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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2022年7月1日

3.<紹介します・私の友人>
       ― その22 笑福亭希光さん


 彼は、かっぽれのお稽古にこの春から参加しています。ものすごく熱心で、かっての私の3倍以上のスピードでマスターしてしまいます。教える先輩たちもオタオタしています。「なんで 落語家になったの?」というわたしのストレートな質問の答えが、この文章でした。臨場感溢れる文章も、まるで落語を聴いているかのよう、、。(平井 記)


 

 

笑顔の目撃者でありたい

〜私が落語家になった理由〜

 笑福亭希光

〜もくじ〜
―初めての日―
―初めての、その時―
―人生の中でベクトルを反転したー
―2011年、地震がきたー
―そして、今―


 
・・・・・・・・・・・

―初めての日―

『弟子にしてください』
この一言を発するために私は、新宿末廣亭の楽屋口の斜め前、地下鉄の入り口通路と道路の境目ギリギリの位置で、潜んでいた。
平日の昼過ぎ。日差しが強く、少し歩くだけで汗が出てくる。5月にしては暑い。
お目当ての落語家の出番時間をPCで調べて、約2時間前に現場到着。
『師匠は一体何時に楽屋入りするのだろう』『師匠はもう楽屋入りしているのだろうか』
ぐるぐる廻る不安な言葉。
私はずっとここに立っていて変なやつではないか。いや、どう見ても変なやつ。同じ場所で1時間以上もずっと楽屋口を睨んでいる。ザ不審者。

準備は出来ていた。
大事なことは一点のみ。断られてはいけない。だけど、その方法は?
きっと人間ファーストインプレッションで決まる。一目見たその瞬間に好感度を上げないといけない。好きになってもらう。
だがそれほど難しいことはない。
他人の心をこちらから動かせる自信などない。こちらの心を一方的に伝えるしかない。
あれだ。恋愛と同じだ。女性を口説くとして
『ねー、俺のこと好きになってよ』
とは言わない。
好きになってもらうなんて無理で、こちらが好きを伝えること。
では、第一印象で好きを伝えるには。
「好きです」と言葉で言う。
きっと言えない。師匠を目の前にした時、緊張で上手く舌が回らないかもしれない。声が小さくて聞き直されたら冷や汗もの。精神が追い込まれてアタフタするだろう。
でが好きと伝わるシンプルな方法は何か。
ファンだと伝えること。好きの代表はファン。
そこで購入したのが、書籍『つるこうでおま』(CD付き)
師匠の前にこの本を出し、
「これ面白かったです!サインください!」

ファンを邪険に扱う落語家は流石にいないだろう。面白いと言われて喜ばない芸人もいないだろう。笑顔で返してくれる師匠の顔が浮かんだ時、イメトレが完成。
待つこと1時間半を過ぎた頃。時計を見ると出番の時間が近づいている。そろそろ来るぞ。右からか、左からか。キョロキョロキョロキョロ。

 

―初めての、その時―

そして、出番50分前くらいだったろうか。
右の角からひょこっと、首からタオルをぶら下げた白髪まじりのおじさんがテクテクと現れた。近づくにつれ、ぼんやりからくっきりへと認識が変わり、頭ではっきり分かったのが先だったか、足が動いたのが先だったか、とにかく前へ進み、
「師匠!これ読みました!面白かったです!サインください」
言えた。好きは伝わったか。どんな反応になるだろう。

すると師匠は、ニコッとして
「おー、おおきにおおきに。どこに書いたらええ?」
最高の切り返し。順調。
「はい、ここにお願いします!」  ペンを渡す。
「ここやね。はいはい。」   そして、書きながら、
「CD付きのやつやったなこれ」  「はい!」
機嫌も良さそう!あとは、タイミング。あの言葉を言うのだ。
そして、 サインを書き終えかけたその瞬間

「師匠!弟子にしてください!」

言った。言えた。
一瞬止まる鶴光…。
師匠は、顔を上げてこちらをジロっと見て、
「いくつや?」
瞬時に、落語家・笑福亭鶴光の顔になった。

「はい、33です。」
「今まで何やってたんや?」
テンポが速い。どっからしゃべろう。いや、全てを赤裸々に話すのだ。
「はい、吉本新喜劇にいました。その前は、大阪で松竹芸能で漫才やってました。」
「そう!」
少しトーンが高く聞こえた。意外な経歴と受け止めたような。そして、次の言葉が私の高揚を誘う。
「電話番号教えて」
「はい!」
しかし、どこにも書くものがない。さっきまで立っていた場所にカバンを置きっぱなし。あの中に確かノートが入っていた。
「ちょっと取ってきます!」
「うん」
急いで取りに行き、なかなか余白が見つからないノートの中身を見て、さらに焦り、待たせてはいけない気持ちから、急いで、ノートの右上の余白に小さく『090…』と走り書き、ちぎって渡す。
「あー、おおきに。弟子の羽光という者から電話させるから」
「はい!よろしくお願いします!」
師匠が楽屋口の扉を開け、入ろうとした。
どうなるのだろう。きっと返事はまた後日ということだろう。
そう思った時、
師匠はおもむろに振り返り、

