トップ(top)   ダービーのマーク一覧のトップ

ダービーのマーク一覧(3)


3.1784−1795年頃(ウィリアム・デュズベリーU世期)のマーク
 本ページに掲載しているマークの写真のうち一部は、Antique Kit Porcelain Galleryのrisukoさん及びThe China CupboardのAlan Robertsさんからご提供いただいている。
番号 マーク 年 代 説 明
3-1


































3-1


























3-1




































3-1




























3-1





































3-1

























3-1























3-1

























3-1
























3-1





























3-1






























3-1










































































1784-1806年頃


◎金彩師番号は1784年頃に導入。ただしデュズベリー&キーン期に入ると(1795年頃以降)、使用されなくなったと見られる。(交差バトンマークの基本色が赤になった以降、再導入された。)

◎図柄番号は1785年頃に導入。1810年代初頭まで継続して使用された。







































































◎「交差バトンマーク」の形状について

 チェルシー・ダービー期の2b-2のマークの王冠とDの間に「交差するバトンとその左右に各3つの点」を挿入したもの。一般に「交差バトンマーク(crossed-batons mark)」と呼ばれる。この後長期にわたって、ダービーの基本マークとなる。


 この「バトンと点」が何を意味するのかは明らかでない。マイセンの双剣マークを意識したものとの見方があるが、それだけでは両脇の点を説明できない。(なお、交差するバトンはV又はUを重ねたものであり、両脇の点は苺(berry)を表し、マークを下から読むと「D-Us-berry = Duesbury」となるという珍説(?)もある。)


◎マークの色について

 このマークは、19世紀初頭(1806年頃)までは暗褐色(puce)で描かれるのが基本であった。そのため、単に"puce mark"と呼ばれることもある。このpuceと呼ばれる色は、日本人の色彩感覚からいうと紫に一番近いが、茶系の色合いも若干あり、また地味な中にも透明感のある複雑な色である。

 また、風景画あるいは植物が描かれた作品では、その地名や植物名が裏面に青色で記されることが多かったが、その場合は交差バトンマークも青色で描かれた。さらに、特注品の場合は金で描かれることもあった(左欄六番目の写真)。その他、黒などで描かれた例もあるとされる。


◎金彩師番号について

 このマークの使用開始とほぼ同時期に(あるいは、それより少しだけ遅れて)、いわゆる「金彩師番号」も導入されたと見られる。これは、厳密には金彩師だけでなく、青地、パターン図柄をそれぞれ担当した職人たちに割り振られた職人番号で、担当した作品の高台内側に、各々の番号を記したものである。

 交差バトンマークを描くのは、最後に作業する金彩師の役目であり、金彩師の番号は、交差バトンマークと同じ暗褐色で記される。マークと番号の位置関係も固定していることが多い。

 青地を担当した職人の番号は青で記された。さらに、パターン図柄を担当した職人の番号は赤で記された。なお、ここで言う「パターン図柄」とは縁文や地文などを指す。作品中央に描かれる花絵や風景図などは、熟練絵師の裁量に任されており、定まったパターン図柄には含まれない。

 この職人番号の導入当初の作品には、それぞれの役割分担に応じた複数の色分けされた番号が記されていた。一人の職人が金彩、青地、パターン図柄のうち複数を担当することもあり、一つの作品に同じ番号が違う色で記されることもあった。(左欄二番目の写真では、高台内側に暗褐色の8と青色の8が記されている。)しかし、このルールは長続きしなかった。時がたつにつれて青と赤の番号は次第に記されなくなり、1790年頃までには金彩師が記す暗褐色の番号のみになっていった。

 この職人番号が導入された当初(1784年頃)に各番号が振られた具体的職人の氏名等については、下記「金彩師別マーク比較」に詳述する。当初の番号は、1795年頃までは最初に番号を振られた職人が使用し続けたと見られる。しかし、経営者がウィリアム・デュズベリー二世からマイケル・キーンへと移る1795/96年頃には、職人たちの大幅な入替りがあった。キーンの経営下では職人番号が重視されなかったが、19世紀初頭までには、新たな職人たちへの番号の再割当が行われたと考えられている。

 なお、職人番号は多くの場合、アラビア数字(1,2,3…)で記されるが、時にローマ数字(ただしW以降のみ)で記されたものもある。同じ職人がアラビア数字とローマ数字の番号の両方を使い分けたのか、それとも別人が使用したのかは、必ずしも明確でない。


◎図柄番号(パターン・ナンバー)について

 図柄番号制度の導入は、交差バトンマークの導入より1年程遅れ、1785年頃に開始されたと見られている。当初は左欄二番目の写真(N32)のように、マークの周辺(特定の位置は決められていない)に記された。頭に"N"が付けられることも、単に数字のみが記されることもあった。しかし、職人の番号との混同を避けるためであろう、1787/88年頃には、図柄番号は交差バトンマークのすぐ下に記されるように統一された。

