これまでの「今日のコラム」(2009年 7月分)

7月1日(水)  <東急・東横線に乗って横浜まで・・・>
東急・東横線に乗って横浜までを往復した。東京の渋谷と神奈川の横浜を結ぶこの路線は東急の創始者五島慶太が鉄道と沿線の住宅、学校などを総合的に開発したことで知られるが、私はこの路線の歴史を示す"奇妙な”駅名が好きだ。例えば、「学芸大学駅」。駅名の由来となった東京学芸大学は1964年(実に45年前だ!)に小金井市に移転し現在は付属高校は駅の最寄りにあるが大学はない。学芸大学の隣が「都立大学駅」。こちらも1991年に大学が八王子に移転し、その後、大学の名前も首都大学東京となった。やはり付属高校は駅の最寄りにあるが「都立大学」はもはやどこにも存在しない名前である。「自由が丘駅」の「自由が丘」はおしゃれで洗練された町並みと共に全国的にも知られる街の名前となっているが、名前の由来はやはり学校である。1927年(昭和2年)に自由教育を標榜した教育家手塚岸衛がこの地に「自由が丘学園」を創設した。その前に竹やぶだらけと言われたこの近辺の土地に東横線が開通し駅があった1930年に駅名が学園に因んで「自由が丘駅」とされた。その後、駅名から駅の周りの地名が自由が丘に変わっていったという。・・駅名に歴史あり。現在の実態と関係のない名前もまたいいものである。

7月2日(木)  <「今日の表紙」に「四角形花器」(陶芸)・・・>
「今日の表紙」に「四角形花器・組立変更分」(陶芸)を掲載した。これは残念ながら「今日の作品」ではなく、昨年11月に制作した組立自在の花器を今回「スプリング」を使用して組立変更したものである(制作時の作品2008-11-3,4,5=ここ)。スプリングは6月30日のコラム(=ここ)で書いたようにインターネットで注文して手に入れた「平行線ばね(シリコンクロム鋼線)」という特殊ばね。掲載した写真では鮮やかな黄色に写っているが実際には地味な黄色であり私はとても気に入っている。余談ながらこのスプリングは負荷できる荷重の大小を色で区分しており黄色は「軽少荷重用」。重荷重用ならば緑色になる。このところ「今日の作品」が改訂できないのでスプリング組立品を作品として表紙を改訂したのであるが、それにしても”今日の成果”が見えないのが陶芸だ。6月はそれなりに陶芸教室に通って制作はしていたが陶芸作品のアウトプットがゼロのままに過ぎ去ってしまった。7月には陶芸の新作をどれほど掲載できるだろうか・・。


7月3日(金)  <日本一高い超高層ビル・・・>
日本一高い超高層ビルの日本一高い展望台にいった。横浜ランドマークタワーの69階にある展望フロアに行ったのである。69階まで上る時に、これも日本最速のエレベーター(できた当初は世界最速)で最大分速750mを経験したが確かに早い。展望台からの眺望は曇り空で今ひとつ。富士山も東京タワーも見えなかったが、それでも地上272mからみる360度の景観を堪能した。このランドマークタワーは三菱重工業横浜造船所のドック(船渠)跡地に建設されたことは知られている。私はランドマークタワーもさることながら、その横に設置されている「ドックヤードガーデン」が好きだ。ここは日本最古の石造りのドックヤードである第2号ドック(明治29年竣工)がそのまま保存されている場所で、イベントスペースとして利用することもできる(有料、30万円)。このドックヤードガーデンは国の重要文化財の指定も受けた歴史遺産であり、今日見ると「近代化産業遺産」の銘板があった。いまや超高層ビルはいくらでも見られるが石造りの階段が見事な造船ドックは他で見ることができない。「今日の写真」はこのドックヤードガーデン。正面がランドマークタワーの下層階である。
2009-07-03@ドックヤードガーデン

