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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2017年9月1日

2.イヌの仇討


井上ひさしが好きだ。正確に言うと、井上ひさしの芝居が好きだ。かなり昔から、彼の芝居はよく見ていた。時代物、反戦をテーマにしたもの、樋口一葉や林芙美子の評伝などさまざまなジャンルで、戯曲を発表している。
 かっての仕事上の上司・T先生と今でも、時々 芝居を見に行く。先生は私が井上ひさしを好きなことをご存じで過日、ご一緒したのが「イヌの仇討」だった。

 

―討ち入り当日、炭焼き小屋に隠れていた吉良上野介はどんな思いで首をはねられるまでの2時間を過ごしたのか。

吉良の目線から、作者の目で見た忠臣蔵のもう1つの側面を浮かび上がらせる。大石内蔵助の登場しない忠臣蔵は逆に大石内蔵助を鮮明に浮きだたせ、移り気な大衆の力によって美談として今に伝聞されるべき、作られた忠臣蔵ではなかったか?―

―権力に忠実なイヌとして生きてきた一人の老人を慈しみながらも、滑稽に笑い飛ばし、厳しく残酷に打ちのめすー

 

芝居のチラシには上記のような刺激的な文章が書かれていた。

 これは 長い間、埋もれていたつまり上演されなかった芝居らしい。例によって長セリフの連続だったが、全く飽きなかった。そして私にとって<義士の討ち入り>についての、大きな発見があった。
まず一つは、吉良上野介はかなりの名君であったということ。米沢(山形県)ではいまだに大変尊敬されている殿様のようだ。
二つ目は、この米沢においては「忠臣蔵」という言葉は通用しないとか。「赤穂事件」として語れられているらしい。ほとんどの若者は「忠臣蔵」を知らない、、、と聴いて驚いた。

正に歴史とは“勝者の”歴史に他ならない。何が真実で、何が事実だったのか?「浅野は癇癪持ちで、松の廊下の日は特に具合が悪かった」「大石こそ、家老として浅野を諌めるべきなのに、それを怠ったのは怠慢である」と、芝居の中で吉良に言わせているのだ。今まで知らなかった、忠臣蔵のある側面を知り、非常に興味深かった。

 

― これは2013年・米沢市上杉博物館で行われた特別展「忠臣蔵の真実〜赤穂事件と米沢〜」の資料の表紙 ―

 

・・・・・・


 なぜ、わたしが忠臣蔵を好きなのか?こだわるのか? それは わたしの誕生日が12月14日だから。それだけの理由である。

なんと今から12年前文京区シビックセンターの大舞台で私も<忠臣の義>という芝居に出た。講談師・一龍齋貞水を中心にプロのダンサーや講談師に交じって公募により文京区民も参加したのだった。<おしゃべりコーナー2006年・1月―花火のような1日、忠臣蔵の舞台に立ったー>も ぜひ、お読みください。

 



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