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Seek ye first the kingdom of God,
and his righteousness;
and all these things shall be added unto you.
(Matthew 6:33)

My Diary(Duernstein)


[Mon. 5/7/2007]

*Duernstein

今日は船旅日和で良いお天気に恵まれ、最高に嬉しい一日だなぁと思っていました。 そう、デュルンシュタイン(Duernstein)で船を降りて教会を見学したあたりまでは・・・。(^_^;; ここからの日記は、足取りをたどるような形で上から下に書いています。 私にとって大きな事件(恥ずかしい事件かも。(^_^;;)は下の方で出てきます。

下の写真は船の中から窓越しに撮影したものです。 手前が聖堂参事会修道院教会(Chorherrenstift)、丘の上の方にあるのはケーンリンガー城址(Ruine Kuenringerburg)です。

船を降りるとすぐ右に行き、城壁をくぐるような形で急な狭い階段を上がって行きました。 メルク修道院といい、日頃運動不足の私、観光するには基礎体力が必要だと思いました。坂道が多いとすぐに疲れてしまいます。(^_^;; 下の写真は、石段を上がって行く途中で振り返って撮影したものです。何か絵になる感じです。

石段を上がりきると、中心街のハウプト通り(Hauptstr.)に出ます。

ここを右に曲がり、先ほど船から見えた聖堂参事会修道院教会に向かいます。 石段をちょっと降り建物をくぐります。

水色の塔がある教会に着きました。15世紀に建てられた教会です。

ここから教会の中に入ります。見学が出来るのは4月から10月までのようです。

この写真には写っていませんが、入り口付近に懺悔室(室というより縦長の箱のような形のもの)が並んでいたので、 カトリック教会だとわかります。もっともオーストリアは8割がカトリックですから、 プロテスタントの教会をさがす方が難しいかも知れません。

祭壇です。デジカメで後で見ると意外と明るく写っていました。

拡大しました。肝心の絵の部分が光ってしまいました。(^_^;;

塔のテラス側から見たドナウ川です。メルクどデュルンシュタインのどのあたりから、 メルク川からドナウ川に変わったのかは分かりません。(^_^;;

教会の外に出ました。メインストリートに出る手前の通りです。 一般の家ですが、どの家も可愛いです。

メインストリートのハウプトシュトラーセです。メルヘンチックという言葉がピッタリです。

可愛いお土産屋が色々ある中のひとつです。

丘からの景色です。

駅に向かう途中、来た道を振り返って撮りました。 両脇はぶどう畑です。日本とは栽培の仕方や種類が違うのでしょうか。 ぶどうの木の高さは日本と比べると低いです。 ・・・・とここまでは、言葉少なに写真の説明をして来ましたが、 この後パニックになる事件が・・・(^_^;;

私自身ヨーロッパの一人旅も10回位になるので、ひょっとしたら、 旅慣れた私がスマートに旅しているのを想像される方もいらっしゃるかも知れません。 でも、方向音痴ということもあり、実際は結構鈍臭いままなのです。(^_^;;今日は本当に我ながら呆れましたし、 新しい発見でもありました。

ハウプトシュトラーセから駅までは徒歩5分と標識が出ていましたので、 ここを真っ直ぐ歩いて行けば良いのねと気長に歩いていました。 ところが、どこにも駅らしきものが見当たらない・・・。 暫くウロウロして、再び駅への標識があり左側に行ってみると・・・、 ある筈の駅がない!!あるのは普通のお店らしき建物だけでした。 でも向かって右側ぐるっと廻ってみると、線路が見えました。更に左側に曲がってみると・・・線路は発見しましたが、 駅はどこ???と思いおもむろに振り向くと、「Duernstein-Oberloiben」という看板が見えました。 そこでやっと駅だと分かりました。下の写真です。恐らく表はお店で裏は駅になっている建物と思われます。 しかし、駅側の方はガランとしていました。そう、無人駅なのです。