7月4日(土)  <今日、7月4日はアメリカの独立記念日・・・>
今日、7月4日はアメリカの独立記念日である。Forth of Julyは1776年にアメリカ独立宣言が公布された記念日。いまや超大国アメリカであるが、かつては「独立」するために苦難の道を歩んだ歴史を振り返るにもいい機会である。独立前はアメリカの東部はイギリスの植民地であり植民地の人々はイギリス本国からの課税に苦しんでいるところに新たな植民地課税が加わり、植民地独立の機運が高まってくる。独立戦争のきっかけは13に分割された植民地の人民が起こした反乱やゲリラ戦。イギリスの正規軍と対抗するためにばらばらの民兵をアメリカ大陸軍としてまとめジョージ・ワシントンが総司令官となったのが1775年。ワシントンがニューヨークで独立宣言を兵士たちに読み聞かせたのは独立戦争の真っ直中で、その後ワシントン率いる軍はロングアイランドの戦い(=ブルックリンの戦い)でイギリス軍に大敗する。独立戦争はやがてアメリカの独立を支援すべくフランスが参戦、戦場も南部へ拡大する。結局、イギリスが休戦条約(パリ条約)を批准したのが1783年。これによりニューヨークを占拠していたイギリス軍は撤退、数万名の死者を出した独立戦争は終結した。統一国家としてアメリカ合衆国憲法が制定されたのが1787年。1789年新憲法に従って初代大統領に選ばれたのがワシントンである。独立宣言から実に13年を経て初めての大統領が誕生したのがまた興味深い。

7月5日(日)  <竹の生命力は神秘的・・・>
竹の生命力は神秘的である。我が家の入り口に狭い共同庭があり、そこに30本ほどの竹が生えている。竹の増え方は恐ろしく、油断するとあっという間に倍以上に増える(元来は半数ほどの竹だった)。特に梅雨時の竹の生長の早さは驚異的だ。以前は、あっ!タケノコだなんて喜んでいたが、3〜4日で3m以上の立派な竹に成長する。それも一本や二本でなく至る所で元気のよい竹がどんどん成長を続ける。人の空間を確保するには四苦八苦して後で竹を始末する以外ない。インターネットで調べてみると伸び盛り(ピーク時)のタケノコの一日、24時間の伸長量は真竹で121cm、孟宗竹で119cmというデータがあった。一日1m以上成長するのは珍しくないようだ。自然の植物がどうしてこれほどの生長ができるのか、そのメカニズムに興味があるがここでは触れない。ただ、”竹も自然の一つ、自然を大切にしましょう”などといっていると人間が手に負えないほどの力を竹は持っていることだけは確かだ。最近は朝方に昨日には見なかった30cmほどのタケノコがでているとみな抜き取っている。人間も必死で戦わなければ竹に負けてしまう・・。
「今日の表紙」に 「四角形花器・組立変更分2」(陶芸)を掲載した。前回の組み換えである。


7月6日(月)  <七月六日はサラダ記念日・・・>
「七月六日はサラダ記念日」。今日は「サラダ記念日」のことをコラムに書こうと思っていたが、待てよ、以前のこの日に何か書いた覚えがあると調べてみると6年前、2003年のコラムにサラダ記念日を取り上げていた(=ここ)。まあいいや、記念日だから書き続けよう・・。1987年に出版されて、280万部の大ベストセラーとなった俵万智の歌集「サラダ記念日」が「”この味が いいね”と君が 言ったから 七月六日は サラダ記念日」の詩からタイトルが付けられていることは言うまでもない。それにしてもこの歌集の短歌が全て新鮮で衝撃的だった。俵万智の歌について「誰にも真似のできないが誰でもが真似したくなる歌」と評した人がいたが今読んでも切れ味は鋭く、自分も短歌を創ってみたくなる魔力がある。「サラダ記念日」の出版当時25歳だった俵万智さんは今は46歳になる。相変わらずご活躍だが経歴をみると2003年に「未婚のまま男児出産」とあった。今年の5月にはベストマザー賞を受賞して母親としてもがんばっているようだ。ベストマザーの俵万智さんがわが子を詠んだ歌:「バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ 生まれてバンザイ」。

