2017年1月1日
1.幸運な出会いに感謝して
“人を信頼できること”がどれほど大切なことなのか、2015年ー2016年に体験しました。2015年の6月に乳がんが発覚して半年間の抗がん剤治療を受け、2016年のお正月に手術を受けました。ちょうど1年がたったことになります。その後、25回の放射線治療も受けました。いわば癌治療のフルコースを思いがけず体験したことになります。
治療は縁あってというより、自ら求めて自宅から歩いて通えるNI大付属病院にしました。かって製薬会社に勤務している友人に相談したら「ここのY先生が、いいらしいよ」というアドバイスがあって、ネットで調べてこの先生の外来診療日をめがけて行ったのです。これがわたしの癌闘病のスタートでした。
ここで、Yドクターとの出会いがありました。そして、このドクターを心から信頼することができました。これは私にとって誠に幸運なことだったのです。
<わたしの主治医はY先生>
一番、病院で会うことが多かった女性のドクター。おそらく40代の半ば?とにかく説明が丁寧、かつテキパキしています。最初の頃は「先生からの説明が終わってから質問しよう」と考えていましたが、そうしているうちにタイミングを失ってしまいます。「これではマズイ」と気づいて、私はドクターの説明の途中でも勇気を出して質問しました。私が問いかけると、必ずPCのキーボードを打つ手を止めて、姿勢を患者である私に向き直します。真剣な、でもやさしい表情でこちらの言い分に耳を傾けてくれます。答えも的確です。「しばしば私は説明しすぎる、と言われてしまうのですが」とご本人はおしゃっていましたが。
<はじまりの会話>
執拗な検査の後、癌であることが確定しました。その結果を説明していただいたので、私は「わかりました」と答えました。その時、Y先生は「“わかりました”ということはわたしの治療に同意する、治療をここで受けるということですね」と念を押されました。
「――ということは、“治療を受けない”という人も存在するんですか?」と、今にして思えば、アホな質問をしていた私でした。これに対して「はい、もちろんいろいろな患者さんがいますよ。わたしは他の病院へ行きますとか、治療は受けませんとか、、ね」とクールに答えてくれました。ここに及んで、私はようやく<これから大変な治療が始まるのだ>という実感がわいてきたのでした。「一緒にがんばりましょう」と軽くこぶしを握って、私に笑いかけてくれたことが、まるで昨日のことのようです。
<忘れ得ぬエピソード>
このドクターは本当に信頼できる、と心から実感したのは、この先生に対するナースや薬剤師さんたちの評価でした。「Y先生はすごく患者として助かる先生です」とおしゃべりしたら、みなさん正に異口同音に「私たちにとっても、そうですよ」と返してくれます。
診察は丁寧、しかし行動は早い。ほとんど診察予約時間に誤差がありません。患者の言動を注意深く把握して、全て!?をカルテに書き込んでいます。同じ日に何度も「平井さん、Y先生がカルテに“今朝、教え子に会って嬉しかった”と書いてありますが、これってなんですか?」と、ナース・薬剤師から訊かれたことがありました。むしろ、これには私自身がびっくり。わたしの言ったことをきちんと書留めていたことに感動すら覚えました。これは大学の教え子が偶然にも、その診察の日の朝、採血をした検査技師だったことー これが嬉しくて即、先生に語ったときのことです。(2016年1月のおしゃべりコーナー参照)
「Y先生と平井さんはすごく相性がいいんですね、これはとっても大切なことですよ」とも、ナースや薬剤師さんからも言われました。これは、とても嬉しいことでした。
ちょうど1年前、手術日当日の朝。たぶん 7:30頃だったと思います。Y先生から「前日 私は他の病院勤務なのでお会いできません。当日 手術室でお会いしましょう」と言われていました。にもかかわらず、私の病室を訪れてくれました。緊張している私に向かって「今日ですね、一緒にがんばりましょう」と顔をみせてくれたのです。「まあ、こんなに朝早くから、、、ありがとうございます」と思わず、ほっとして嬉しくなって泣いてしまいそうでした。
<そして、これからー>
過日、先生から告げられました。「平井さん、私 4月から2年間アメリカへ留学することになりました。もちろん、今後のことは他の者に引き継ぎますから」と。
とっても残念です、でも もっともっと新しい知識・スキル・経験をつんで、多くの患者さんを助けてほしいと願っています。
Y先生との幸運な出会いがありました。そのおかげでわたしの闘病生活は、仕事に穴をあけることもなく、穏やかな いつもと変わらない時間が流れていきました。貴重なかけがえのない1年半でした。
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