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2003年4月
Italy(4/21-4/22/03)
Italy(4/23-4/24/03)
Germany(4/27-4/29/03)
Germany(4/30-5/1/03)
Denmark(5/1-5/3/03)
2003年5月

Seek first the kingdom of God and His righteousness,
and all these things shall be added to you.

My Diary (Italy)

4/27/2003

ローマのホテル・スタッフ

私は、今まで利用したホテルでこんなに苦情を言った(K子の代弁とはいえ)ところはありませんでした。 というか、多少のことには目をつむっていたからかも知れません。 今回のように6連泊するというのも初めてだったし。彼女がヨーロッパのホテルに慣れていないので、 仕方がないのかも知れませんが、4星とて完璧なホテルはないのです。 社長秘書時代に、4日間続く海外から偉い人達が集まる経営戦略会議で、 お世話をする為当時のHRヘッドの秘書と一緒に、 都内の一流ホテルに3泊したことがありました。HRヘッドの心遣いで、 私達はそれぞれ別々に部屋を取ることになり、ツインのシングルユースのゴージャスな部屋で (コーポレートレートで安くはなっていたものの、元のレートは一泊4万円近くしたと思う)、 あまりにも分不相応なので良いのかなぁと思ったことがありました。 部屋の中の至る所で、日本人の繊細さや心配りが感じられました。あそこと比べてしまうと、 ヨーロッパの4星には満足ではありません。歴史があって由緒あるホテルでも、 近代的なホテルが良いと思う人には、エアコンが付いていなかったり、 バスタブがなかったりするのはK子じゃなくても耐えられないと思います。

私にとっては、夜中のタクシーで着いた時、 スタッフのアルビーノさんが、67ユーローをポケットマネーで立て替えて下さったことを嬉しく思いました。 恐らくマネジャーが気をきかせて、6泊する私達を150ユーローのコンティーリアではなく、 同じレートでもワンランク上の室内がロマンチックなラ・ルミエールにかえてくれたような気がしました。 (まぁ、何でも良いように解釈するので(笑)) そして、ダブルの部屋でバスタブがないので部屋をかえてくれと言ったら、 隣のバスタブ付きのツインの部屋にかえてくれた。 確かにバスタブの下から多少水は漏れたものの、私は許容範囲だと思いました。 バスタブを直して欲しいと、イラストまで書いて英語のメモを置いておいたのに、 直っていなかったのはメイドが英語が読めなかったからだろうと言われました。(^_^;; 朝食はちょっと貧弱だったかな・・・。でも、イタリアの朝食がどんなのかわからないので、 他の国のと比較してはいけないのかも知れませんが・・。 私は変えられたホテルの部屋の壁に、ホテルのレートが一泊いくらと書かれている紙を見つけました。 イタリアでは法律で義務づけられているらしい。 そこには3つ星なのに500ユーローと書かれていました。 私は「?」と思い、テルミニでインターネットを使った時に、そのホテルのレートを調べてみました。 すると驚いたことに、私達の部屋は、ラ・ルミエールでツインの最上の部屋だったことが分かりました。 (一番安くて150ユーローです。)ホテル側は気を遣ったのでしょうね・・・。

色々欠点はあったものの、小さいホテルだったので、その人間模様が面白かった。(笑) 先のアルビーノさんも良い味だしているおじさんだった。口笛を吹いていたメイドも面白かったし。 若いお兄ちゃんはトロかった・・。 K子が日本に電話するのに変なプリペイドカードを買って来て、使い方がわからないとギャーギャー言っているので、 うっとおしくなり、私も電話の使い方がわからないので、フロントを呼んだらその彼がやって来た。 でも、私はお風呂から上がっていたので、スッピンで頭をタオルで巻いていたし、 パジャマ姿で、好きな人には見せたくないような格好だった・・。(^_^;; K子は「お兄さんにやり方を聞いたらかけてみて。 それでM(BF)が出たら、こっちからかけなおすって言っといて。」とお風呂に入ってしまった。 彼は「オーケー」と言って受話器を私に預けて部屋を出て行くところだったけど、 見知らぬイタリア人が「Pronto(もしもし)」と出て来たので、 「Momento, per favore.」と、慌てて彼に代わったら、彼が間違ってナポリのどっかの家にかけてしまったことがわかりました。(^_^;; チェックアウトの時も、彼は私のVISAカードでの支払い2件を機械で何度やっても読み取りが出来ない。 あまりにも出来ないので、私がやるとスッと1回で出来ました。2回ともそうでした。(笑) 彼は、「どうやったの?」ととても不思議そうにしていました。(^_^;;