7月7日(火)  <温かい余熱が何より心地よい・・・>
温かい余熱が何より心地よいのが陶芸の窯出しの時である。薪を使って焼成する穴釜や登り窯では勿論であるが、電気窯から出すときも同じように余熱を楽しむことができる。今日、陶芸教室に行くと丁度次々に焼成された作品が窯から出されていた。窯から出すのは温度が90度以下になってからであるので直後には素手ではさわれないが外気に触れると直ぐに温度は下がる。窯の中で約1230度の温度で焼き固められた作品が初めて姿を現して人は温かい作品に触れる。その瞬間に作者は”できた”ことを実感する。「今日の表紙」に掲載した「モカウェア1」(陶芸)は今日出来上がった作品である。このドンブリに関しては出来映えはほぼ予想通り。粘土は黒泥土。部分的に白化粧をしてモカの処理(=たばこ液を垂らして樹脂状の模様を描く手法)を施工。その部分を蝋で抜いて全体に天目釉をかけたものだ。モカの樹脂模様の詳細は別の写真を陶芸コーナーに掲載した(モカウェアについては6月4日のコラムに書いた=ここ=今日の作品はこれが完成したもの)。このドンブリ、ペアで二つ制作したら妻が”どうして二つしかないの”とまた言われてしまった。


