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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2020年7月1日

4.<紹介します・わたしの友人>
          その7 須崎 たか子さん



私の友人の中で、今 もっともパワフルな人―といえば彼女をあげます。出会ったのは 東日本大震災の前、もう10年のお付き合いになります。「中国人に、日本語を教える仕事をしたい」という目標に向かって懸命に学び、いくつものハードルを乗り越えて、貴州大学で職を得ました。 最初に彼女が赴任した年に、わたしも貴州大学まで伺い、アサーション(率直な自己表現)の授業を担当するチャンスをいただきました。まるで日本の地方の高校生のような純朴な学生にびっくりしました。 9年間の貴州大学での体験を通してみた、生の中国人の姿・社会の在り様を書いてもらいました。(平井 ゆき子 記)

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現代中国と私

須崎たか子

 

〜もくじ〜
1.私の人生も変えた「東日本大震災」
2.中国は学歴社会!
3.スマホの普及はすごい!
4.日中友好がずっと続きますように!

 

 

 

1. 私の人生も変えた「東日本大震災」

(1) 貴州大学への道のり

私 : 「今度、『きしゅうだいがく』で働くことになりました」
友 : 「紀州の南高梅は美味しいよね!梅酒にしたら最高だね!」
私 : 「???? いいえ日本の紀州ではなく中国の貴州省です」

 みなさんは貴州省がどこにあるのかご存知ですか。
私は2003年から2010年までの8年間、上海の日系企業で働いていたのですが、貴州省がどこにあるのか知りませんでした。

 2010年7月、父が他界し、母と一緒に暮らすために2010年12月31日に大好きな上海から東京に帰ってきました。翌月2011年1月から日本語教師ライセンスをとるために、東京の日本語教師養成学校に通い始めました。久しぶりに学生生活に戻り楽しい毎日でしたが、楽しい日々はそう簡単には続きませんでした。

 この世の中は予期せぬ「まさか?!」が起きるのですね。今の新型コロナウイルスと同じですね。2011年3月11日「東日本大震災」が起きました。私は7月に日本語教師のライセンスを取得しましたが、当時、日本にたくさんいた留学生は、ほとんど帰国してしまいました。ですから日本語教師はみんな失業状態に陥りました。

 まして私のように日本語教師の経験なし、年齢が54歳だと就職先はなく、就職はかなり難しいな、と思い始めていた頃、商社マンの友人から「貴州省の大学が日本人の日本語教師を募集しているけど、どう?」と声をかけられました。給与は3,000元(約45,000円)。それでも「この際、贅沢はいえない!」と言う気持ちで早速書類を送りました。その後、何の進展もなく、12月になり日本語教師の仕事をあきらめかけていた時、貴州大学から追加書類提出の依頼がありました。採用通知が来たのは2012年2月上旬、「3月から新学期なので2月末までにきてほしい。」との連絡。このような貴州大学からの突然連絡は、その後も私をずっと悩まし続けています(笑)。

 

教室で学生たちと一緒に

 

(2) 貴州での生活は・・

 貴州大学に着任したのは2012年2月下旬、当時は日本から貴州省への直行便はなかったので、上海の友人たちに会うために上海経由で貴州省に入りました。中国人の友人たちが口を揃えて言ったのは「貴州省は中国の中でも一番貧しい省、須崎のように都会育ちの人には1年耐えられるかな。。。 」でした。

 貴州省の空港に降りてびっくり、本当に山の中の田舎の空港でした。貴州省は中国の南西部に位置し、ベトナム、ラオスなどに近い省です。地図を見ると台湾とほぼ同じ緯度になります。ですから私は貴州省の3月はもうすでに暖かい春なのかと思っていましたが、チベット高原に近いために、海抜が1000m以上もあり、まだまだ寒く、更に電力が不足しているので暖房設備もなく、5月頃までは寒い日々が続きました。

 私は貴州大学の外国人教師寮に住んでいるので環境は学生寮よりはまだ良かったのですが、私を困らせたのは、停電と断水でした。毎月必ずありました。またトイレなどの排水設備も悪く、いつも汚水が逆流してきました。買い物も不便で、コンビニなどは一件もなく、地元のスーパーマーケットには片道歩いて40分もかかりました。毎週ザックを背負って一週間分の買い出しをする生活でした。

中国の真ん中より、やや西に位置する

 


2.中国は学歴社会!

