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heidi's Diary(Eisenach/Frankfurt)

同日の日記は下から上に書いています


[Sun. 10/11/2009]

*EisenachからFrankfurtへ

アイゼナッハで座れる席が見つかり雲行きも又怪しくなり始めたので、 フルダはパスしフランクフルトに帰ることにしました。1時間45分かかります。 遅れることも想定して、変更に対応出来るようにトーマスクック時刻表を破って持っていたので安心です。 でも一つだけ気になっていたのは、到着時刻の横にアルファベット小文字のfが付いていたことでした。 残念ながらその意味の説明のあるページまで持って来ませんでした。 小さなfの文字の意味ですが、その後大きな問題に・・・。(^_^;;

フランクフルト南駅(その駅の存在は初めて知りました)を通り、あと10分もすれば中央駅に着くはずでしたが、 何と中央駅を通過し空港まで行ってしまいました。どうりで大きなスーツケースの人達が大勢いたわけだ・・。 エスカレーターを上に上に行ったものの、どうやって中央駅方面に戻れるのか見当が付きません。 同じ路線だと長距離で知らない所行きばかりで、若干恥ずかしかったのですが、 駅の人に「中央駅に行きたいのですが、Sバーンはどこで乗れるのですか。」と聞きました。 すると、一番奥までまっすぐ行って1番線だという。

延々と一番奥までまっすぐに行き、何のことはない、行ってみるとS8かS9に乗れば良いだけでした。 でも、一人だと些細なことでも心細く感じるものです。電車はなかなか来ませんでしたが、 乗ってしまえば11、2分でフランクフルト中央駅に着きました。 ホッとして、駅でプレッツェル他のパンとコーラを買いホテルに戻りました。 日本で言うと、新幹線で東京から大阪まで行って礼拝を守り、 そこで2時間過ごし、又新幹線で名古屋に行きそこで2時間観光をし、 東京に戻るようなものです。普段の日曜日は地元にしかいないので、今日は非常にアクティブな一日となりました。

fってFlughafen(空港)の意味だったのかな・・。(^_^;; さあ、明日はスペインのマラガに出発です。モーちゃん夫妻にコペンハーゲンではなくマラガで会えるとは!とても楽しみです。(^_^)

*Eisenach(2)

ここからは今回の旅行日記です。

エアフルトからICEで30分も乗るとバッハの生誕地アイゼナッハに着きます。 ヨーロッパの天気は目まぐるしく変わるので、傘は常に持ち歩いています。 エアフルトが寒かったこともあり、せめて雨が降らないように又暖かく過ごせるようにと移動中のICEの中でも祈っていました。 アイゼナッハに着くと残念ながら傘が必要になっていましたが、すべては御手の中にあることなので感謝して、 再び来れたことを喜びつつバッハハウスに向かっていました。

バーンホーフ通りをまっすぐに行き、ニコライ塔をくぐるとカールス広場に出ます。 雨は降っていましたが、不思議と温かく寒い思いをしませんでした。

難しくない場所にも関わらず、方向音痴の私はうっかり道を間違えて変なところに行ってしまいました。 適当に歩いていたら、何か見たことがあるような気がする場所に出ました。 更に数十メートル歩くと、何と私が前回泊まったホテルの所に出たではありませんか。 私はこのホテルが結構気に入りましたが、名前と場所を正確には覚えていませんでした。 そう!グロッケンホフだったのです。迷子になったのも感謝なことで、 又来たいと思っていたホテルを発見することが出来嬉しくなりました。 ここに出たということは、このまま右の通りを行くとバッハの家に行くはずです。

バッハの像です。

バッハ像の左側にバッハハウスがあります。いつの間にか右側に新館が出来ていてバッハハウスと繋がっていました。 入口は新館の方からになります。

新館には新しく展示されているものも増えていました。 私が再び来たいと思ったのは、 ここに展示されているバッハの時代の古楽器による演奏を聴きたかったからです。 案内の男性が説明し演奏するというスタイルは一緒でした。 今回、お年寄りの団体一行と一緒になり、早口のドイツ語による説明だったので殆どわかりませんでした。(^_^;; でも、音楽に国境はありません。本当に時間を忘れて素晴らしい演奏を堪能しました。