7月8日(水)  <ラクイア・サミットが8日に開幕・・・>
ラクイア・サミットが8日に開幕した。政治的な内容よりもイタリア政府の会場の決め方に感心する。日本ではまず考えられない発想がある。ラクイアはイタリア中部の古い州都でこの地方は丁度3ヶ月前、4月6日に地震によって大きな被害を受けた。イタリアでのサミット(主要国首脳会議)は当初地中海の保養地(マッダレーナ)で開始されることになっていたが”国際的な被災地支援を狙って”急遽地震の被災地であるラクイアに変更されたのである。ラクイア地震では200人以上の死者がでた。この被災地に世界の首脳を招く・・。一昨日にはラクイアで小規模な余震が立て続けに起こり、イタリア政府は非常時の避難計画を練り直したというから「万一の余震」は冗談ではない。ここまでくると必要以上の心配をしてビクビクすることのないイタリア式の楽観主義が見事と思えてくる。世界の首脳は「万一」飛行機が墜落したらなどと心配していたら務まらないのは確かだ。
7月9日(木)  <梅雨の合間に久しぶりのテニス・・・>
梅雨の合間に久しぶりのテニスを楽しんだ。先週の木曜、土曜は雨でできなかった。10日以上テニスをしないと気分まで停滞してしまうのが自分でもよく分かるのが恐ろしいほどである。身体を動かす代わりに脳を使えばよさそうであるが、私の場合そう上手くはいかない。今日のテニス仲間にウィンブルトンで試合を観戦してきた人がいてしばしウィンブルトンが話題になった。ウィンブルトンの選手を見ていると世界のトッププレーヤーはとにかく筋力、腕力、体力がずば抜けている。日本人がこの中でプレーするには極めて大きなハンデイを負う。当然、反応力、瞬発力、知力なども優れているが身長や筋力が鍛錬以前に恵まれた選手ばかりだ。そんな話の中で選手に親しい人が気質も日本人と異なるという人がいた。農耕民族的なおとなしい選手ではなく狩猟民族の典型のような選手が多いと言うわけだ。自ら積極的に動かなければ得点という獲物をとることができないのは確かだ。私にしてもテニスの試合中にはボールと相手のことしか目に入らない。雑念は忘れて”獲物”だけを考える。勝ち負けは別にして試合の後に精神がすっとして心地よい疲労感だけが残る。動き廻って頭を空っぽにすると、その後のものつくりにもいいアイデイァが浮かぶ・・。
7月10日(金)  <不思議な符合・・・>
不思議な符合に気がついた。今日、陶芸教室で待ちに待った「バベルの塔」の素焼きが出来上がったので早速調整したり(特別に微調整する事項がある)釉薬をかけたり、仕上げにかかったのであるが、これまでの経緯をみてギョッとしたのである。「バベルの塔」を陶芸で制作することは今年の2月に思いついた。当時、毎日息子が入院中の病院に何時間もつめていたが2月24日のコラムで「バベルの塔」を陶芸で制作することを思いついたことを書いている。そして翌日、24日のコラムにはバベルの塔のスケッチを掲載した(=ここ)。この時点では息子の病院へ通っていたことは一言も触れていないが、実はバベルの塔のスケッチは病室で描いたし陶芸用のバベルの塔の設計図は詳細までやはり病室で作成した。そして4月の初めに息子が死去。あわただしい時間が経過した後、はじめて陶芸教室に顔をだして制作を開始したのが4月24日。この日のコラムには「バベルの塔」を制作開始したことを書いている(=ここ)。バベルの塔は私にとって息子への弔いの思いがある。今日も素焼きまで完成した「バベルの塔」を加工しながら自然と息子のことが思い出されてやりきれなかった。弔い合戦はまだ続く。完成披露は7月24日になるだろうか・・。
7月11日(土)  <パートナーのミスには目をつぶる・・・>
パートナーのミスには目をつぶる、そして良いところを認めるのがチームとしてよい結果を得る秘訣でないかと改めて思う。わたしの場合、単純にテニスのダブルスゲームでの経験則だ。ダブルスではお互いに力が発揮できるかどうががパートナーとの相性で微妙に左右される。それはパートナーのつぶやきとか態度などちょっとしたことで心理的に影響されるのである。大方はパートナーがミスをしたときに鷹揚に許す意思表示をする、そしていいプレーの時には褒める、感謝する、それだけで関係はよくなる。こんなことを今更書くのは、先週閉幕したテニスのウィンブルトン選手権の試合をテレビでみていると、ダブルスの試合で一ポイント毎にパートナーと見つめ合ったり、手を合わせたり、言葉を交わしたりしている姿を見たからである。世界のトッププロがパートナーとそれほどべたべたしなくても良さそうであるがダブルスの試合とはそんなものらしい。「過ちは繰り返しません」などとは決して云えないのが、この種のスポーツの特徴で同じミスを何度も繰り返す。それでもミスを非難されない方が次のスーパーショットに結びつく確率が高い。そしてパートナーと同じだけ自分がミスをしていても、それは見えないのだ。何よりパートナーとは助け合いながら一緒に相手と戦う味方であって非難し合う間柄でない。・・当たり前ではあるが、夫婦、親子、家族のパートナー同士でも同じことが云えそうである。
「今日の表紙」には「サポート具(陶芸)」を掲載した。以前制作した「七つの正方形」(=ここ=2008-10月作品)を陶芸展(9月予定)に出展する際に使用する「サポート」を単独で制作したもの。


7月12日(日)  <女ほど世にも尊き・・・>
「女ほど 世にも尊き ものはなし 釈迦も孔子も ひょこひょこと産む」。恐らくは江戸時代の狂歌か、男にしては仰せの通りで脱帽である。釈迦や孔子に限らずキリストもモハメッドもどんな天才でも母親の胎内で何ヶ月も育まれた後にこの世に生まれ出た。イエス・キリストの母マリアが神のお告げで孕んだとされて父親ヨセフが何かつけたしのように見えるのが象徴的で偉人の父親は母親と比べると大抵かすんでいる。しかし古来女性は子供を産むこととは関係なく男性に勝る力を発揮した例は多い。天照大神、卑弥呼、北条政子をとるか小野小町、紫式部、清少納言をあげるかは好みにもよるが、自身で歴史、文化を築いた女性は数知れない。こうなると女性は男性と同等の能力プラス産む能力を備えた存在になる。やはり狂歌の前段「女ほど世にも尊きものはなし」と思っていれば間違いはなさそうである。

