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ざっくばらん ゆき子のおしゃべりコーナー
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2023年5月1日

4.<紹介します・私の友人>ー
        その25 H・Sさん2


昨年のアメリカに続いて、今年はフランス・パリへ。エネルギッシュな紀行文を寄せてくれました。
(平井 記)



ひたすら歩いた、私のパリ紀行

 
HSさん

 


〜もくじ〜

<パリへ行きたい!!>
<―2日目QRコードをスマホで読み取りオーダー>
<そして、3日目にー 地下鉄がとまらない!?>
<― なんだか 街の様子が おかしい!?>
<そして4日目に 「Hey Siri」と翻訳アプリ>
<5日目と最終日>
(しめくくりー 1年半前とは劇的に変化したコロナ環境)



<パリへ行きたい!!>

 

振り返ると、私が19歳で初めて海外に渡ってから38年の月日が流れた。

独身時代、結婚、出産、子育て、そして子育てが終わった今日まで、ずーっと働き続けてきた。その中でお金と時間を捻出し、“行きたい”という気持ちだけで旅を続けてきた。

そして、2023年3月、人生40回目の旅に私は大好きなパリ一人旅を選んだ。
「美術館を巡り、自分の好きな絵の前に好きなだけいられる。」そう思うだけで心が躍った。大好きなカフェで優雅(笑)にお茶をしながら、誰に気兼ねすることなくのんびり過ごそう!と思っていたが、、、。

 パリに着いたのは日曜日の夕方。スマホ片手にリムジンバスに乗り、終点のオペラ座で下車した。降りた瞬間に「うわぁ、パリだ」という実感が一気に押し寄せてきた。

しかし、そんな感慨に浸っている暇はない。スーツケースを引きながら、人ごみの大通りを抜け、プランタン、ギャラリーラファイエットを通過し、無事マドレーヌ寺院裏手の小さなホテルにチェックインした。荷物をほどき、緊張感から解放された時には18時を過ぎていた。
外は既に薄暗くなっていたが、ルーブル美術館も近いので夜の散歩にでかけてみることにした。ルーブルの入り口広場に着いたときはすっかり日も暮れ、人もまばらだった。
ライトアップされたピラミッドを前にやっとパリに来たんだ、と胸が熱くなった。

 


 

<―2日目 QRコードをスマホで読み取りオーダー>

 

2日目の朝というか目が覚めたのは3時。もともと睡眠時間は普段でも5時間以下で十分。
ガイドブックを見ながら朝を待っていた。が、ついにしびれを切らし、まだ夜が明けないパリの街にでた。マドレーヌ寺院、ヴァンドーム広場、コンコルド広場を抜け、ついにはシャンゼリゼ通りを歩き始めた。凱旋門まで約2キロ。ほとんど人は歩いていない、当然お店も開いていない。
しかも気温は3℃。そんな自分を笑える一方で、一人旅の気楽さを楽しんでいた。

シャンゼリゼで写真をとりながら夜明けを待ち、朝食にありつけたのは9時過ぎになった。有名なラデュレに開店と同時に入店し、無事席に着くことができたが、ここで日本での経験が役に立つことになった。
最近は日本でもメニュー表がなく、QRコードをスマホで読み取りオーダーするというお店も出てきているが、まさにそのシステムである。残念ながらフランス語と英語表記だけであったが、無事お目当てのフレンチトーストを食べることができた。

お腹を満たし、いよいよ本格始動。地下鉄に乗りエッフェル塔を真下から見た後は、歩いてセーヌ川を渡り、反対側のシャイヨー宮からもエッフェル塔を堪能。午後は念願のモンマルトルの丘を登り、サクレクール寺院に到着。パリ5回目にして初めてくることができたので嬉しかった。
その後、画家や似顔絵描きが集まるテルトル広場や新名所「ジュテームの壁(300以上の異なる言語で壁に愛の言葉が書かれている)」、ムーランルージュの前を歩き、少し休憩。スーパーに入って、紅茶を買ったりしてショッピングを楽しんだ。ホテルに戻ったのは21時を過ぎていた。勿論、初日からバタンキューであった。

 

<そして、3日目にー 地下鉄がとまらない!?>

案の定、早朝に目が覚めてしまったが、どうしても2018年9月にオープンしたフォションホテルの朝食を食べたかったので時間をつぶして入店。素敵な朝食に一人幸せをかみしめていたが、まさかこの日、パリ中心部を歩いて1周し、20キロ以上歩くことになるとは思いもしなかった。

この日は出だしからおかしかった。市街西部にあるマルモッタン・モネ美術館に行こうと地下鉄に乗ったものの、乗り換えで下車したい駅をまさかの通過。
急行?そんなことある?と思い、反対ホームから電車に乗ってみたもののまたもや降りたい駅を通過。しかたなく、改札に向かって歩いていると、ロープが張られ、職員が何かを言っているので、何か事故でもあったのかと思いながら、その日はマルモッタン・モネ美術館を諦め、セーヌ川沿いを散歩しながらシテ島へ渡った。