もう1人いたおじさんは、悪い人ではないんだけど、不器用な人だった。 最新式のバスの水まわり(上のシャワー、下の蛇口、あとチョロチョロ横から出て来る細いシャワー? を一つのハンドルで調整する)と温度調整が分からなかったので呼んだのに、 「I don't know」と言われた。(^_^;;それで私は、「わからない、ではなく、 わかるスタッフに聞くなりして、問題を解決するのがあなたのお仕事ではないのですか?」 と皮肉を言うほどでした。彼は、ガチャガチャ壊れるかと思うくらいハンドルなどを動かして、 偶然お湯が出るようになったのですが、どういう風にやって出たのか本人にもわからないので、 「もう一度止めてどうやるのか教えて下さい。」と言うと(だって1人で出来なきゃね・・)、 「オー、マダム」と言われてしまいました。 昨日の朝、K子からの苦情(お湯がぬるい、冷蔵庫が冷えない、朝食が貧弱、バスタブは直っていないなど) を立て続けに言ったら、彼には理解出来なかったようで、「オ〜、ラガッツァ」 とか言って、私の左の頬を右手で軽くポンポンと触りました。(お姉ちゃん扱いかい?(^_^;;) 私は苦情を言っていたのであって、このおじさんと世間話をしていたわけではないのに。(^_^;; そうそう、肝心のオーナーは、どちらかと言うと静かなタイプだったので、 北イタリアの出身だと思われます。 先のおじさんに苦情を言った後、オフだったけどオーナーがたまたま立ち寄り、 おじさんからそれを箇条書きにイタリア語でその場で伝えられていたのだ。 自分のホテルには誇りを持っているだろうに、K子のお陰でプライドはズタズタだったろうと思う。(^_^;; 私は悪いホテルだとは思っていないんだけどね。(^_^)


4/26/2003

バチカン博物館(Musei Vaticani)

K子との旅行は明日で終り。今日は一日めいめい好きなように行動することにし、 今日は18時にテルミニ駅のチケット売り場で待ち合わせることにしました。 私達は、テルミニ駅や500人広場(ピアッツァ・ディ・チンクェチェント)の場所も、 1回券(75分以内ならば、一枚で乗り降り自由。0.77ユーロー。)や、 1日券(BIGという。3.10ユーロー)の切符の買い方も、 A線とB線しか走っていないシンプルな地下鉄にも、 だいぶ慣れていたので、買い物好きなK子には心おきなく買い物をしてもらい、 私は私で行きたいところに行くことにしたのです。 私はバチカン博物館に行き、開館の8:45にすぐに入れるように、朝食も抜いて出かけて行きました。 博物館はオッタビアーノ駅から10分位歩いたところにありました。 やっぱり並んでいました。入場料の10ユーローはかなり高い(ちなみに昨年行った大英博物館は無料です) と思いましたが、94年に修復が終ったシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの絵が見たいと思いました。 博物館は広く、どれだけ時間をかけて見るかは個人の興味次第だと思いますが、 私は何度も休憩を取りながらもせいぜい3時間ちょっと位でした。 あっさり見た方かも知れません。

沢山見たので全部を語ることは出来ませんが、システィーナ礼拝堂についての感想を書きたいと思います。 本によると、中は縦40.23m、横13.41m、高さ20.7mだそうですが、 実際は人が満員電車状態だったので狭く感じました。礼拝堂というより、床以外は絵だらけの体育館 (変なたとえですが(^_^;;)みたいな感じ。人でごった返しがやがやとしていた為、 各国語で「静粛に。フラッシュはたかないで下さい。」などの注意が何度もアナウンスされました。 私は一人だったのですが、きっと誰かと一緒だったら、感動を伝える為に声を出してしまったと思います。 私の拙い言葉で表現することは不可能なのですが、素晴らしいのひとことでした。 圧巻はやはり、入口の所の壁全体に書かれている『最後の審判』です。 絵の大きさは、縦14.5m、横13mで、右側は天国に行ける人達、 左側は地獄に落ちていく人達が描かれていて、キリストが中心にいて審判を下している。 1人皮だけの抜け殻の人間が描かれていましたが、この人は皮を剥がされて殉教した聖人だといいますが、 ミケランジェロの自画像ともいわれているそうです。 又、天井画も素晴らしかったです。見るのは苦労しましたが。(^_^;; 『E.T.』という映画でぱくった、有名な『アダムの創造』、『楽園追放』も色彩が鮮やかで美しかったです。 後、博物館内の別の絵画館ですが、『キリストの変容』、倫理の教科書にも出ていた『アテネの学堂』 などが印象的でした。