「今までのことゼロにしてきぃや」
「、、はい!!」

楽屋の入り口は、そこで閉まった。
代わりに、  落語人生の入り口が、そこで開いた。

これが 2013年の5月のことである。
落語界においては、33歳の入門は、遅いと言わざるを得ない年齢である。

 

 

―人生の中でベクトルを反転したー

人生の中でベクトルを反転させるのは、非常に恐い。

新喜劇から落語家へ。
2011年3月11日が反転のきっかけだった。
私は当時、東京で吉本新喜劇の舞台に出ていた。

2006年、26歳で大阪から東京に出てきた。なんとか、千歳烏山の四畳半共同トイレ風呂なし木造アパートを借りた。たまたま吉本新喜劇座員募集のチラシを見つけ、オーディションに受かった。大阪から出てきて、まさか東京で吉本新喜劇をやるとは思わなかった。バイオリンという特技を生かしギャグを考え、そこそこ役をもらえるようになった。
しかし、もっと新喜劇の中枢の存在になりたい。笑いを取るためにはどうしたらいいのか、喜劇とはなんだ、演技とはいったい…。毎日毎日そんなことばかり考えていた。吉本にはたくさん素晴らしい所はあるが、その中の一つはやはり偉大な先輩が多いということ。当時、東京の新喜劇には売れっ子先輩がたくさん出ていた。同じ楽屋で過ごしながら、名前を覚えてもらえる。話が聞ける。相談が出来る。

昼公演と夜公演の合間、ふと、先輩に聞いてみた。
「新喜劇を上手くなるにはどうしたらいいんですかね?」
この漠然とした質問にも、売れっ子先輩の瞬発力というものはさすがである。
即座に、「落語を聞いたらええねん。んで、やってみたらええねん。演技も笑いも入ってるし。」
落語か。聞いたことはあるし嫌いではなかったが、その時の印象は、落語かぁ、くらいだった。
先輩に勧められた落語のDVDを早速借りて、見てみた。

衝撃だった。着物を着ている人が、座布団の上で新喜劇をしているのだ。いろんな人が出てくる。登場人物が笑いを作り、終いには、泣かせてくる。
エンターティメントの醍醐味が凝縮されていた。
これは、『一人新喜劇』だ。そんな印象だった。
それからいろんな先輩と落語の話をし、また落語に携わっている先輩とも仲良くなり、落語会をすることになった。演じる機会を頂いたのだ。
緊張した。震えた。恐かった。   だが、少しの笑いもあった。その時、本当に嬉しかった。
全てが自分のものだった。良いも悪いも己の手柄。
大きな発見だった。

 

―2011年、地震がきたー

そんな頃、地震がきた。
日本は止まった。
劇場閉鎖。
部屋に篭りながら、テレビで災害を眺めて、自分に何が出来るかを考えてみる。新喜劇座員の若手に何が出来るのだろうか。
数週間経ち、劇場が再開されても、気持ちはどこか沈んでいる。
漫才師さんやピン芸人さんなどで、被災地に赴くプロジェクトが組まれてりしていた。
そこに参加したくても、団体芸はどうしても出来なかった。
そんな時、当時していた警備員のバイトの休憩室で、中年警備員が私に話しかけてきた。
「お前確か芸人やってんだよな。こういう時にお前たちが被災地に行かなくてどうすんだ」

何も言い返せなかった。
新喜劇は少なくても10人以上で一座を組み、作家が必要であり、台本もいる。舞台セットも組まなければならない。

仕方、ない、よ、な。と言い聞かせる日々。

ある日、テレビで、落語家が語っていた。
「落語は宇宙なんですよ。何にもないようでなんでもあるんです。座布団があれば宇宙が出来上がるんです。」

何にもいらない。いるのは座布団のみ。
ハッとした。
そしてあの言葉を思い出した。
『一人新喜劇』
気持ちを止めることが出来なくなった。
33歳、転身するには遅い。が、やりたいことに飛び込め。
もちろん、新喜劇を去るのはあまりにも恐い。
だけど飛び込もうと思えた。背中を押してくれたある人物がいる。

芸術家・岡本太郎
多くの作品も大好きだが、太郎さんから発する言葉というのも、立派な作品である。
魂を揺さぶる言葉。

『いいかい、恐ければ恐いほど、逆にそこに飛び込むんだ。』
恐い方を選ぶと、そこから生命が湧き上がると言うのだ。

 
 

― そして、今―

今は落語家として二ッ目になり、自分落語を探し続ける日々。
終わりのない道ではあるが、いろんな景色を見せてくれる素晴らしい旅である。
その旅は全てあの一言から始まった。

『弟子にしてください』

 

 
(終わり)

 

 

 



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