駒ヶ根市東伊那生まれ、ESI ランドのすぐ近くに暮らしている「土地っ子」理事の赤羽さんは、上伊那農業委員会からも認定されている「わら細工博士」。「いなわらの会」の仲間のみなさんと一緒に、小中学校や公民館などで、しめ縄づくりや草履作りの指導をしています。作品は、市内のあちこちで販売されており、2003年末、駒ヶ根市の友好都市である静岡県磐田市の「遠州大名行列」祭りのスタッフの目にとまり、行列に使うわらじ百足の製作を依頼されました。
赤羽さんとわらぞうりとのおつきあいをご紹介します。
わら細工を習い覚えたのは、14歳の頃。父親が亡くなったあと、母親から、「わら仕事ができない者は百姓にはなれない」と叱咤されたのが始まり。俵やかます、ぞうり、みの、鍋敷き、背負いかごの肩なわ等々、周囲の大人たちから教わりました。一年後には修学旅行先で級友のわらじをつくるほどに腕を上げ、丈夫ではきやすいわらじは、当時から評判でした。
「小学校の時、父親がつくった上履きのぞうりが、左右の大きさや厚みが違って、はきにくかった。自分の子供には、良いぞうりをはかせたい」という思いも、製作のエネルギー源だったのかもしれません。
「わらの大切さ、わらの文化を継承したい」「もっとわら文化を大切にしてもらえれば」と思いを込めたわら細工づくり。
使用するわらは、丈が長くやわらかい古代米の白毛もちを、1.5アールの水田で育てます。
青刈りし、天日干しを二日間、その後、はざにかけ、シートで覆い、みごが飛ばないようゆっくりと脱穀。
100足の注文を受けて、一月末から、わらをすぐり、熱湯をかけてビニール袋に入れ、毛布をかけて一晩放置し、しんなりしたところを木槌で打って柔らかくする、といった下準備を進め、二月からわらじに通す縄を200本ないました。
実は、赤羽さんは、一昨年、庭木の手入れ中に脳血栓を発症、木から落ちて大けがをしました。幸い大きな麻痺は残らなかったものの、右手首骨折、左手のこうも「ぼろぼろ折れた」というほどの重傷を負い、この春もまだ、右手には八本のボルトが入っています。
手術後、指が動くようになると、リハビリ代わりにわら細工を再開しましたが、最初は手が重く思うようには進まなかったとか。100足のわらじは、毎日三足、五足ずつと編みためられ、三月末に完成したものです。
「わら細工を通じて、人に頼りにされ、お役に立っていることがうれしい」
100足のわらじの晴れ姿をみようと、呼びかけに応じた駒ヶ根市の人々と一緒に、赤羽さんは2004年の磐田市のお祭りをみにでかけ、草の根交流にも一役かったのでした。 |