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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2024年5月1日

3.<紹介します・私の友人>ー
        その26 工藤義夫さん



プロローグ ―わたし(平井)から一言。 今回 原稿を書いていただいた工藤義夫さんは高校時代の同級生です。今から60年も前に新潟高校で出会っていました。それから月日が流れて、過日も久しぶりにお酒を飲みました。彼の越し方を聞くにつれ、ぜひ「それを書いてほしい」と思い、実現しました。 (平井 記)

“男の地域デビュー”

― サラリーマンで、千葉・港町の町内会長になった!!
工藤義夫さん

 


 

〜もくじ〜

◆はじめに
◆出会い@;脳梗塞を体験
◆出会いA;地域に目を向け始めた!?
◆出会いB;「20年では新参者だよ」と言われてー
◆出会いC;古くからの住民と新住民の融合を願って
◆出会いD;とうとう 会長に!!
◆出会いE;会長だからできたこと
◆出会いF;祭りで神輿もー
◆出会いG;自分の世界が広まった
◆感想 できることをやり遂げた!!



◆はじめに

当時、わたしは石油会社に勤務していたので、千葉県郊外の町でまさに職住近接でした。40代の頃の体当たり経験談をご披露します。私はといえば、当時は会社ひとすじ技術系,地味系,人間だった。

 

◆出会い@;脳梗塞を体験

体力・気力には自信があったが、42歳で軽い脳梗塞を体験した。会社は1日休み、以降は投薬2年で全快した。ドクターから「50年も生きれば人は多少ガタもくる。幸いごく軽くて済んだのだし、生まれ変わったつもりで好きなことをやったら良い」と言われた。
なるほど!とこの時少し吹っ切れた思いがした。

会社だけで終わってしまう?他に何かやることないの?治癒後は体力・気力・自信も回復して、会社では大きなプロジェクトをまかされた。前と違い無理はしてもどこかリラックスできる術を得た。


 

◆出会いA;地域に目を向け始めた!?

毎日新鮮だ!地域を何にも知らない?千葉県に職住して20年になるが、地域無縁にあらためて気付いた。朝、出会う人達にもごく小数以外は名も知らない、話した事も少なかった。町内行事にも殆ど出ず、関心もなし。「こういうことは、妻のやることじゃないの?」てな調子だった。

 

◆出会いB;「20年では新参者だよ」と言われてー

折しも10年ぶりに地区班長役が回ってきた。妻から「今度は出てよ」といわれ不承不承で町内班長会議に出た。代々続く旧住民達が主要な役を占め、20年以上前から新住民(東京通勤者等)が増え、数では旧住民を超えてもあくまでお客様扱いだ。
諸議事は旧住民の意向で進行、思わず異議を挟んだ。「私だって20年住んでいる」と〜返ってきた言葉は「あんた、20年では新参者だよ」と。

近くで市道の改修計画が浮上、新住民の私が班長として班会合を開き、要望改善事項を文書にして市役所へ出すよう町会長に託した。後、文書がスゴイと町会長から妙に感心され うっかり調子に乗ってしまった。そうこうして、地域のことに目を向け興味を持つきっかけとなった。

 

地元の椎津八坂神社

 

◆出会いC;古くからの住民と新住民の融合を願って

町会役員の改選期になったが、代替がおいそれと見当たらず、窮地に立たされた会長が「新住民の中から是非に」と私に懇願してきた。

状況を承知していたので、ふたつ返事で引き受けてしまった。副会長として、町内会の運営や行事の進め方に携わるうちに、もっとこうしたらと余計なことに気が回るようになり、この際、新住民も今後はもっと町会活動の前面に参加した方が良いとアイデアを提案した。

ただ、旧住民からはなにかと、従来の慣習にそぐわないだの前例がないだの声もちらほら聞かれた。が、最後は会長のたっての要請で思うとおりやってくれと背中を押された。

 

子供神輿

 

 

◆出会いD;とうとう 会長に!!