ICEの時間もある為、もう行かないと・・・と思い外に出てみると、すっかり晴れて日が差していました。

バッハ像の反対側はこんな感じで、広場になっています。 写真には写っていませんが、右側には観光バスが何台も並んでいました。

バッハ像の右側のルター通りを道なりに行くと・・・

シックなルターの家があります。バッハハウスから5分もかからないご近所です。

後ろに見える高い塔はゲオルク教会です。

振り返ってもう一度ルターハウスを撮りました。 ルターは学生時代ここに住んでいました。

これはゲオルク教会前の広場です。

ここは、1521年にルターが説教をし1685年にバッハが洗礼を受けたゲオルク教会です。 内部は写真撮影禁止で残念に思いましたが・・・。

そうとは気づかずに、8年前に(下の)写真を撮っていたようで(^_^;;、 スキャンしてみました。両側の席が4階席まであります。

ゆっくりしすぎたので、時間通りに駅に戻れるかちょっと心配になりました。 でも守りの中にあり、10分前には着き充分に間に合うことが出来ました。 感謝。

*Eisenach(1)

アイゼナッハは8年ぶりでやって来ました。今回は時間的に難しかったのでヴァルトブルク城には行きませんでしたが、当時の日記をアップします。

4/30/2001 *Eisenach

当初の予定では、コペンハーゲンからベルリンに飛んで、そこからドレスデンとライプツィッヒに行くつもりでしたが、 色々な事情で予定を変更し、ベルリンとドレスデンは止めました。 ライプツィッヒには行きたかったので、たまたまフランクフルトとの中間にあるアイゼナッハに滞在することにしましたが、 来て見ると、この小さい田舎の町が結構気に入りました。

この町は、バッハの生誕地であり、マルチンルターの町でもあります。 私達にも関係あることですが、ヴァルトブルク城の中には、 ルターが新約聖書をラテン語からドイツ語に翻訳する為に、 使ったルターの部屋が残っています。彼はここに10ヵ月滞在しています。 改革者は迫害されるものですが、彼は地位も何もかも奪われて色々な苦労をしたのです。 何か胸につまる思いがしました。 滞在しているホテルは、グロッケンホフと言って、駅から10分くらいのところです。 駅の傍のホテルが取れなかったのも、結局は感謝だなと思いました。 町を観光するには、ここのホテルのロケーションはバッチリです。 バッハの家やマルチンルターの家、又、 バッハが洗礼を受けたゲオルク教会にも歩いてすぐに行くことが出来ます。

今日は午前中一杯ヴァルトブルク城あたりで過ごしました。 先週までのパッとしない寒い天気とは打って変わって、素晴らしいお天気に恵まれました。 やっと半袖の出番です。(^_^) 素晴らしい新緑の季節がやって来たという感じです。 私がゴールデンウィークにヨーロッパに来るのは、観光客がまだ多くないこともありますが、 この時期が一番美しいからです。(冬は日照時間が短く、グレー一色で寒く、景色が全く違います。) ホテルからヴァトブルク城まではゆっくり歩いて30分くらいです。 朝早く起きて、小さな町を散策しながら、ヴァルトブルク城に向かって、ゆったりした坂道を歩いていました。 小鳥のさえずり(日本では聴かない音階で鳴く小鳥)をきき、お祈りをしながら歩いていました。 ヴァルトブルクの城内ツアーは、地球の歩き方によると、英語のガイドがあったはずなのに、 観光がピーク前のせいか、ドイツ語オンリーで、ドイツ人のおじいちゃんおばあちゃん達のグループに入りました。 ドイツ語は殆ど理解出来なかったのですが、楽しむことが出来ました。

当時は写真ではなく文字だけの説明でしたので、上手く伝わらなかったかも知れませんが、 日記に出てきたヴァルトブルク城はアイゼナッハの見どころなので、当時の写真をスキャンしてみました。

ヴァルトブルク城は高い丘の上に建っているので、ちょっと体力がいります。(8年後の今はもっと大変かも・・・。(^_^;;) ここはヴァルトブルク城に上がって行く入口付近です。以前はゴールデンウィークに旅行をしていましたので、今回10月に行ってみて、 やはり一番美しい季節なんだなぁと改めて思いました。

これがヴァルトヴルク城です。フュッセンのノイシュヴァンシュタイン城やオーストリアのお城などと比較すると、 華やかさはなく渋い趣きです。

下は歌合戦の大広間Saengersaalで、『タンホイザー』の歌合戦の様子を描いたフレスコ画が描かれていることもあり、 部屋に入るとヴァーグナーのタンホイザー入場行進曲が流れます。ここではコンサートも開かれるようです。

うって変わって質素なマルチン・ルターの部屋Lutherstubeです。この狭いシンプルな部屋で、 1521年5月から3月まで、10ヶ月間ラテン語の聖書をドイツ語に翻訳していました。