(1) 中国全土・受験生一斉統一試験で 振り分け

 今の中国は学歴社会です。多くの大学生が卒業後、大学院を目指します。もちろん、まずは良い大学に入学することを目指します。中国の大学入学試験制度は日本のセンター試験に相当します。中国全国の受験生が一斉に統一試験を受けます。その試験結果で全国第一位から順番に良い学校、例えば北京大学などに振り分けられていきます。受験時に自分の希望大学、希望学部を申請することはできますが、成績が低ければ希望大学、学部には入れません。ですから自分が希望していない大学、学部に振り分けられる学生が多数でてきます。

 この現状を学生はどう思っているのか?と聞くと「中国は人口が多いからしかたがない」と答えます。でも私は、大学で自分の将来の方向性が決まってしまう可能性が高い中、この入学試験制度の弊害は大きいと思います。

夜 学生とキャンパスで

 

(2) そして、貴州大学にくる学生は

 貴州大学にもセンター試験の結果、自分の希望する大学、学部に入れなかった学生がたくさん振り分けられてきます。貴州大学は貴州省の地元では一番の名門校です。「貴州大学の卒業証書がほしい」。でも、貴州大学に入れたとしても、試験成績が低い学生はさらに自分の希望する学部には入れず、倍率の低い人気のない日本語科に振り分けられてきます。

 ですから私が担当する日本語科の学生の全てが必ずしも日本語に興味を持って入ってくるわけではありません。三分の一は、日本語科を希望した学生ですが、残りの三分の二は日本語に興味を持っていません。当然、日本語の授業に対する興味のレベルに大きな差が出てしまいます。

 そこで私が日本語の授業で力を入れたことは「日本に興味がない学生をいかに日本に興味をもたせるか。」でした。まずは食べることから始めました。日本の海苔巻きを一緒に作りました。お茶会を一緒にしました。たこ焼きなども作りました。貴州大学の職員室にゴミのように丸めてあった浴衣を見つけたので、洗って干して「浴衣着付け教室」を開きました。

 中国の大学は全寮制です。ですから学生全員がキャンパス内の寮に住んでいます。もちろん私もキャンパス内に住んでいます。学生にSNSをすると、いつでもすぐに私の寮に来てくれます。これはとてもラッキーな環境でした。困ったことがあるとすぐに学生を呼ぶ!困ってなくても寂しい時は学生を呼ぶ!とても良い関係が築けました。そう、今でいう「三密の関係」です(笑)。気が付くと「これかも、ずっと貴州大学にいたいな!」と思うようになっていました。

 今年で貴州大学の日本語教師生活も9年目になります。でも今は新型コロナウイルスのせいで貴州大学に戻ることができません。また中国の女性の定年退職年齢の55歳をはるかに超えている今、もう中国の労働ビザの延長はできないと思っています。とても残念です。

 

学生と「海苔巻きの会」

 


3.中国のスマホの普及はすごい!

(1)  全て、、スマホ決済!!

 中国はある分野では日本よりもすごく進んでいます。いや日本が遅れていると言った方が良いのかもしれません。それはスマートフォンの普及です。中国は子供から80歳位のお年寄りまでみんなスマホを持っています。そして使いこなしています。

 一番驚くのが現金を一切持たず、スマホで決済することです。レストラン、お店での支払いはもちろん、道端の屋台、お寺のお賽銭までもスマホで決済します。このスマホ決済の普及で失業したのが「スリ」だと笑い話のように言われていますが、実は本当かもしれません。

 中国は銀行の振り込みなどもスマホを使うので便利です。今回、私の教え子に日本語作文コンクールで3位に入賞した学生がいます。貴州大学はまだ新学期の教室授業が再開していないので、彼女も自宅でオンライン授業を受けています。作文コンクールの主催者から3万円の賞金をいただきました。主催者から私の指定銀行の口座に振り込んでいただくのに5日間ほどかかりました。でも私の教え子への海外送金はスマホを使って瞬時にできました。とても便利です。