ちょうどパリは今年行われるラグビーワールドカップと来年行われるオリンピックに向けて、いたるところで改修工事が行われていたが、火事に遭ったノートルダム大聖堂も急ピッチで工事が進んでいた。

 

<― なんだか 街の様子が おかしい!?>

ところが、歩くにつれてなんだか街の様子が物々しくなってきた。いたるところに銃を持った警察官が立ち、パトカーのサイレンが鳴り響く。そして、ついに大きなフラッグを掲げた複数のデモ隊に遭遇してしまった。発煙筒が焚かれ、初めて見る巨大なデモ隊に驚きながら、ひたすら目的地に向かって歩いていたが、途中何度も銃を担いだ警察官に呼び止められた。
「どこに行くんだ?」と聞かれ、カバンの中まで確認された。まさに職務質問である。「別に何も悪いことはしていないし、なんならパスポート見る?私、美術館に行きたいんだけど!!」と強気で突破し、なんとかロダン美術館に到着できた。

後から分かったことだが、その日はフランス全土で年金改革法に反対する大規模なデモが行われていたそうである。午後には地下鉄の入口ゲートが封鎖され、道路は厳しい交通規制が行われた。朝、地下鉄が駅を通過していた理由も納得がいった。

 

しかし、その日のパリは最後まで私には優しくなかった。夜になっても地下鉄の入口ゲートは閉ざされたままだった。腹を決め、また歩きだした。エッフェル塔をスタートし凱旋門へ、そしてシャンゼリゼ通りを2キロ歩き、ホテルに到着したのは22時を過ぎていた。
帰国してからわかったことだが、この日私は軽く20キロ以上歩いていたらしい。パリ中心部をちょうど1周したことになった訳だが、ホテルに着いた時には足腰が悲鳴をあげ、足にはタコができていた。勿論、その夜もバタンキューであった。

 

 

<そして 4日目に  「Hey Siri」と翻訳アプリ >

4日目の朝、すでにこの旅は優雅なアフタヌーンティーとは程遠いものになっていた。

ルーブル美術館は予約をしていたが、入場待ちの人で長い列ができ、中に入れたのはお昼近くになってしまった。予想以上に人が多かったので、見たい作品を急ピッチで回り、昨日行けなかったマルモッタン・モネ美術館が閉まる前に滑り込んだ。

少し早めにホテル近くに戻れたので、その日は友人から頼まれたお使い物やお土産を買うことにした。
ここで役立ったのがiPhoneの機能「Hey Siri」と翻訳アプリであった。簡単な会話は「Hey Siri」で検索し、少し込み入った内容を伝えたい場合には翻訳アプリに日本語で入力し、フランス語表記に変換して相手に見せることで、買い物もスムーズにすることができた。
ロス一人旅で覚えたUber taxiに引きつづき、旅はいつも新しいことを教えてくれるのである。

 

 

<5日目と最終日>

そして、ついに5日目。この旅で最も楽しみにしていた、ブルス・ドゥ・コメルスに向かった。ブルス・ドゥ・コメルスは元証券取引所を安藤忠雄氏の設計で改装した現代美術館で2021年5月に開館。中にはピノー氏のアートコレクションが展示されている美術館である。神殿のような建物の中は円筒形の鉄筋コンクリートの構造になっていて、吹き抜けの円筒上部には天井画が描かれており本当に美しい建築物であった。

ブルス・ドゥ・コメルスを堪能した後は、歩いてピカソ美術館へ。更にセーヌ川を渡り、国立ドラクロア美術館へ、そしてオルセー美術館へ。夜まで開いている日だったので夕方から入館してみたが、旅行客であふれかえっていた。夜のセーヌ川沿いを歩き、橋を渡ってホテルに帰り着いたのは10時近くになったが、この日も20キロ以上歩いていた。

 

最終日は夕方のフライトだったので、ホテルをチェックアウトしオランジェリー美術館へ向かった。睡蓮の間はいつ行っても癒される空間である。その後、沢山の思い出とともに空港に向かったが、「パリで優雅な休日を…」とは程遠く、ただひたすら歩き、美術館を回る旅になった。でも、これも私らしい。

 

(しめくくりー 1年半前とは劇的に変化したコロナ環境)

旅に出た時には、日本はまだマスク規制があり、コロナへの対応にもまだまだ慎重さが求められていたが、パリは既にマスク規制が解除されており、マスクをしている人をほとんどみることがなかった。それ以上に、人の動きが活発で、すでにパリは多くの旅行客であふれていた。
往復の飛行機も団体旅行客こそほとんどいなかったが、2人連れやビジネス客で満席だったことに最も驚いた。約1年半前、ロサンゼルスに推しのライブを観に行った時は、空港は閑散としており、乗客もほとんどいなかったが、この1年半でコロナを取り巻く環境が劇的に変化したことを実感する旅であった。

こうして、私の人生4回目の海外一人旅も終わったが、今回もたくさんの「はじめて」を経験することができた。私の旅はいつも計画通りには進まないが、自分の新しい一面に気づき、時に自分を笑えることが楽しい。情熱がある限りまた旅にでようと思う。

 


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