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10月14日

「タイトル」 林真理子 中央公論新社  

この本で検索されるのはたまらないので、タイトルは抜きで。
最近出た小説です。婦人公論で連載されていた。
林真理子の小説は、本当に疲れているときにちょうどよい。
読みやすくて楽しくて。まさに娯楽である。

そしてこれ。
連載の頃から噂は聞いていたんだけど、実際に読んでみたことは
なかった。私は、フィクションじゃない部分も知っているんだけ
ど、要するに、人生はいろいろってことなのだ。
それは、この本を読む前も、読んだあとも変わらない実感。
マダムがかわいそう。若い愛人はひどい。シェフもひどい。
たしかに事実だけを見ればそうだろうし、私は特別に若い愛人の
肩を持つ気はない。ないっていうのは、肩を持つって意味がわか
らないから。友人として彼女を励ますことと、彼女の立場を支持
することとは違うし、そもそもどちらの味方につくかは、もとも
とどちらの知り合いだったかで決まる場合がほとんど。
マダムは亡くなられてしまったし、そのことについては本当に気
の毒だと思う。しかし、それだから愛人を責めるってのは、あま
りに短絡的だ。

「ぜったいにたたりがある」そんなことを真顔で言う人もいるけ
れど、うーん。たしかにマダムは恨みながら亡くなられたのかも
しれない。でもそれがマダムの人生だったのである。
そして、若い愛人は恨みを買ったのかもしれない。それが彼女の
人生なのである。そんなことを恐れながら毎日生きるわけにはい
かないよ。しょうがないしょうがない。

こういうちょっと理不尽な出来事って、すぐに人を熱くする。
性格が悪いけど美人なアナウンサーがプロデューサーに取り入っ
て仕事をもらったとする。ひがむ人は「どうせ続かないわよ」と
言う。ズルして得した人を見たときに冷静でいたかったら、絶対
に後でそれなりの報いを受けると思い込めばいいのである。
でもさ、それって何なのって、いつも思う。
ないとも言えないけれど、あるとは言えない。
一生ズルし続けて成功する人だって、いるんじゃないかしら。

みんなそれぞれの人生を生きていくんだよ。
他人がどうこういう問題じゃない。

 

7月26日

切羽へ 井上荒野 新潮社  

切羽とは、それ以上先へは進めない場所、だそうである。
夫のいる女性が、年下の独身男性に恋をする。
でも何も始まらない。
好きになった、それだけ。
とても物足りない。

大人同士の恋愛ならば、もっとぎりぎりを描いてほしかったと思
う。恋の醍醐味は、どこまで突き進めるか。
もちろん井上さんは、「ぎりぎり」を綿密に描いている。
だけどその地点が、互いの想いを伝え合うことすらしないという
のが、あまりに物足りない。
手をつなぐ、キスをする、2人きりで会う回数が増える、
そして・・・どこで踏みとどまるか。
どんどん好きになる。どんどん時間を取られる。
どうするの? どうなるの? 私はどうすればいいの?
互いの想いは重なっていても、想いのままに進むわけには行かな
い。どこでストップをかけるのか。
迷う。悩む。とことん考える。
それが私の考える大人の恋だな。

 

5月6日

Will 6月号 ワック・マガジンズ

「本村洋さん独占手記」が読みたくて買った。
判例というのは、前例だ。前例を踏襲すれば、間違いがない。
裁判官が守りたいのは自分。
弁護士が守ろうとしているのは「弁護士」という職業。被告
は、彼らの飯のタネにすぎない。

死の臨界点という記事が、あの判決の直後に朝日新聞に出てい
た。法律にまったく疎いが、なぜかうっすらととても不愉快だ
った。朝日の記事は、この判決によって、死刑の適用基準が低
くなるのでは?という懸念を書いていた。

ちがうと思う。
裁判官が判例をもとにしか判断しないのだったら、たしかにそ
うかもしれない。でもすべての事件は事情が異なる。
ひとりひとりの裁判官が、自身の職業的見識にもとづいて、判
断すればよいんじゃないのか。そのための裁判官じゃないのか。
「臨界点」って? 4人殺せば死刑。2人なら無期。
判例を暗黙の決まりごととして臨界点を定めることのほうが、
おかしいんじゃない?

