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2007年5月1日
4 かけがえのない存在 ―アップルパイの仲間―
実は私は いまだに携帯電話を持っていません。「なぜ?あなたのような仕事をしている人こそ必要でしょう?」と 出会った人に異口同音に言われる。
数年前に一度持ったが、辞めた。あまりにも、マイナスのほうが大きかったから。
今では “携帯を持たない人”はたぶん 化石といってもいいかもしれない。
ところであなたには、“かけがえのない存在”っていますか?家族、恋人、友人、、を含めて、そういう存在がいるかな?と自問自答してみた。そういう人がいたら、携帯電話も必要かもしれない。
私には? もちろん、実家にいるシングルの兄は かけがえのない存在。そして、今夜 出会った友人達もそう。男性3人と私で4人。いまだに私にとっては他のメンバーことを「――君」と呼ぶほうが自然である。男性同士は みんな名前を呼び捨てにしている。
大学のサークル(法史学研究会)の同期の仲間。サラリーマン、経営者、商店主、フリーランスなど。結婚した人、子供がいる人、いない人、2度結婚した人、シングルの人など。見事!!にそれぞれが 異なる方向に進み、そして30年の余を過ぎても 2ヶ月に1度、読書会をしている。今夜は“江戸の町人文化”について本を読み、そのテーマで話した。
なぜか、この仲間の輪を“アップルパイ”と名づけた。遠い昔のことで、命名の理由は忘れてしまった。
知らず知らずに「死」がテーマになった。そして、私は改めて他のメンバーの携帯を聞いて、メモした。「でも、わたしが死んでも、もうそのときは連絡しないわ。せめて次回6月までみんな生きていようね」とわたしは別れの際に言った。年齢を重ねると「死」が身近になる。メンバーも、少なからず身内を見送っている。こうして「死」を明るく、自分の問題として話せる友はありがたいなあ、と実感した。
かけがえがない、といえるのは「時間を共有した長さ」にもあるのではないか。つかず離れず、気がついてみたら、ずいぶん長い時間、飲み、話し、会い続けてきたんだなあーと。「最後までしぶとく生きているのは、一体誰だ?」と、いうことで お開きになった。
(07・4・20記)
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