2022年7月1日
5.<紹介します・私の友人>
― その23 栗原 忠躬さん
栗原さんとはもう20数年来のおつきあいになります。もともとは飯田橋の飲み屋で出会い、大学の先輩ということがわかり、高尾山にご一緒させていただきました。その後、わたしがお稽古していたかっぽれにも合流してくれました。ボランテアにも快く参加してくれ、いわば“同士”ですね。
早く、世の中が落ち着いてくりさんが世田谷村から出てきますように。(平井 記)
〜もくじ〜
*老人力とは
*運転免許返納
*コロナ禍の生活と心筋梗塞
*落語とボランティア活動
*高尾山歩き
*これからのこと
*老人力とは
「老人力」という言葉を発案した者は誰だかわからないが、作家の赤瀬川原平氏が1990年代に随筆集で広めた言葉で、流行語にもなった。「老人力」を平たく言えばモウロク、ボケのことである。肉体の衰えも然りである。
「老人力がついてきた」といえば「ボケてきた、体も弱ってきた」という意味なのだ。本来はネガティブな印象の老いさらばえる様を「老人力」と表して、人をしてこれをポジティブな現象と錯覚させる妙な言葉である。
*運転免許返納
私はもうすぐ満82歳になる。当然のことながら年を重ねるごとに順調に「老人力」がついてきた。
一般に「老人力」は50歳台ごろから付いてくるようだが私の場合70歳ごろから顕著となった。車の運転時にそれが感じられた。助手席に座っているナビゲーター役の家人から「右に曲がって」と言われると左にハンドルを切る、「左に行ってと」言われると右に曲がってしまう現象がたびたび起きた。
私だって1.2秒考えれば箸を持つ側が右だということは分っているのだが、とっさに左右の動きを指示されると脳の回路が一時混線するようで逆の行動を起こすことがあるのだ。
家人から「運転免許をそろそろ返納したらどう」といわれることになる。元来、人の言うことには素直に従う性格の私は72歳で免許書き換えを機に返上した。
「おやじ、免許返納しておいてよかったな」とテレビで高齢者の誤操作による交通事故の報道を見ながら息子に言われた。「この10年間でおやじがした一番良いことは運転免許の返納だな」と宣うた。
実は私自身は「免許返納は早まったな。持っていればよかった」と内心思っていたので、「返納すべきじゃーなかったよ」と言おうとしたが、その言葉を飲み込んで「返してよかったよ」と返事をしてしまった。
「老人力」は無駄な抵抗をしなくなるのだ。
*コロナ禍の生活と心筋梗塞
私はコロナ禍のここ2年半の間は家族以外誰にも会わないで過ごしてきたし、外出も時折の散歩と2か月に一度程の病院(ワクチン接種を含む)通いと床屋以外はしたことはない。一度もコンビニなど売店にも入ったこともない。
もちろんタクシーにも電車にも乗ってない。かかるストイックな行動を守る一方で飲食については好き勝手なことをした。引き籠り中の最大の楽しみは三度の食事である。全国産地や名店からのお取り寄せや「出前館」「ウーバー」などのデリバリーを利用しての放埓な飲食の結果はてきめんに表れた。血液検査の結果を見て医者から「血糖値・体脂肪と悪玉コレステロール値が異常に高い」と注意された。半年後に健康に自信があった私が想像もしていなかった、とんでもない事態が起きた。
家の近所を散歩中に胸が締めつけられるような激しい痛みが走り、顔面からあぶら汗が噴き出て、道端に倒れ込んでしまったのだ。携帯電話で救急車を呼ぼうとも思ったが、何か恥ずかしかったし知らない遠くの病院に連れてゆかれる不安もあったので止した。
かわりに、コロナ菌を家に持ち込んではならぬという配慮から在宅勤務を続けている息子にまず連絡した。息子はすぐに車を運転してやってきて近くの大病院に運んでくれた。
病院では受付が終わった後すぐに担架に乗せられてあちこちの検査室に運ばれ、急性心筋梗塞という診断が下された。そしてカテーテルを使用してステントという金属でできた網状の筒を冠動脈に差し込んで血液の流れを回復する治療が施された。
施術後は集中治療室(ICU)に4日間入れられ、普通病室で10日過ごし無事退院した。
3年前までは「おれは医者から処方された薬は一粒も飲んでいないんだぞ」と威張っていたが、今は血液を固まりにくくする薬やらコレステロールの合成を抑える薬やら血糖を下げる薬やら、何やらかにやらで毎日13種類の薬を17錠飲む羽目になっている。