さらには次期会長をやってくれと泣きつかれた。妻は大反対した。「なにかとうるさいこの町で新参者が会長なんて引き受けたらとんでもない損よ」と・・・。ひと晩考え引き受けた。

条件は、2年間限定、地区毎の会長・役員回り持ち制の実行などの提案を了承してもらった。やるからには、2年間で大きな変化の足固めをすること、すなわち、新旧住民がお互い交流して、ともに良い関係を築き、伝統も生かし、新住民の参加も促すことがねらいだった。町会の規約・役割・運営などをできるだけ明文化し、誰もがわかるようにすることが大事だ。そもそも、町内の地図や名簿がそれまでよくわからなかったのだ。

子供ひょっとこ囃子

 

◆出会いE;会長だからできたこと

 

<住民への戸別訪問>
いつのまにかハマッてきた!・・・地域の戸別訪問 を実行した。
会長になって先ずは町内に顔と名前を覚えてもらわなければならない。
足で歩いて、一から自分でつくった町内会地図をたよりに、早速に戸別訪問し挨拶した。280軒を全部訪問するのに、1ケ月かかった。
訪問しても何度もセールスと間違えられたり、あんたッ誰?とばかり、ジロジロ見られたり。辛抱、辛抱と言い聞かせた日々だった。

<会議・行事への出席>
町会としての行事ならびに近隣企業との協議会やらで、1年で30回くらいの会議出席が必要だ。おまけにパトロールや市との折衝・要望などでもさらには20回くらいも。

<町内会だよりを発行>
その間、従来の回覧じゃつまらないから、月2回の町内会だよりを発行することにした。最初は文字が多くて、妻からは「こんなの誰が読むの?」と言われた。―ホントにそうだな。カラー写真も入れて報道するよう工夫をこらした、少しでもわかってもらいたいから。

 

◆出会いF;祭りで神輿もー

とうとう  祭神輿も担いだ!・・・「自分がイチバン楽しむ!こと」が大切だ。・・・夏の伝統行事で何と言ってもハイライトは、八坂神社の神輿巡幸だった。
わが町会を含む7町会を半日練り歩く。千葉県でも2番目に重たい。青年会が担ぎ手を集めたが、平日で人数不足。坂を含め半分以上の行程がクルマの牽引に。白丁の衣装を購入し担ぎ始めた。茶髪の若者に混じっても結構さまになる!!イケルとばかり、ノリノリに。

1年目は、肩のただれや傷痕などが残った。2年目は少し賢く、肩パッドを衣装肩口に縫い付け、ごく軽い炎症に留まった。
多くの青年や裏方等地元の方々と知り合いになれた。課題は、この良さをまだまだ多くの人に充分には味わってもらえてないと思うこと、マンション住民、アパート住民も含めもっと戸別アプローチが必要と実感した。


男神輿出発

 

 


工藤担ぐ

 

 

◆出会いG;自分の世界が広まった

夢中になれば何でも楽しい・・・仕事も 人生も 面白い・・・町会の活動はなにかと連絡が必要だ。ただし280軒には各班を通じて紙での回覧のみ。あとは戸別訪問くらいだ。 月2回の町会だよりも、自ら決めた以上は貫徹しなければと勢い込む。
大変だけど回を重ねると新旧の住民を問わず、「とてもわかりやすくて楽しみだ」「工夫しているね」「町会に興味をもてるようになったよ」と励まされた。さらに改善意欲が湧き、楽しさも増す、仕事や他のことにも良い刺激となることも実感できた。

転換点にさしかかった町会を、新住民にも旧住民にもフツーに橋渡しできるようにすることと、その過程で自分がイチバン楽しむことがネライだ。私の役目は、町会運営を確実に展開させ始めることで、その後のフォローアップは次期新住民地区の役員に引き継いでもらうと心に決めた。

 

 ・・・・・・

 

◆感想 できることをやり遂げた!!

・・・正直、充分以上やった!・・・いままでにない地域への接点ができた。体当たりでやればなんとかなるものだ。地域の方とも多く知り合えたこと。与えるものより与えられたものが多かった。行事以外でも、葬式、もめごと、やくざ、忘年・新年会、旅行、パトロール、折衝事も。2年やれば充分だ。

誰でもできることだけど、先ずはできることからすぐにやってみよう。あるところで、人生吹っ切れたことから、素直に人と向き合えるようになった。そして素敵なひとたちに出会った。大切な何かをもらった。次は人に何かをお返しできたらもっといいだろうな・・・きっと。
以上

 

連合7町会長(工藤;右から2番目)

 



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