2022年11月1日
1.忘れえぬ言葉 ―98歳で亡くなった恩師からー
8月に私の人生に大きな影響を与えてくれた人が亡くなった。前回、9月にHPの<はじめに>にも触れた人だ。その人の名前は、梅島 みよ。(以下 Mとして記述)
25歳から39歳まで、その人(女性の上司)の下で働いた。退職してから、20年後にようやく再会できた。その人は私の住まいの近所の超高級老人ホームが終の棲家となった。
部下として働いていた時間はもちろんのこと、この人の下を離れて30年間仕事をしたが、その間も「彼女からたたきこまれた言葉」がわたしの指針となったのは間違いない。
そして、こういう人との出会いがあった幸福をしみじみと思う。
彼女から、言われた忘れえぬ言葉をご紹介したい。
1)情報は出す人に集まる
情報社会といわれて久しい。情報は大きな武器であるーとも言われた。そして、その強みである情報をどのようにしたら、得ることができるか?― それはね、と「まず、あなたの持っている情報を出し惜しみしないで、人に与えること、出すことなのよ」とMは言った。
「ええー!? 人に与えるほどの情報など、持っていません」と言ったら、「情報といっても、その事柄について自分はどう思うかーという意見でもいいのよ。つまり自分の意見をまずきちんと発信することで、他者の意見ももらえるからね」と教えられた。
往々にして、自分に自信がないとついビビったり億劫になって発言できなかった。その心の状況も含めて、表現する・発信することの重要性を知らしめてくれたのだった。
2)SOSを発信できる人は強い!!
自分の弱さを隠すな。「――を教えてください!!」「――について協力をお願いします」と 他者から率直に言われたら、基本 人間は手を差しのべるものなんだよー と、何度か言われたことがあった。1)情報は出す人に集まるー とも共通している。
確かに頭でわかっていても、自ら「助けて」と言える人は なかなかいない。できない。
自分の限界を知って、素直に他者に対して「ねえ、これを教えて」「力を貸してください」と言えるようになったのは、実はつい最近のような気がする、私だ。
3)人生は評価の連続なのだ
大学を卒業して、新卒でブリジストンという大企業に入社した。そして、3年後にMのいる中小零細企業(人材コンサルタント会社)に転職をした。まず、度肝を抜かれたのが、当時としては超斬新な入社試験だった。今や、そのスタイルは当たり前なのだが。
グループ討議、スピーチ、グループ面接などが繰り返し行われた。
新聞の募集広告で集まってきた積極的で、野心的な女性たちがたくさん来て「もう、これでは 私は採用されないだろう」とハナから 諦めていたのだった。
が、なぜか 採用されたのだった。
後でMから言われたこと。「平井、あんたはわかりやすい人だったからね。率直さが気に 入ったんだよ。将来どうなるか、箸にも棒にもかからない人をほしかったから採用したんだ」と。
自分で、自分のことはよくわからない。ただ「飾らずにありのままの自分を出して、それでOKなら入社したいな」と思っていた。
その後もことあるごとに「あのねえ、人生というのは評価の連続なんだよ。赤ちゃんとして誕生したとき 目方は?という会話があるだろう? 3000g超えて安心ね、とか。そして亡くなった時、お通夜の席で 亡くなった人の悪口を言う人はいないでしょ!?− つまりさあ、人生なんてものは いつもいつも人から何かを言われ続けるもの。だから 評価されることを恐れてはいけない。」と口を酸っぱくして言われたのだった。
「人から評価されることを決して恐れてはいけないよ、プラスでもマイナスでも評価されなくなったら、人間はお終いだよ」― このフレイズが常に頭の中で、聞こえていた。
4)富士山の登り方は1つではない!!
実はこの言葉が一番、わたしの心に突き刺さった言葉だ。
そして、頭では理解してもどうしても納得!?できずに、Mの下を離れる引き金になった
言葉でもある。
今にして思えば、本当に私も若かった。潔癖症?と言ってもいいかもしれない。どうしても、“そのやり方”が嫌だった。許せなかった。
見方を変えれば、どこにでもあることだったと思う。たかだか50名程度の会社組織で、部門を超えて連携しあう、協力しあうのは当然のことである。わたしはコンサルト部門に属する講師、そしてクライアント先を回り研修の仕事を受注してくる営業部門があった。時には協力してクライアント先の企業を訪問するという業務もあった。
当然のことだが、営業部門のスタッフ(多くは男性)と仲良くなって、ご飯を食べ行ったり飲みに行ったり、講師が営業マンにプレゼントをしたりということがあった。
それが私には我慢できなかった。堂々と仕事で勝負をすればいい。「媚びを売る」という言葉が浮かんで、女性講師の何人かがそういう行為をすることが不愉快だった。
「私は、そういう行動・行為が我慢できません」とMに訴えた。
そうしたら、、、。
「富士山の登り方はたった1つじゃないんだよ、河口湖から 御殿場から、、まだほかにも複数あるんだ!! どこから登ろうが、その人の自由。他人の登り方にアレコレ言うんじゃない!! 悔しかったら、あんたはあんたの登り口を見つけて登ればいいんだ」と怒鳴られてしまった。
そして、今。
つくづく、私自身の幼さが身に染みる。とはいえ、おそらく30代の私にはやはり受け入れることのできなかった言葉なのであった。
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