 

2026年5月1日
1.非日常が日常になった9日間(ドバイにて)
1) 旅をしたのは?1日だけ
2) 船の中は平和そのもの ーー
3) 乗客の姿、アレコレ
4) チップの威力!?
5) 恐怖を実感したドバイのエア・ポート
6) 帰国後、初めて 真相??を知る
1)旅をしたのは?1日だけ
2026年2月27日から3月8日まで中東のドバイに行ってきました!!
成田を出てドバイの飛行場について、そこからバスで3時間だけ市内観光がありました。市内観光と言っても4か所くらいバスでそのスポット迄行って<外から写真を撮ってくるだけ>、一カ所だけショピングモールで小1時間ブラブラしただけでした。だって、その時は「その後に戦争がおきる」なんて 予想もしていなかったのですから。
午後、ペルシャ湾に停泊している大型客船に乗り込み 部屋について、クル―ジングの1日目が始まったのです。
そして、この夜 ただならぬ緊迫した船内アナウンスが流れ、トランプが戦争を始めたことを知ったのです。
2)船の中は平和そのもの ーー
乗客はー全部で4000人ほど、ある街がそっくりここに再現されていた、といってもいいでしょう。レストランもお店も劇場もプール、スポーツセンター、も ないものはない!? 図書館がなかったけれど。乗客は1000人がなんとロシア人、次は中国人が400人位、日本人はたぶん数十人、他はアメリカ・ヨーロッパからの人が占めていました。
ロシア人、中国人が多数派で、他はアメリカ、ヨーロッパ人。西洋人が東洋人(日本人?中国人?韓国人?)の区別がつかないように、わたし達にとっても白人というだけで、それがどこの国の人かわかりません。現在もウクライナとの戦争が続いているロシアから、多くの観光客がきているのも、驚きでした。
日本人はたぶんトータルで!?数十人位だったでしょうか、私たちが歩くと、船のスタッフは「ニイハウ」と必ず声をかけてきました。それに対してこちらが「コンニチワ」と返事をすると、ばつが悪そうに「コンニチワ」と返ってきました。
3)乗客の姿、アレコレ
- ビックリしたのは、、、食事のテーブルで スマホを前に、実況中継する中高年?女性がいたこと。それも一人二人ではなく、複数回見かけました。どこの国の人でしょう?こういう機器を使いこなすのですから、お年寄りではありません。50代くらいに見えましたが。 「今、私 船に乗っているのよ!! それも 戦争が起きて 1ミリも動かない船からレポートしています」と なんだか自慢げに話しているように見えました。食事を写したり、しゃべったり。
日本でいえば、若者が興奮して友達に実況中継しているようなありさまでした。いやー世界のどこにでも、マナーの悪い人、お上りさんはいるんだなあ、と妙に納得しました。
- もう1つの驚きは日本人のお客様は地方からの参加者が多いという事でした。なんと東京からは、私だけ。あとは 名古屋・茨城・下関・筑波、、、、 など、さまざま。それもクル―ジングは3度目、4度目ですというリピーターが多いのも驚きでした。
ただ、残念なのは あんまりお洒落な人はいませんでしたね。わたしの同室の友人は和服を持っていって、ひときわ輝いていました。
でも日本人から異口同音に言われた事「まあ、お着物をもってくるなんて、荷物が大変だったでしょう?」と。他にいう事はないの?とそばに居たわたしは画一的な反応にウンザリしたのでした。
4)チップの威力!?
基本、3度の食事は決められたレストランの決められたテーブルがあってそこで食べました。もちろん デッキで太陽を浴びながらビッフェもいただきましたが、白いテーブルクロスのかかった場所でゆっくりいただく食事が、閉じ込められて空間では何よりの楽しみでした。
そのレストランのウエーターにとても気の利くアジア系の男性がいました。2日目だったかな、私は思い切って少し高額のチップをそっと他の人に気づかれないよう彼に渡しました。なぜ? たぶん 深い理由はありませんでした。ただ、これから何日か、きっと彼のサービスを受けることになるだろうから「今のうちに、インパクトを与えておこう」と私の勘が働いたのですね。
それからー案の定、彼はそれまで以上のサービスをしてくれたのです。ワインのお代わりがほしいな、と思ったら、オーダーする前にすかさず私のグラスに注いでくれました。
日本人はチップを出すことになれていませんね。一部始終を見ていた私の連れは「チップの力はスゴイいんですね」と驚いていました。その後、私たちのお部屋のメンテをしてくれる小母さんに対してチップを彼女が渡したら、いつも上機嫌でコマメにお掃除をしてくれました。キチンと評価をすることー それはその人のモチベーションにつながりますね。
もっと日本人もスマートにチップをわたしてほしいなあーと 心から思いました。
5)恐怖を実感したドバイのエア・ポート
「明日もこの船は動きません、湾内に留まります」と毎夜 アナウンスがありました。「いつになったら 帰国できるのか?」と思っていた矢先、当初の予定より1日遅れて帰国できることになりました。
本当の恐怖を感じたのはこの時でした。飛行場内はドバイを脱出したい人で、ごった返しでした。まるで TVで見たことがある<難民キャンプ>のようでした。出国手続きも時間がかかり、出発ロビーで数時間待たされました。
ようやく帰国便に搭乗、やれやれと思った矢先 「爆弾が近くで落とされた?らしいので 降りてください」と言われ、また 飛行機の外へ。再び 搭乗して、離陸した時も「これで本当に帰れるの!?」と疑心暗鬼だったのです。
6)帰国後、初めて 真相??を知る
羽田についたのは3月8日、日曜日の早朝でした。何事もなく平和な日本、そこに今いる私。自宅に戻り、あくる日 地元の図書館に行って、新聞を読んで この数日間の出来事!!をようやく把握できたのでした。
「よく この時期に中東に行ってきましたね」と友人に言われました。
昨年の夏に旅行会社に申し込むときに言われた事。「お客様、この地域は東西、というか 世界中の利権がからんでいますのでむしろ安全なんですよ。戦争が起きたら、世界戦争になりかねない地域ですからね」と。
あまりにも自分が世界を知らない、政治を知らない。イタリア船籍のゴージャスな客船に今やロシアから、中国から大勢のお客が乗り込んでくる。いわゆる西ヨーロッパ・アメリカからのお客はむしろ少数派といっていい。
この現実を目の当たりにして、私自身の視野の狭さに気づかされた 旅―でした。
世界は広い!! 同時に 世界は狭い、ということも あらためて再認識した9日間でした。
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