さんとの出会い
3.アセスメントとの出会い
4.新たなプログラムとの出会い

 
・・・・・・・・・・・


序章

昨年11月、40年余り携わってきた人材育成のコンサルタントとしての仕事にピリオドを打ちました。人生の半分以上の月日を人材育成の仕事に携わることになるとは、学生時代の私は全く想像もしませんでした。
人材育成の仕事に入ったのはほんの小さなきっかけでした。まずは少し寄り道をしながらその道のりをお話したいと思います。

小学5〜6年生のころ、きっかけは忘れましたが、放送部の委員になりました。下校時刻などに学校に残っている生徒たちに下校を促したりする役割です。「下校時刻になりました。教室に残っている人も校庭で遊んでいる人も早く帰りましょう」校庭を見渡せる放送室で、そんな放送をしていた記憶があります。こぢんまりとした放送室の雰囲気がなぜか気に入り、その後高校時代の3年間を除いて、中学では放送部、大学では放送研究会に席を置きました。
大学時代は、神宮球場での東京六大学野球はじめ学生対抗のスポーツ大会の場内アナウンスに駆り出されることもたびたびありました。このような体験や、放送業界で活躍している先輩たちの話を聞いていくうちに、私自身も放送界を目指そうという気持ちが強くなっていきました。

 

 

 

1.社員教育関係の仕事との出会い

就職活動では、東京のキー局をはじめいくつかの放送局を受験し、最終的には東北地方のテレビ局に内定しました。ところが…。
本採用に際して診断書の提出が必要とのことで、近くのクリニックで健康診断を受けました。結果は「洞性頻脈の所見あり。要経過観察」。実は、洞性頻脈というのは多少脈が速くなったりする程度で、重篤な病というわけではなかったらしいのですが、聞きなれない病名にすっかり動転してしまいました。先方のテレビ局に入社時期を少しずらしてもらえないか打診したところ、非常に丁寧なお断りの手紙が届く結果となりました。

就職浪人というわけにもいかず、自宅から通える職場を探し、企業内教育用のテープ教材を作成する会社の制作部に入社することになりました。この会社を受けたきっかけは、実に単純です。テーマに応じて行う[取材活動]と[スタジオでの製作]の部分への親近感のみで、社員教育、人材育成に関する知識が全くないまま、飛び込んでしまったのです。
テープ教材作りはやりがいは感じていたものの、人材育成に関しての基本的な知識は本を読む程度でした。基本的な知識をしっかりと身に着いていないということに後ろめたさを感じるようになり、その会社を退職することにしました。
その後、販売員用のテープ教材で伝えた内容を試してみたいと思い、一時期ですが呉服屋さんで働いたこともあります。

 

 

 

2.平井さんとの出会い

ある時、新聞の求人欄で「女性講師募集」の文字を発見。「この会社に行ってみよう」
と即座に決め、電話をかけました。指定された日時にその会社を訪ね、最初に面接してくれたのが平井さんでした。自信に溢れたてきぱきとした対応から、今まで出会ってきた女性には見られない威厳と自信が伝わってきたのをよく覚えています。

 その後、1979年2月から人材育成のコンサルタントとして、新たなスタートを切ることになりました。社内研修を受けた後、先輩方のオブザーブ(研修の場に同席させてもらい、研修内容や先輩講師の進め方のノウハウを学ぶ)を通して学ぶことになりました。幸い、2月は新入社員の受け入れに向けての、中堅、ベテラン社員を対象としたインストラクター研修や職場内における指導方法の習得を目的とした研修などが多く実施されていました。人材育成の基本を学ぶ上ではとても良いタイミングでした。

そして、いよいよ講師としてのデビューが決まりました。3月5日から9日までのインストラクター養成研修のサブ講師です。そして、メインの講師は平井さんです。この研修では、実に多くのことを学びました。指導方法はもちろん、受講メンバーとの接し方、そしてサブ講師としての動き等々。さらに、平井さんから「石橋さんの良いところ」という10コ以上の良い点が記されたメモをもらいました。初めての仕事で至らない点が数多くあったと思います。しかし、注意すべき点や足りない点ではなく、敢えて良い点だけを伝えてもらったことは、それからの私の仕事に向けての強い動機づけになりました。

 

 