2019年貴州大学外国語学院「優秀指導教師」に選ばれました

 

(2) 大学でのオンライン授業も・・

 今学期は3月2日(月)から新学期が始まりました。2月上旬に貴州大学から「今学期はオンライン授業をしてください。その計画書を2月20日までに提出してください。もしオンライン授業をせず授業再開後から補講をする場合はその旨を書いて提出してください。」と連絡がありました。

 オンライン授業などしたことが無い私はもちろん後者を選びました。でも学生からの強い要望があって、結局オンライン授業をすることになってしまいました。オンライン授業ももちろんスマホでします。今学期、私は1年生と2年生の会話授業の担当です。最初はすごく心配でしたが、2年生の班長と学習委員とSNSで意見交換、プレオンライン授業を何度もして助けてくれました。直接に会っていろいろと確認できれば、事は簡単に進みますが、ネットでの確認はやはりちょっと大変でした。

 教材は全て中国においてきてしまっているので、教材選びから始めました。学生の希望を聞いて中国の「アフレコソフト」を使いました。中国のメディアでは著作権はあまり問題視されていません。ですからネット上で、日本のアニメ、ドラマ、映画などほとんどを見ることができます。毎週の教材は学生に選ばせました。私の知らない日本のアニメ、ドラマなどがあり、学生が日本のどんなアニメ、ドラマに興味があるかも分かって面白いです。

 授業は全部で16週間です。今、この原稿を書いているのは5月29日、第十三週です。だいたい後半の第九週あたりから授業に良いリズムがでてきます。オンライン授業で良かったことは、学生のみんなの顔がライブで見られること。そしてみんな緊張して自分の発話の順番を待っていることです。従来の教室授業だと下を向いている学生がいたり、指名しても聞いていなくて反応しない学生がいたりしました。デメリットは学生のネット環境がわるく時々信号が切れてしまうことです。でもそのような学生も授業が終わると「先生、すみません。ネットは毎回よくないです。みんなの話がよく聞こえません 授業の後でよく復習します。(原文のまま)」とSNSを送ってくれます。
あと三週間を乗り越えればオンラインで期末テストを行うことになるでしょう。それで今学期ももう終了です。寂しい感じがします。

学生との卒業記念写真

 

 

4.日中友好がずっと続きますように!

(1) 中国から日本への留学生

 2012年、私が貴州大学で日本語教師をスタートした頃は学生が日本に行くということは「夢のまた夢でした」ですから75名の一学年の中で日本留学、日本研修などのチャンスに恵まれる学生はほんの数名でした。みんなの羨望のまなざしをあびました。特に貴州省の学生は経済的な問題で日本に行くにはかなり高いハードルがあります。

 でもここ数年、貴州大学でも日本に行けるチャンスが多くなりました。日本の大学側が学費を免除したり、交換留学生枠を広げたりしています。また最近は日本観光業界のインターンシップビザで3か月間のホテル研修で日本に行くこともできます。事前に簡単な日本語会話の面接がありますが、ほとんどの学生は合格します。研修といっても高額な参加費を払わなければなりません。でも3か月働けば中国に戻る時のお土産代くらいは手元に残るようです。日本に行ったほとんどの学生は日本を大好きになって中国に帰っていきます。

日本に研修に来た学生と浅草観光

 

 

(2) 今年2020年は・・

 でも今回の新型コロナウイルスで4月から日本に来る予定だった留学生たちは日本に来ることはできませんでした。あんなに楽しみにしていた日本留学を断念した学生もいます。日本側の今後の受け入れ計画も保留になっています。新型コロナウイルスは中国の学生たちの人生にも大きな影響をもたらしています。

 この困難を乗り越えてこれからの人生を良い方向に向かって進んでほしいと願っています。世界のみんなの協力で新型コロナウイルスの第二波、第三波を克服できることを心より祈っています。

2020年5月29日 記
以上

【リンク】
2013年に貴州省を訪れています。
素顔の中国― 中国貴州省への旅

 

 



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