私はランチタイムに、庶民的なレストランに入りました。 町中がピザの匂いでむせ返るほどでしたので、オイリーなものはちょっと敬遠したい気持ちだったので、 (きっと大きいのが来るだろうなと予想はしていましたが)ポークステーキとコーラを注文しました。 コーラはコップと350mlのあの缶入りコーラがボンと置かれました。(^_^;; ステーキは大皿に野菜と一緒にワラジが2枚のっているようでした。(笑) パンもひと籠持って来ました。それでも、朝食を抜いていた為か、殆ど全部食べてしまいました。 何か無難なものを注文したせいか、美味しいものを食べた満足感で一杯でした。 その後は、コロッセオに行き、フォロロマーノからカンピドーリオの丘まで歩いて行きました。 カンピドーリオ広場は芸術的で美しいところでした。又、ちょっと歩くと、 イタリア統一を記念して建てられたという、巨大なヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂にも行きました。 坂道とかをすごく歩いたような気がしますが、高い所から眺める景色はどこも美しかったです。 K子は、スパーニャの近くのポポロ広場に行ったらしい。彼女は彼女で1人歩きを満喫したようだった。 しかし、K子がすごいなと思うのはその度胸の良さだ。英語は出来ないけどすごく行動的だ。 私はその反対。(笑)道に迷った時も、私はまず自分で考えてどうしても分からない時に初めて人に聞くのですが、 彼女は1秒も考えないで人に聞くタイプです。(^_^;;人の手を煩わせたくないと遠慮しちゃうのですが、 彼女から見たらイライラするのだろうなぁ。


4/25/2003

サンタンジェロ橋へ

サンピエトロ広場の前のコンチリアツィオーネ通りをま〜っすぐどこまでも歩いて行くと、 AD135年に架けられたというサンタンジェロ橋のところに出ます。 ポンテベッキォとは趣が全く異なる、とても美しく芸術的な橋でした。 そこまでの道程が、K子によると、シンガポールに似ているということでした。 確かにコンチリアツィオーネ通りは、南国のようなとてもリラックス出来るところでした。 私達は喧嘩もせずに、ゆっくりとのんびりと過ごすことが出来ました。 景色も建物も美しく素晴らしいものでした。 ちょっと興ざめは、サンタンジェロの広場では、道端でブランドのバッグが沢山の商人?によって売られていたことでした。 全部が中東の人か黒人でした。 余談ですが、K子はブランド好きですが、時々まがい物をあちこちで買っているようだ。 例えば、一番笑えたのは、彼女が持っていたタバコケースが「Benetton」ではなく 「Benotten」になっていたもの。(笑)それも、本人は全く気がつかず私が気がついたのです。 後私は実際見なかったのですが、「Adidas」が「Adodas」になっていたというのもあるらしい。(笑) でも、ルイヴィトンのLとVの下が重なっていると偽物だとか言うよりも、 「Benotten」は、何か憎めないウィットがあって楽しいじゃないですか?!(本当はいけないけど。) まがい物ではないけれど、「Coca Cola」のロゴがもじられて「Ciao Ciao」 になっているTシャツが売られているのを沢山見ました。 K子はBFのと自分のを買ったみたいでした。(笑) 私は買いませんでした。お笑い好きですが、お笑い者になるのは嫌だから。(笑)