3.アセスメントとの出会い

人材育成の手法は主としてトレーニングが一般的でしたが、1970年代からアセスメン ト方式が導入されるようになりました。アセスメントという言葉は「環境アセスメント」等では従来から使われていました。ある場所を開発する場合に事前に様々な調査を行い、開発に適しているかを客観的に調査する方法です。人材アセスメント(ヒューマンアセスメントと同義)についても、能力を第三者が客観的に評価し、今後の能力開発につなげる手法です。
人事評価の一環としても使われています。

 私が入社したコンサルタント会社でも、主に中間管理職層に対するアセスメント方式の 研修が数多く実施されていました。研修場面では、参加者は複数の演習を体験し、講師はそれを観察し、一定の基準に則して評価するものでした。当初、この分野はほとんど男性コンサルタントが担当しており、「参加者は非常にセンシティブになっているから」という理由で、女性講師はオブザーブさえも許されませんでした。
 その後、初級管理職クラスにもアセスメント方式の研修が導入され、参加者の中にも女性が含まれるようになってきました。中には、主任クラスの女性だけを対象にしたアセスメントを実施できないか、という依頼が企業からも来るようになりました。

 

講師として 駆け出し?の頃

 

 1986年から私もアセスメント研修に講師として、参加するようになりました。アセスメント方式の研修は、基本的に18名の参加者(受講者とはいいません)に対して、全体を統括するアドミニストレータが1名、グループ毎(1グループ6名)に実施する演習を観察するアセッサーが3名という構成で実施します。

 演習は職場における行動をシミュレートしたもので、個人で行う業務処理場面、集団での討議場面、1対1の面接場面等があります。観察した結果について演習ごとにアドミニストレータと意見交換し、参加者の強みや啓発点を明確にしていきます。基本的には2日半でこれらを実施し、3日目の最後に参加者一人ひとりと15分程度のフィードバック面談を行います。その後、再度演習記録を確認しながら、参加者毎のフィードバックレポートを作成します。講師が参加者一人ひとりとしっかり向き合えるというところに私は非常に魅力を感じました。

 

イラストfreepik

 

4.新たなプログラムとの出会い

 アセスメント研修を担当するようになって5年ほど経つと、私の担当する仕事はトレーニングよりもアセスメントの割合が多くなってきました。さらに、研修のアドミニストレータを担当する機会も増えてきました。

 2003年、アセスメント方式を用いたシニアマネジメント層向けの新たなプログラムを導入し、担当する講師として参加することになりました。参加者が目指す職位は部長あるいは事業部長、中には執行役員というケースもあります。もちろん、演習課題等は対象によってすべて異なります。

 このシニアマネジメント研修は従来の形式とは大きく変わり、プログラムが1日で終了します。朝のオリエンテーションと昼食時以外、参加者は個室に入り、訪れる部下と面接したり、社外の人からの電話を受けたりします。その間、組織の長として今後の戦略を練ったり、業務を処理したりしなければなりません。企業の沿革や様々な情報は研修の数日前に渡されるものの、相当読み込んでおかないと当日の演習では通り一遍の対応しかできなくなってしまいます。
 この演習場面はすべて録音・録画して行動を診断し、後日統合ミーティングを開催して参加者各人の「活かすべき強み」と「啓発すべき点」を明確にします。それをもとに詳細なレポートを作成します。別途実施するパーソナリー診断と合わせて、後日一人2時間のフィードバックセッションを行います。

 

 

 

 この新たなプログラムとの出会いは、私自身に多くの感動をもたらしました。
この演習場面を通じて、同業他社同士の効果的な連携体制の実態、部下の能力を引き出す様々な手法、今後のビジネス展開に向けたユニークかつ効果的な施策等々を聞くことができ、私自身が啓発される場面が度々ありました。

 このプログラムについて考えるとき、必ず一人の参加者の顔が思い浮かびます。
その人は某企業の管理職で、50代の初め。
個人で行う業務処理場面では堅実な対応を行う一方、対人場面では極端に口数が少なく、プロフィールが描きにくい参加者でした。1対1のフィードバックセッションも2時間は持たないかもしれない、と考えていました。実際 私自身、当日それほど話が盛り上がったという感じはしませんでした。が、その方は質問した事柄には、考えながら丁寧に答えてくれました。

結果、2時間の予定が3時間かかりました。

その方が帰り際、こう言ったのです「今日はありがとうございました。考えてみたら、私は入社以来自分のことをこんなに話したのは初めてのような気がします。本当にありがとうございます」と。

 

 

 

 

 



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