7月13日(月)  <お寺で新盆の行事・・・>
お寺で新盆の行事があった。人が亡くなって最初に迎えるお盆を初盆、あるいは新盆として特別の意味を持たせる。息子が4月に亡くなって初めてのお盆になるので本堂での共同供養に参加すると今回新盆を迎える名(戒名か俗名)が次々と読み上げられた。その数が数十を下らないので少々驚いた。一つのお寺でさえもこれほどの仏様がいらっしゃる。お盆の行事というのは地域やお寺の宗派、流儀で非常に多様である。「新盆」にしても「にいぼん」「あらぼん」「しんぼん」と呼び方が異なる。お盆の時期も旧暦の7月15日、新暦の7月15日、新暦の8月15日(旧盆)など様々。お盆には故人の精霊が家に帰ってくるので目印に提灯を飾る。新盆の場合は白い提灯だ。あの世とこの世を往復する乗り物としてキュウリで馬をつくり、ナスで牛をつくる。お迎え用は足の速い馬、お帰りは牛だ。その他、迎え火、送り火、盆踊りなどお盆には都会では普段無縁な風習が広がる。・・我が家では、これまでお盆とは全く無縁だったが、今年は白い提灯をつけて「おがら(麻幹/苧殻=皮をはいだ麻の茎)」で迎え火を焚いた、それにホオズキ(=鬼灯とも書く!)の提灯も付いてます、馬も牛もいますよ・・。
2009-07-13@浄真寺・東京

7月14日(火)  <陶芸でスーパー楕円皿・・・>
陶芸でスーパー楕円皿が出来上がった。「今日の表紙」に掲載した写真が今日完成したこの皿である。思えば「スーパー楕円」は久しぶりの作品だ。このホームページで2003年の5月、7月、9月の陶芸作品としてスーパー楕円の平皿を紹介している(=ここ)。スーパー楕円とは円と正方形の中間的な形状である。円の数式は、Xの2乗+Yの2乗=Aの2乗であるのに対して、スーパー楕円は、2乗のところが2.5乗の数式となる。x座標とy座標でこの数式にしたがった点をプロットするとスーパー楕円のカーブが描ける。スーパー楕円は円よりも面積を多くとり、正方形のコーナーの無駄領域をなくした独特の形状で野球場の形や一部のテーブルの形状に使用されることがあるので、私は2003年当時に陶芸でお皿を制作すると面白いと閃いた。その時に平皿を何枚か制作して人にあげたりしたが反応が今ひとつでその後熱が冷めてしまった経緯がある。今回は以前の平皿は余り実用的ではなかったと反省して形状はスーパー楕円のまま底を若干深くした皿を作ってみた。釉薬や模様についても自分なりの新しい試みを取り入れた。お皿は所詮それ自体で魅力があるか、使いやすいかが問われる。自分の好みと他人がどう見るかは常にギャップがあってもおかしくないが、少なくとも第三者にスーパー楕円皿を見せるときには能書き特に数式を持ち出して説明をすることのないように自分に言い聞かせている・・。

 7月15日分
7月15日(水)  <骨展・・・>
骨展をみた(@東京ミッドタウン、21-21 design sight、8/30まで。サイト=ここ)。「骨」展は「生き物の骨から始まり身の回りにある仕組みや構造について考えるデザインの展覧会」とか「洗練された構造を持つ生物の骨をふまえながら工業製品の骨格<機能と形との関係>に改めて目を向ける・・」などと趣旨が説明されている。テーマが非常に興味深かったので期待して行った割には内容には余り意外性がなかった。休憩しながら何故感動が少ないかを考えると自分自身がエンジニア的なデザインの視点を持ち、いわば「骨」と類似の展示物と親しいからだと納得した。「弓引き」のからくり人形の「骨」は以前制作したし、明和電気のメカは何度も見たことがある。メカロボットも馴染みが深い・・。そして改めて骨展をみながら考えると、人間がつくる製品は下手にデザインされた服を着るよりも裸の機能そのものが美しい、骨こそが美しいと思い当たる。骨格である機能を新たに創造するのは難しく、それだけ価値があると言うべきだろう。旧約聖書の中では神がアダムが眠っているあいだにあばら骨を一本とって、これでイブをつくる。神ならぬ人間が他から持ってくることなしに骨組みを作るのが易しいわけがない・・。
骨展会場@東京ミッドタウン(六本木)ガーデン内