と、いろいろ考えたけれど、読めば読むほど、ぐるぐるしてし
まう。一言一句を追うことがつらかった。

「皇太子様への御忠言」
わたしもまったく同感でござる。

死神の精度 伊坂幸太郎 文春文庫

すごい勢いで売れているとみた。
どこへ行っても、いっぱい並んでいる。すばらしいことである。
内容もよかった。
久しぶりにざくざくと読んだ。自転車でギアを下げて(上げるん
だっけ?)、ペダルをぐい、ぐいっとこぐ感じ。
こういう読書って久しぶりだった。言葉、というよりもストーリ
ーがどんどん頭に入ってきて心地よかった。

正義の正体 田中森一×佐藤優 
集英社インターナショナル

Willと一緒に購入。
司法とはなんぞや。
最近司法も政治も行政も、そしてマスコミもちっとも信用でき
ないとわかってきた。
困った人を守る司法。悪い人が儲かる政治、自分たちだけが得
をしたい行政、スクープなんて欲しくない、横並びマスコミ。
嗚呼。
という気持ちを抱きつつあるわたしは、ついこの本を手にして
しまったが、まだ1ページも読んでいない。

 

ひさびさに書店。

編集者という病 見城徹 太田出版

出た頃に読もうかと思っていたんだけど、まあでもいいか、と
思っていたら、最近のゲーテのミシュラン(というよりも某評
論家)批判が出て、なんとなく
弾みがついて買ってしまう。あそこまで徹底して批判(非難?)
をするのは、さすがに覚悟のいることだろうと思う。その点は
拍手。だけど今月号は個人非難に傾いてしまって、それはどう
なのか、というところ。
そして、「いい店」の尺度は人それぞれ、場合によりけりだろ
うから、かんだよりもかどわきがいいとか、それは言えないん
じゃなかろうか。
要するに、どこがいいか、よりもどうしていいかをしっかりと
提示することが大切なんじゃないかしら。
わたしが男性に誘ってもらうならば、かどわきよりもかんだが
いい。つまりは、そういうこと。

で、見城さん。
私がずっと彼をマークしていたのは、森瑤子のエッセイに何度
となく出てきた男性が、彼なのでは、と思っていたから。違う
かな。まあそれはどっちでもいいんだけど。

ティファニーで朝食を トルーマン・カポーティ 
村上春樹訳

こんな本が出ていたとは!
春樹さんの翻訳本は、長い解説に特徴がある。
それを読みたいか、読みたくないか。
私は読みたいので即買い、即読み。

いつ頃だったかかなり昔、ティファニーで朝食を、をわたしも
訳していた。
ところどころ。とにかくカポーティの文章って絶対的に美しい。
触れているだけで相当幸せになる。
「草の竪琴」だって、原題は「Grass Harp」。
どう考えたって、グラスハープのほうが美しいに決まってる。
そして、この小説の出だしの文章のすばらしさったらない。
泣きそうになる。
で、ティファニー。
これの出だしもものすごく特徴的で、そして私は、春樹氏によ
る出だしの数行を読んで、完読を断念してしまう。ああ。難し
いところではある。
キャッチャー・イン・ザ・ライもそうだけれども、人って新し
いものを受け入れるのには、苦痛を伴うものだよな。年をとっ
たんでしょうか・・・。
春樹氏の翻訳は、うますぎてさらりと読めてしまうところが、
私には向かない。
長年の翻訳文体に馴らされすぎているのか、ところどころ苦心
のあとが残るほ
どに、ごつごつしているほうが好き。わたしは。
でも解説を読むだけでも価値があるとは思う。カポーティの文
学を愛する人ならば。
私はずっと、春樹さんの小説が好きだし、それとは別でカポー
ティも好き。
春樹さんが、カポーティの文章を誉めるエッセイを書いている
のを読み、「ああ、この人は信用していい人だ」と思った。
ずいぶん昔の話。

 

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