私達は毎日ミネラルウォーター(だいたい2ユーローが多い)を持ち歩いていたほど、 ローマは暑くすぐに喉が渇いてしまいます。 私達は広場でジェラートを買いました。彼女はピスターチオとクリーム、 私はチョコレートとバニラを買いました。お店の人は、K子を韓国人と間違え、 私は日本人らしくメガネをかけていたのにアメリカ人と間違えられました。 そ、そんなぁ〜。多分私の英語の発音がアメリカ英語だからかも。 まぁ、それはともかく、私達は近くの公園のベンチに腰をかけて、 アイスクリームを食べながら、寄ってくるハトをずっと見ていました。 驚いたことに白いハトも混じっていました。 K子と私は、ハトは歩くたびに首を振っていて疲れないかしらね、などと笑いながら見ていました。 私達はゆっくりとコンチリアツィオーネ通りを戻り、あちこちのおみやげ屋に入りました。 こちらに来て本当に驚いたことは、道端でおみやげを売っているイタリア人の中にも、 日本語を話す人(カタコトから流暢な人まで)が結構いたことです。 それだけ日本人観光客が多いということなのでしょう。フィレンツェでK子が沢山買い物をした時も、 「イッショ?ベッツ?(一緒に包みますか。別々にしますか。)」と言っていましたっけ。 又、こちらが相手にしなかったら、「コンニチハ。オッハー。」と言われたことも。 誰よ、こんな日本語教えたのは。(笑) 本当にここ(バチカン〜サンタンジェロ界隈)は何時間いても飽きないところだよね〜と、 私達は仲良くここで一日を過ごすことが出来ました。

バチカン

スパーニャ(ホテルのすぐ傍にある地下鉄の駅)から、4、5駅行ったオッタビアーノ・サンピエトロが、 バチカンの最寄りの駅。「ローマに来たらバチカンを見ないとね。」とK子に言っていましたが、 救われる一年前の22歳の時に来た時以来ということもあり、私もすごく楽しみでした。 「トレビの泉」で後ろ向きにコインを泉に投げたおかげで(笑)、 又ローマに来ることが出来ました。もちろんそこにも行きましたし、正直者かどうかがわかる(笑) 「真実の口」にも行って来ました。見た所全部を書ききれないので、 どうしてもドタバタの話ばかりがトピックになってしまいがちですが(苦笑)、 今日は本当に穏やかな一日を二人で過ごすことが出来ました。 オッタビアーノ通りを真っ直ぐ歩いて行くと、サンピエトロ広場の横に出るようでしだ。 どんどん歩くと、バチカンが近づいて来る。広場の横には屋外の大なテントがあって、 おみやげ屋が無数に入っていました。私達はそこに入り、色々な珍しいものを見たりしていました。 カトリックでいうロザリオは沢山ありましたが、私はとても綺麗な銀色の十字架を見つけて、 5ユーローという安いものだったので金属アレルギーが心配でしたが買いました。 (この日記を実際アップしているのは5月6日ですが、全然アレルギーは起っていません。感謝。)

ローマは、観光客が他とくらべものにならない位の人の多さですが、 ここバチカンもそうでした。サンピエトロ寺院は外観が美しい寺院で、 サンピエトロ広場のまわりは円形の回廊に囲まれていて、当時は何だかわからなかったのですが、 どうやら百数十人の立っている像は聖人と言われている人達のようです。 (まぁ、個人的には人間を聖人というのは好きではないですが。) 中は、初めて見た時のような驚きはありませんでした。もっとも、前回は初めての海外で、 見るもの全てが珍しく驚きの連続でしたから。 でも、クリスチャンになって、聖書を学んでいるので、一つの絵を見るのでも意味を持って見ることが出来ました。 又、何よりも、K子に絵やその聖書的背景などを、多少なりとも説明することが出来たのは感謝なことでした。 中にペテロの像がありました。何故か足元だけが光っていました。 これは、日本的に言うと「御利益」を求めて、人々が手で触る為のようでした。 もちろん私は意味のないことなので触りませんでしたが、K子はしっかり触っていました。(^_^;; 間違ってはいけないのは、ペテロは人間、マリアも人間だと言うことです。 私達が拝む対象は神様お一人です。偶像崇拝はいけません。 とは言っても、ミケランジェロのピエタとか色々しっかり写真に撮ったので、 いずれネットでアップしたいと思っています。毎年言っていますが、今年こそは本当に!

1997/5-2002/10までの日記は、諸事情により、当面非公開とさせていただきます。