7月16日(木)  <バベルの塔の頭頂部品・・・>
バベルの塔の頭頂部品ができあがった。陶芸で「バベルの塔」を制作し始めたことは以前のコラムでも書いた。塔の本体は既に釉薬もかけ終わっているが焼成はこれから。頭頂部に装着する予定の小物部品が先に完成したので組立を行ってみたのが「今日の表紙」に掲載した写真である。陶芸の部品としては写真で棒状に見えるところが、3個+3個=6個の陶製の円筒でできている。その円筒にアルミのパイプを差し込んで下部の台(陶製)に取り付けて中央の「鐘」のサポートとした。「鐘」は実は風鈴である。前に”現代おりん”を購入した高岡銅器(富山県高岡市)がユニークな風鈴を扱っていることを知り手に入れたもの。この鐘(というか風鈴)をバベルの塔本体と組み合わせて如何に音を鳴らすかがこれからの考えどころだ。塔の本体は鋼球が動く仕掛け付き。これも完成してみないとどうなるか分からないが、頭頂部が出来上がるといよいよマイ・バベルの塔が現実味を帯びてきた。
  2009-07-16お盆風景

7月17日(金)  <姿を変えた神・・・>
「姿を変えた神」という曲のCDをプレゼントされた。特に息子の新盆に合わせたのではないだろうが、スウェーデンに住む私の友人(元エンジニア)が息子の死を悼んで送ってくれたのである。「Godin Disguise=姿を変えた神」は合唱やソロもついた組曲で、スウェーデンの作曲家、Lars-Eric Larsson(1908-1986)の作曲。CDはスウェーデン放送交響楽団が演奏している。作曲されたのは1940年、ヨーロッパではナチズムとの戦いの真っ最中の時期である。時代背景は暗いけれども、この曲は何と牧歌的で清浄(pure)であることか!現代曲ではなく、そうかといって200年前のクラシック音楽でもない曲にたっぷりと癒された。・・一方で曲名の「Godin Disguise」にも触発される。「姿を変えた神」とは意味深長なタイトルである。神の姿をどのように思うかは人それぞれであろうが、私のイメージでは神は決して威張らず強権も発揮しない。専ら他人のために奉仕する。ひょっとすると神の使いではないかと純な子供のことを思うこともあれば、ときに我々の周囲に本当に「姿を変えた神」のような人がいるのも確かだ。「姿を変えた神」は人間が発見するか否かにかかっている・・。
7月18日(土)  <大雪山系での登山者遭難・・・>
大雪山系での登山者遭難が昨日の大ニュースだった。トムラウシ山と美瑛岳に登山中のパーテイーが悪天候に見舞われて10人が死亡したという。遭難者はいずれも本州からのツァー客で、トムラウシ山を登山中だったパーテイーは18人のうち8人が死亡。死者はほとんどが60歳を超えた人であったと聞くととても他人事とは思えない。私の知人にもリタイアした後登山を趣味にしている人が何人もいる。深田久弥の「日本百名山」を全て踏破するとスケジュールを組んで励む(ちなみに「日本百名山」が発行されたのは1964年、45年も前だ!)。特に北海道の山は夏しか登山のチャンスがないので優先的に計画を立てると聞いたことがある。つい最近には大学時代の同級生が昨年丹沢で遭難死したことを知らされて驚いた。丹沢山地(神奈川県、標高1567m)もまた日本百名山の一つである。全く根拠がない独断で言えば、山を愛する人に悪人はいないのでないか・・。山での遭難は真に痛ましいことではあるが反面大好きな山に抱かれて最期を迎えたのが救いにも思える。

