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「昔の川は、もっと暴れ者だったからなあ」 「みんな知らず知らず川に育てられてきたんだね」 「鳥や虫や魚が元気なところでは人も元気だよ」
「いまも、昔も人間は偉いことをするもんだな」 「あの庭の美しさを支えているのも川なんだね」 「まったく、川のある暮らしって、いいもんだなあ」
「あの庭の美しさを支えているのも川なんだね」―みずみずしく美しい後楽園の四季

旭川には多くの中洲がありますが、日本三名園のひとつといわれる後楽園も、実は、旭川の中州につくられています。園内を流れる小川は水の圧力を利用したサイフォンの原理を用いて、後楽園用水から水を引き込む工夫が取り入れられ、旭川の水面 よりも高い位置に水が引き込まれています。川より高いので乾燥しやすく、苔などが育ちにくいため、日本の庭園では初めて芝生が導入されたということです。
岡山城の本格的な築城は16世紀の末。慶長2年(1597)ごろの完成といわれています。宇喜多秀家が築きました。五重六層の勇壮な姿。その工事のとき、旭川の流路を付け替えて堀の代わりとしました。そんな岡山城から後楽園にかけて、水の流れを制御する多くの石組みが見られます。
後楽園が生まれたのは元禄13年(1700)のことでした。藩主池田綱政の命を受け、百間川を手がけた津田永忠がつくりました。完成までに14年の歳月を要しています。
「天下の憂(うれ)いに先んじて憂い、天下の楽しみに後(おく)(遅)れて楽しむ」という精神を造園で表現したとか。その意図がそのまま後楽園という名になりました。

後楽園の庭園内。旭川を挟んで岡山城が見える

月見橋より岡山城を望む

後楽園

近年、旭川右岸沿いに「水辺の回廊(旭川と後楽園、さらに市街地を結ぶ散策路)」が整備され、新しい都市景観を生み出した
 
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