ここからの話が長いので、長い話にうんざりする方は読まない方が良いかも知れません。(苦笑)

帰りは、Duernstein → Krems → St. Poelten Hbf. → Wien Westbahnhofという経路で帰らなければなりません。 間の二つの駅は乗換駅です。 時刻表を見ると、確かにクレムス行きは16:47と書いてあります。 普通の駅であれば、その横に「Bahnsteig○○」と書いてあるので、何番線に行けば良いのかすぐにわかりますが、 何も書かれていませんでした。クレムス行きはこっちの方角に行くというのは分かっていましたが、 それではどこから電車に乗れば良いのかと思い、駅の線路の反対側にある筈の乗り場所を探しました。 でも、線路のすぐ向こうは一般の家の庭で、私はますます混乱しました。 そして駅の端っこまで行き左に廻るとツーリストインフォメーションがあったので、そこに行き女性スタッフに聞いてみました。 すると、彼女はシンプルな地図を出し「駅はここです」とボールペンで囲みました。 私は、「駅の場所は知っています。クレムスに行く電車に乗るプラットフォームがわからないのです。」と言いました。 「何故わからないの。」という顔をされ、ため息までつかれる始末でした。

ちょうどその時、仕事か何かでそこに来たおじさんが話に入って来て、「クレムスはこっちの方向に行くんだよ。」と教えてくれましたが、 「それはわかっています。」と私。 さらに彼は続けて、「いいですか。左側のこのトンネルから電車が来て右側に走って行くんだよ。」と言いながらホールペンで書いてくれました。 私は、「わかっているんですよ。クレムス側から来る電車は右から左に来ます。その電車には駅の建物がある所から乗りますよね。 でも、反対方向から来るクレムス行きの電車には、反対側にはプラットフォームも何もないのにどうやって乗れば良いのですか。」と聞きました。 私は本当に馬鹿になったような気持になりましたが、二回乗り換えなければいけないことや、 一時間に一本しか来ない電車なので確実に乗るために、恥をしのんで聞きました。 おじさんは、要するに、上りも下りも駅側から乗るというので私は理解出来ませんでした。

歩いてもすぐの場所なのですが、おじさんが、「じゃ、車で駅まで連れて行ってあげるよ。」と親切にも乗せてくれました。 まさに私がたどって来た道です。さっきの駅に着きました。おじさんは「ここだよ。」と教えてくれましたが、 私は実際にどの場所で乗るのかを確かめたくて、「左側のトンネルから右に行く電車は、 どこから乗ったら良いのでしょうか。」と聞きました。すると、おじさんは手前の線路をまたぎもう一つ先の線路をさして、 「この線路を通って来るんだよ。」と説明しました。 それでも馬鹿な私はわからず、「どこから乗るんですか??」と聞きました。 すると、上りと下りの線路と線路の間のわずかなスペース(ただの地面)を指差して、「ここだよ。」と言いました。 私はやっと理解し、「まさにこの場所から乗れば良いのですね?」とホッとしました。 お礼を言ってさようならを言った後、ホッとしたこともあり、泣きそうな顔になっていました。 ここまでも辛抱強く、嫌な顔ひとつせず親切にしてくれたおじさんを、 一体誰が連れて来てくれたのでしょう。言うまでもないことですね。 本当にいつもオーストリアのおじさんの親切が心に染みます。