 初期の図柄番号は、チェルシー・ダービー期から描かれていた図柄に、1785年頃に後追いで番号が振られたものであり、図柄の導入順に番号が振られたわけではない。

 なお、ダービー(ノッティンガム通り工場)では、図柄番号が記載されたのは「交差バトンマーク」の時期のみである。交差バトンマークの時期であっても、マークだけで図柄番号のない作品は少なくないが、逆に、マークなしで図柄番号だけの作品は基本的にない。この点は、ダービー作品判定の一つの有力な根拠となる。


 さらに、磁器人形や壺では、このマークが刻み込まれた例がある(左欄六番目の写真)。その場合は、型番号やサイズ番号、リペアラーのマークなども刻み込まれる場合もある。(チェルシー・ダービー期のマーク(2b-6)を参照。)


【金彩師別マーク比較】

 ダービーでは、マークは金彩師によって描かれるのが原則であった。バトンマークは複雑なマークであり、かつ、この時期には丁寧に描かれたため、描き手ごとのマークの特徴が明瞭に見て取れる。さらに、各金彩師には(また青地や、パターン図柄の担当職人にも)番号が与えられており、特に金彩師番号の場合は、その番号がマークから見て一定方角の高台内側に描かれることが多い。以下の表で、こうした特徴を比較していただきたい。(ただし、金彩師番号は時代とともに別人に受け継がれたことに注意が必要。この表は1784-95年頃のものである。)なお、高台内側に複数の番号が記されている場合は、染付師番号は青、絵付師番号は赤、金彩師番号は暗褐色(puce)で記されるのが一般的である。

金彩師番号
氏名
(役割)
交差バトンマーク
(暗褐色)の写真
番号の写真
(記載位置)
(参考)
チェルシー・ダービー期(2b-2)のマーク
1. Thomas Soare

(金彩)

コラム11参照




(マーク上方)
2. Joseph Stables

(金彩)




(マーク下方)
3. William Cooper

(金彩)




(マーク左方)





(マーク左方)
4. William Yates

(金彩)


(マーク右上方)
5. John Yates

(青地、金彩)









(マーク右上方〜右方)

6. Edward Withers

(パターン図柄、金彩、青地)
6番の金彩師による「交差バトンマーク」が記された作品は知られていない。

Stephen Mitchellは、右欄の青色の「王冠の下にD」のマークの主(Dの左下が横に長く伸びていることから"Longfoot"と呼んでいる)が、6番の金彩師であり、番号が振られたのとほぼ同時にダービーを去ったため、事実上6番が欠番になったと推論している。(S. Mitchell "The Marks on Chelsea-Derby"  ダービー参照文献のページを参照。)
7. William Billingsley

(パターン図柄、金彩)












(マーク右方)


8. William Longdon

(パターン図柄、金彩、青地)











(マーク右方)
9. William Smith

(パターン図柄、金彩)
























(マーク左下方)
















10. John Blood

(パターン図柄、金彩)


(マーク下方)
11. William Taylor

(パターン図柄、金彩)


(マーク下方)
12.John Duesbury

(金彩、監督)
(写真なし)
13. Joseph Dodd

(金彩)
(写真なし)
14〜16.氏名不詳

(金彩)
(写真なし)

3-2 パッチマーク
(Patch Marks)
1750年代後半頃に導入され、少なくとも18世紀末までは見られる。  この時期の人形等にも、引き続き「パッチマーク」(窯の中で、3〜4個の球状の台の上に作品を置いて焼いたために付いた黒ずんだ丸い焼き痕)が見られる。(ウィリアム・デュズベリーT世前期のマーク(1-1)及びチェルシー・ダービー期のマーク(2b-5)を参照。)
3-3 チェルシー・ダービー期に導入され、1780年代後半頃まで使用されたと見られる。  チェルシー・ダービー期のマークのページ、(2b-4)を参照。
3-4 18世紀終盤以降  中国・明代の各皇帝期のマークは、中国のオリジナル作品あるいは日本の伊万里作品を通じて、英国各窯でコピーされた。写真は「大明成化年製」を写したもの。
 他の窯では、単に「漢字っぽい」記号に留まっていることが多いが、ダービーのこのマークは全ての文字を比較的写実的に書き写している。
3-5 18世紀終盤以降  三つ足の「鼎(ting)」に似ていることからting markと呼ばれる。これに似たマークに「陶工の椅子(potter's stool)」マークがあり、ともにダービーで焼成され、部外で絵付けされた作品に用いられたマークだとされている。(焼き上がりの悪い作品を白磁のまま部外に販売した際に付けられたマークだとする説があるが、異論もある。)
3-6 アルファベット及び数字
(陰刻)
1787/88年頃以降  ローマ字の大文字又は数字の刻印。かなりの種類の文字・数字がある。窯で焼く際の区別のために用いられたとの説があるが詳細は不明。年代を示すものではないとされる。

(2008年6月更新)