2013年5月1日
1.【特別編】ミャンマー・ハイライト 〜前編〜
(1)バンコク AIR PORT― 全力疾走から始まった
「プロの旅行代理店がたてたプランだから、まさか乗り遅れることはないだろうけど、、」と気持ちを落ち着かせながら、それでも不安がよぎった。成田からバンコクで同じタイ航空へ乗り換えなければならない、その間 60分。でも 遅れたので正味45分くらいだった。トランジットのゲートを出て、ミャンマー・ヤンゴン行のゲートはなんと!!エアポートの対角線にある場所、おそらく1・5キロくらいあったと思う。
早足で歩いていたのだが、本当に間に合うのか? しだいに不安が高まった。一緒のA子さんはわたしの右足が不自由なのを気遣って「ゆきさん、わたし 走るから、、、(あなたは ゆっくり来なさい)」と駆け出した。私も「わたしも走ります」と声をあげて、後に続いた。走った、走った、たぶん 10分以上 全力疾走。ゲートにたどり着いたときは二人とも汗びっしょり。私は、この時「本当に足が回復したなあ」と実感できた。
(2)イケメンのガイドさんと会う
今回の旅行で一番のポイントはどんなガイドさんにあたるか!?ということだった。特に私も一緒に行ったA子さんも旅慣れているというものの、やっぱりミャンマーは初めての場所。ヤンゴンの空港でそのガイドさんに会うときは、ドキドキした。
夜の便だったが、大勢の出迎えの人、人、人。入国審査の先のゲートで待っている、最初「あの人かしら?」と目をつけていた中年女性は私たちに目もくれない、「この人ではないらしい」と彼女の前を通り過ぎた。次はごちゃごちゃと大勢の出迎えの中から私たち2人のネームを書いた看板を探すことだ。あった、あった。インド系の若い青年が看板を胸の前にかざして、真剣な顔でわたしを見ていた。
「わたしよ!」と叫んで彼に近寄ったら「A子さんですか?」と言われた。「違います、A子さんはあちら」というと「ゆき子さんですね、失礼しました」と流ちょうな日本語が帰ってきた。
「僕なりにあの人ではないかな」と思って、その人がゲートから出てくるのを待ちます。そして名前のカードをその人に見やすいように掲げて反応をみます。もし自分の名前とわかると、その人の表情が一瞬に変わります。特に目がキラキラと輝いて、嬉しそうに僕に話しかけてくるんです。
でも時には間違いというか、行き違いもありますね。僕なりに「この人だろう」と思っていた男性が、すーっと通り過ぎて??と思っていたら、その人は引き返してきて初めて自分の名前を見つけてほっとした表情になります。でもこの出会いの瞬間が好きですね。そしてとても大切な場面です。
と 私たちのガイドWさんは後で語ってくれた。<目がキラキラと輝いてくる、、、>とはなんと素敵な表現だろう。彼の感性の一端に触れたような気がした。
(3)忘れがたいインレー湖の夕闇、出会った人々の笑顔
この旅のネーミングは「ミャンマー・ハイライト」である。今現在、2013年2月時点でのハイライトを網羅したといってもいい旅だった。が、その中でも「一番の場所は?」と訊かれたら、間違いなくインレー湖をあげる。ミャンマーの丁度真ん中、まだまだ手つかずの自然、そして人々の営みがある。たぶん、もう数年のうちに観光地として大変貌をとげるだろう。
道路の代わりに、湖からの水路がある。人々は上手に小舟を操って湖に点在している浮島の畑に向かい、農業を営んでいる。または 湖で魚をとって生活している。あちらこちらに小さな小屋が畑の中にある。高床式の小屋である。広さはそれこそ4畳半、一間という感じだ。「あれは何ですか?」とガイドさんへ尋ねたら「農民の休む小屋、または 畑に泥棒がはいらないように見張っている小屋です」ということだった。
湖の中に畑がある。それは浮島にあるので水位によって、畑も浮いたり沈んだりするそうだ。なんとも、日本の土の畑と比べると、、不思議な感覚がした。
このインレー湖では、旅の中で最も忘れがたいホテルに泊まった。それは湖に面したロッジで、木造の素朴な雰囲気だが、中は広々としていて童話に出てくるような天蓋がベッドにかかっていた。窓の外は静かな湖、音はない。夕闇をみながら、いつまでもベランダのベンチに座っていたい気分だった。が、日が暮れるとかなり寒さが襲ってきた。そしてこのホテルのベルボーイが、すごっくいい笑顔をみせてくれたのが印象的だった。
小舟で向かったある村では、今では少なくなった長―い首に鉄の輪を巻いている少数民族の女性に出会った。この人もとても優しい笑顔で、私たちを迎い入れてくれた。素朴な人々の温かい表情はいまでも心に刻まれている。
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