写真でわかるでしょうか。小さな田舎町の人達には当たり前のことすぎて、 インフォメーションの女性は私が理解出来ないのを呆れていました。 私の頭の中では、上りはこっち下りはあっちと、固定観念でしか考えていませんでしたので、 方向は違っても同じ所から乗り、線路の間のスペースから乗るなんて想像すらしませんでした。 私もドイツ国内は色々なマイナーな所や小さい駅も見て来ましたが、 こういうパターンは本当に初めてでしたので、電車に慣れていた筈の私でしたが、 非常に格好悪い体験をしてしまいました。 でも、私は人に道を聞いたりするのはその人を煩わせることになるので、 出来る限り自分の力で何とかしようと思ってしまう方なのです。 でも、今回のことを通して、それは控えめでも何でもなく、ひょっとしたら傲慢な姿だったのかも知れないと初めて思いました。 自分の弱さを認め、謙虚な心を持って人に頼ることも必要なのかも知れない。 神様は人を助け合うように創られ、人と交わることによって成長させて下さるのですね。

その後、外国人女性がやって来てベンチに座り、お話をする機会がありました。 話らしい話をしたのは、ザルツブルクのホテルのスタッフにクレームを言った以来でした。(^_^;; 聞いてみると、イスラエルから来た人で東京に行ったこともあるとのこと。 彼女も私と同じように船でデュルンシュタインにやって来たという。 昨日ウィーンでワーグナーの『さまよえるオランダ人』のオペラを鑑賞した話をしてくれました。 私はクリスチャンで聖歌隊やプライベートで声楽を習っていることや、 ウィーンはここ3年毎年来ていて、日曜日はシュテファンズドムでミサに出席したことなどを話しました。

その後私は、「私はいつかイスラエルに行きたいと思っています。お聞きしたいのですが、 イスラエルは危険ですか?」と聞きました。彼女は、「危ない場所はあるけど、そこに行かなければ大丈夫よ。 でもベツレヘムはわからないわね。」と言いました。 そして、「イエスが生まれたのはベツレヘムだと言う人もいるし、ナザレだと言う人もいるわ。」と言うので、 私は「もちろんベツレヘムですよ!!」と確信を持って言いました。 あ、そうだ彼女はユダヤ教なんだと思い、「じゃあ、あなたは、イエス様が私達の救い主だと信じてはいないのですね。」 と言うと、彼女は「(イエスは)物語の中に出て来るだけの人でしょう。」と微笑みました。 当然ですが、ユダヤ教の人は旧約聖書の世界の人なので、旧約で預言されている救い主を今なお追い求めているのです。 既に救い主なるイエス様がやって来られたのに・・。 私達クリスチャンは、イエス様が救い主として来て下さり、旧約の律法の下から開放されたのです。 私達は主の下で既に自由の身なのです。

暫くすると日本人の御夫婦がやって来ました。 ユダヤ人女性と話しながらも、彼らを気にして見ていました。 やはり、さっきの私のように迷っているようすです。 私は、クレムス行きの電車はあっちから来てこうなってああなって、線路の間の狭いスペースから乗ることを説明しました。 親切な紳士に教えてもらった話もしました。 すると御夫妻はやはり、「え?ここからですか?」と半信半疑なようすでした。 予定より2、3分遅れて電車が来て止まりました。本当にさっきの場所から乗れました。(^_^;; 自分の生活環境の中ではありえないことでも、別のところでは当たり前に当然のことかも知れません。 しかし、何でも経験してみることは良いことだと思っています。 電車に乗ってからも彼らとずっと日本語で話していました。 今日まであまり会話らしい会話をしていなかったので、もう何語でも誰かと話すのは嬉しいです。(^_^)

私はその後クレムスからザンクトペルテンに行き、そこからウィーンに向かいました。 イスラエルの人と日本人の御夫婦はクレムスで降りて行きました。 ウィーンに到着したのは19:30でした。もうレストランに入る元気もなく、 お馴染みのAnkerでサンドウィッチを「mitnehmen(テイクアウトで)」と言って買おうとすると、 店員から、「Alles mitnehmen」と言われました。この時間は閉店間近だから全部テイクアウトなのかも知れません。 ホテルに戻り今日は早めに寝ることにしました。ヒヤヒヤもありましたが楽しい素敵な一日でした。

2000/4-2002/11までの日記は、諸事情により、当面非公開とさせていただきます。