そのため薬を間違わないこと、飲み忘れないようにすること等服薬の管理で煩わしい日々を送っている。その後の体調は順調で、入院した事がうそのように元気ですごしている。
根拠は全くないが、日ごろから自分の寿命は90歳と決め込んでそれに合わせた終活を計画してきたが、今度の処理でひょっとすると100歳まで伸びちゃうのではないかと思えてきた。「老人力」は物事を楽天的に考えさせるようだ。
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高尾亭くり坊の師匠たちとそのまた師匠たちと |
*落語とボランティア活動
私の趣味の一つに落語がある。聞くのではなくて演じたいのだ。リタイヤ後の暇つぶしに、紹介者を介してプロの真打落語家に稽古をつけてもらい、「高尾亭くり坊」という高座名も付いた。こうなると当然、身の程もわきまえずどこか人前で演じたくなる。
あとで述べるが「高尾山歩き」の仲間である早稲田の後輩の平井ゆき子さんが座長を務める「雪ん子一座」の一員に入れてもらった。平井さんの「江戸芸かっぽれ踊り」の仲間たちとの共演の形でボランティアとして老人介護施設に出向いて都内各地で演ずることになった。これが8年ほど続いて都合120回ほどやったがコロナで今はやめている。
私は他にもボランティアで落語ができる定席を持っている。高尾山の麓にポツンと立っている某喫茶店で噺をさせてもらっているのだ。年間8回のスケジュールで喫茶店のオーナーの朗読とコラボして10年間ほど1度も休むことなく毎回常連の20人程のお客さんに落語を聞いてもらったが、こちらもコロナ騒ぎで2年半前から中止となっている。
この間、私の落語も「老人力」のため噺の途中で絶句することが多くなった。聞いているお客さんも「くり坊」もだいぶ「老人力」がついてきたな、という顔つきで苦笑する。
来てくれるお客さんのほとんどは10年来の常連さんだ。ということは敵も、いや聞いてくれるお客さんもこの10年ほどで私同様「老人力」がついている。噺の最中に気持ちよさそうにお眠りになる人が増えてきた。
居眠りの原因は当人の「老人力」のせいではなく九分九厘私の噺のまずさにあるのは分かっているが、どうも気になる。こういうときハイドンの交響曲「驚愕」の趣向をまねて、噺の中で突然大声をあげてみる。
下を向いていた顔がピクンと上がるのを見るのが楽しい。「老人力」は人を意地悪にさせる。
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ゆきんこ一座のボランテアで |
*高尾山歩き
最後に、私のライフワークならぬライフウォークの「高尾山歩き」について述べたい。わたしは友人に高尾山登山を誘われてからこの山が大好きになり、何回か登るうちによし千回登ってやると決心した。
21年前の西暦1999年に「くりちゃんの高尾山歩き」と題するホームページを立ち上げ、記録を続けている。その「高尾山歩き」も第730回(この間いろいろな人と同行したが、このうち500回以上は平井ゆき子さんとご一緒している)、まで来たところで、コロナのために中断を余儀なくされた。
高尾山山中にある「薬王院」の本尊である不動明王の化身「飯縄大権現(いづなだいごんげん)」は感染病に対していかほどのご利益があるかは定かでないが、清風の吹いている
高尾山を歩いてコロナに感染することはまずないと思っている。しかし、行き帰りの電車の中が怖いのでやめた。4回目のワクチンを打ったら再開しようかと思っている。
休んでいる間「老人力」もかなりついてきたので、今後再開しても死ぬまでに千回を達成するのはおそらく難しいだろう。
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2019年1月9日― 高尾山・ふもと屋で新年の乾杯!! |
*これからのこと
心臓の手当のお陰で余命も伸びたようだし、「老人力」と付き合いながらまだまだやりたいことをやっていくつもりだ。
これからの人生の中で「あの時(心筋梗塞発症時)ころりと逝っていたらよかった」と思うことになるのか、「助かっていて良かったなー」と思う時があるのかは、これからの「老人力」の磨き方如何にかかっているような気がする。
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