- 江戸で初めての上水道をつくった男 -

お菓子な旗本 大久保主水


32.歴代の大久保主水について


ここでは、初代から12代までの大久保主水について、これまで閲覧した由緒書からの情報をまとめて行こうと思う。
2代以降の事蹟については、9代主水忠宜の「文政の由緒書」(文政元年/1808年:筑波大学図書館)、および、11代主水忠保の「文久の由緒書」(文久年間/1861〜64:家伝史料)が詳しい。その他の由緒書にも、数行ずつ言及されている場合があるが、概ね簡略である。よって、文政および文久の由緒書をベースにしてまつめつつ、適宜、その他の由緒書の記述も参照する。それぞれの差異については、適宜、コメントしていく予定である。
また、文政および文久の由緒書は古文書のままで翻刻された形跡がなく、読解については努力したつもりだけれど、読めなかった文字もあるし、誤読もあると思う。さらに、砂糖買い(これが結構、登場する)などについては、基本的な知識がないので、分からないことが多い。それは、そのままにする積もりである。まずは、歴代の一覧から始めようと思う。それぞれの詳細については、これからゆっくりと下層にリンクしていく予定である。


幼名


出自

没年


初代

藤五郎

大久保忠行

宇津左衛門五郎忠茂五男

元和3年7月6日

1617

いか

日宝

遠山氏女

寛永21年6月21日

1644

2代

十右衛門

大久保忠元

養子 実水野藤左衛門次男 実は従弟にて世町司称樽屋

慶安1年4月20日

1648

3代

三四郎

大久保忠辰

養子 実忠元弟

延宝8年10月9日

1680

4代

十五郎

大久保忠武

三四郎実子 母は新庄宮内女 (※墓石には「奈良屋藤蔵四十四歳」とあり)

宝永3年8月26日

1706

5代

善右衛門

大久保忠光

養子 実は従弟 隠居名長古?

享保4年4月2日

1719

6代

藤五郎

大久保忠郷

致仕称長吉(隠居後は長古) 五岳

宝暦9年3月8日

1759

7代

藤五郎

大久保忠箸


延享5年6月20日

1748

8代

岩之助

大久保忠英


寛政4年2月2日

1792

9代


大久保忠宜

ただよし

天保2年10月6日

1831

10代

忠五郎

大久保忠記

ただのり

万延1年6月29日

1860

11代

善五郎

大久保忠保

御腰物支配御彫物師十四代後藤四郎兵衛ノ弟勇五郎長男養子

明治37年11月10日

1904

12代

忠五郎

大久保忠達


昭和9年10月1日

1934


(2020.06.28)

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