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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2025年9月1日

1.ハルピンへの道

 


〜目次〜

1)きっかけは?
2)読書の日々
3)目で見た 感じた ハルピン
4)ハルピンの女性との出会い
5)加藤登紀子さんのコンサート

 


1)きっかけは?

「ゆきさん、ハルピンへ行きませんか?」という友人の誘いが、始まりでした。コロナ後、海外へ行くのも遠のいていました。もっぱら、最近は国内をウロウロしていた私です。
「パスポートもまだ使えるかな?」と引き出しの奥から、引っ張り出してみました。
 いわゆる観光旅行には興味がなくなっていましたが。「加藤登紀子さんのコンサートがあるんですよ」と言われて、ならば行ってみよう!!と、その気になったのです。

 

2)読書の日々

不思議なものですね!? ちょうどぎっくり腰になって全く歩けない、外出できない状態が2週間続きました。其の後そろりそろりと動き出して、地域の図書館へ。
「ハルピンに行くんだけど、、」と口に出したら「じゃあ、この本が面白いわよ」と友人たちが次々「コレに読んだらいいわよ」と教えてくれました。

「地球の歩き方」   「赤い月 上下」なかにし礼
「百万本のバラ」「トコちゃん物語」加藤登紀子
「ハルピンの詩が聞こえる」加藤叔子
 「羊は安らかに草を食み」宇佐美まこと     
「731」青木 冨貴子

小説あり、ノンフィクションあり。それぞれの情報が未整理のまま、私の中にたまったままハルピンへの旅が始まったのでした。

戦争中に<細菌戦部隊・731>の施設はハルピンの南30キロの地点にありました。敗戦時にほとんど全てが日本軍によって破壊されました。しかし、軍が持ち帰った資料が戦後50年を経てアメリカで明らかになりました。これをもとに2006年に記念館が設立されました。

 

3)目で見た 感じた ハルピン

 どの本にも書かれていたのですが、ハルピンは美しい街でした。<8月の下旬は秋の始まり>とかで、朝は21度という過ごしやすい季節でした。ホテルは、繁華街のど真ん中に位置していて、昼から夜22:00過ぎ迄大勢の人でにぎわっていました。

 でも 一歩路地を入ると100年くらい前の建物はまだまだ残っていました。特に旧日本軍が使っていた官庁・病院・学校は現在も健在、さすがに名前は変わっていましたが、1900年代の数十年間満州として統治されていた痕跡が色濃く残っていました。

日本の植民地支配の前にはロシアとの交流が深かったのです。1886年に当時の清国とロシアのロマノフ王朝は手を結んで東清鉄道を建設しました。それが満鉄の前身だったのですね。したがって、日本人が満州へ来る前にロシアから多くの人々がハルピンへ来ていました。それもロシア人というくくりより、革命前から迫害されてきた貴族、さらにユダヤ人、ウクライナやジョージアなどから来た人々―いわば他民族・異民族のるつぼのような場所だったのではないか、と想像できます。

或る意味で、そこには故郷を追われた人々が違いを認め受容しあっていたコミュ二テーがあったのではないかと感じられました。

 

4)ハルピンの女性との出会い

  ハルピン滞在の1日、パックツアーの日程を辞めて友人と2人でハルピン市立歴史博物館を訪ねました。小さなspaceでしたが、写真が多くて展示されていて日本語表示がなくてもなんとなく理解できるありがたい場所でした。
そこでの出来事です。ちょっと品の良い、物静かな印象の中国人の女性に英語で話しかけられました。

「日本の方ですか?」―「はい」
「あなたがここへ来たのは、初めてですか?」 ―「はい、そうです」
「あなたがハルピンへ来たのは初めてですか?」― 「はい、そうです」
「まあ、そうだったのですか。それでここを 訪ねて下さったのですね。本当にありがとうございます」

実はこの前日に かの<731部隊・ミュ―ジアム>に行きました。圧倒的な量、そして克明な細菌部隊の犯罪の模型・史料をこれでもか、と見せつけられたような気がしました。その重苦しい気持ちをひきずっていたのでした。

この女性との会話は恐らく時間にしたら、10分足らずの時間だったと思います。これだけの会話だったのですが、この女性の物静かなのに雰囲気と同時にこころから歓迎しますという気持ちが真っ直ぐにこちらに伝わってきて、心洗われる思いがしました。

 

5)加藤登紀子さんのコンサート

 ツアーの最後の夜は新しいハルピンの音楽ホールでのコンサートでした。観客収容数1000名のところ8割の入り、オーケストラをバックに熱のこもった歌が披露されました。
登紀子さんも「わたしの原点はハルピン」と言い、その歌は聞き手の私たちの心に沁み込んできました。

 往復の飛行機も、そしてツアーの半日は彼女とも御一緒出来きました。率直な彼女の人柄にごく近くで触れることができ、これも大きな収穫でした。女性のファンが多いだろう、とは想像つきましたが、意外にも<男性、それも40−50代のファン>が少なからずいたのは驚きでした。そういう方は、モチロン一人参加!!でしたね。

 

 



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