7月19日(日)  <オレンジ色の美しいホオズキ・・・>
オレンジ色の美しいホオズキはお盆提灯の役目を終えた(ホオズキ提灯の写真は7/16コラム=ここ)。私は子供頃にホオズキで遊んだことはないので、この際じっくりとホオズキを観察してみた。オレンジの袋は六角状、萼(がく)が発達したものが袋になっているようだが中の実はまだ緑色だった。果実の中には柔らかい果肉とタネがあった。タネを見つけたとたんに、まだ枝付きで新盆の提灯として飾ったホオズキが10個以上あるのでタネを集めて鉢植えしようと思いついた。問題は日照かも知れないがダメモトで「鉢植えホオズキ」に挑戦してみるつもりだ。ところでホオズキを漢字では酸漿、あるいは鬼灯と書く。いずれも難しい字であるが中国語の「小さな赤い提灯」の意であるという。英語で”Chineselantern plant"。色から見ても「中国提灯」なのだろう。・・「鬼灯(ホオズキ)や 花のさかりの 花三つ」(水原秋桜子)。「鬼灯(ホオズキ)は 実も葉も殻(から)も 紅葉かな」(芭蕉)。
2009-07-19@妻の発表会が終わった日
7月20日(月)  <図に乗るな・・・>
「図に乗るな」と叫びたくなることは多い。広辞苑によれば「図に乗る」とは「予想した通りにうまく事が運ぶ。また、調子に乗ってつけあがる。」と説明されている。冒頭の「図に乗るな」は勿論「つけあがるな」の意である。語源を調べると以下の解説が主流であった。すなわち、「図」とは僧侶が唱える声明(しょうみょう)の転調を示す図表(楽譜)のことで、「図に乗る」とは本来は「調子に乗ってうまくいく」ことであったのが、「調子に乗りすぎてつけあがる」意味に変化したものという。テレビで見る芸能人とかアナウンサー、ニュースキャスターなどにしても、確かに”なかなか調子がいいではないか”と応援したい場合と、”つけあがるな”と言いたくなることがある。その境界が人によって微妙に異なる。個人的な好みでいうと、例えば笑福亭鶴瓶が”天下の俺様のことを知らんのか”と言う態度をみせると「図に乗るな」といいたくなる。久米宏風な売れっ子アナウンサーがはしゃぎすぎるのも”調子に乗るな”である。宮崎県、東国原知事のパーフォーマンスもまた少々図に乗りすぎた。職業を限らず有名人になると”うまく事が運んでも”「図に乗らない」ことは易しいことではないようだ。他人(ひと)の振り見て・・、調子よく=うまく、事が運んでいる時にこそ自制が必要と自分に言い聞かせる・・。
7月21日(火)  <40年前の今日人類が初めて月面に・・・>
40年前の今日人類が初めて月面に降り立った。アポロ11号が月を廻る軌道から月着陸船(イーグル)を切り離し、イーグルが月面に着陸したのが1969年7月20日。アームストロング船長が月面に第一歩を記したのが21日(日本時間21日am11時56分)。アームストロングは有名な言葉を残した:That'sone small step for a man, one giant leap for mankind.その後アームストロングとオルドリンが月面で予定された活動を全て完了させて、司令船に一人留まっていたコリンズと合流して地球に戻る。太平洋上に無事帰還したのが7月24日であった。・・40年の記念ということでGoogleEerthで「月面着陸」の特集を開催している(=ここ=参照)。アポロ宇宙飛行士によるナレーション付きの月面着陸地点ツアーなどを映像を見ると、今でも緊迫感があり感動する。私は世紀の月面着陸をテレビでは見ていない。丁度インドのプラント建設現場に長期出張中でインド人から「アメリカはやった・・」と興奮して新聞を見せてもらったことを覚えている。当時私の娘は一歳足らずであったが、その娘の子供(娘)は将来宇宙飛行士になるのが夢という。月面着陸地点の動画を私と一緒に見ながら解説してくれるのも孫娘である。

7月22日(水)  <今日は皆既日食の日・・・>
今日は皆既日食の日であった。日本の陸上で皆既日食が見られるのは46年ぶりとのことでテレビの生中継も期待していたが、午前11時前に6分25秒間(今世紀最長?)の皆既日食が観測できると注目された鹿児島・悪石島をはじめ日本の観測ポイントのほとんどで天候が悪く(雨模様の曇り空)「黒い太陽」を見ることは叶わなかった。それでも皆既日食の時間には気温が下がり辺りが"暗闇”となることは体感できたようだ。一方、陸上でなく太平洋上では皆既日食を見るための大型客船が見事だった。皆既日食の該当ゾーンで、かつ晴れている場所を求めて船を移動させて観測を大成功させた。丁度この時刻に東京の道路を車で走ったら日食グラスを持って恨めしそうに曇り空を見上げている人が何人もいた。・・日食のときに私はいつも正確なデータに感心する。どの場所では何時何分何秒から何分何秒日食が続くなどと当然のごとく報じられるが全て天文学の成果である。太陽や月の観測は太古からあり、勿論大昔から人類は日食を体験している。日本で記録に残っている最古の日食は日本書紀と言われる(600年代)。この時代から暦博士が日食の計算するようになり、奈良・平安時代の前期(700-1000年)にはかなり正確な日食の予測ができた。源平合戦さなかの日食(1183年)では朝廷側の平家は暦(天文)博士を擁して事前に日食を知っていたのに対して、源氏側は何も知らずに太陽が欠けていくのに恐れおののき混乱したため平家側が勝利した記述があるそうだ(源平盛衰記)。それにしても学問や科学技術の進歩は確かにめざましいけれども、自然現象の奇跡というべき日食は人類が地球上に現れる以前から、人間の英知とは無関係に続いている・・。

7月23日(木)  <23日は文(ふみ)の日・・・>
23日は文(ふみ)の日。「フミ」の語呂合わせで毎月の23日が「ふみの日」と定められたのは1979年。「手紙の楽しさ、手紙を受け取るときのうれしさを通じて文字文化を継承する一助とする」趣旨で手紙を普及する活動はいまでも続けられている。特に7月は「文月(ふみづき、ふづき)」であるので、今日7月23日は活動のピーク。その一つが「ふみの日にちなむ郵便切手」で、今年は「百人一首の短歌とイラスト」の切手が今日発行された(切手図柄=ここ)。短歌の文字は現代の書家が書いている。「ふみの日」が制定された30年前にはe-mailがこれほど普及するとは予想もしなかっただろう。それでも直筆で書いた内容を封筒に入れて切手を選んで貼って郵送する手紙の文化はなくなりはしない。e-mailに慣れていると、たまに本人の直筆手紙を受け取るとハッとすることがある。古来、文字は人格を現すと見られる。「文月」の語源は書道の上達を願った七夕の行事に関連しているようだが、上手な文字というより本人の個性が現れた文字に接すると親しさが何倍にもなる。e-mailの交流だけでなく時に手紙のやりとりもいいなあと「ふみの日」に思う。

7月24日(金)  <メタ認知・・・>
「メタ認知」という言葉がある。「メタ認知=Metacongnition」とは「背後の、高次の、超越した」などの意がある接頭語metaとcognition(認識、認識力)を組み合わせた造語。Wikipedia(Net百科事典)によれば「認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること」と説明されている。要は「自分はなぜ怒っているのか、なぜ悲しいのか、嬉しいのか、どうしてこんな手段をとっているのか、なぜこんな事を考えるのか・・」などと「自分を他人のように客観的にみること」である。「メタ認知」は最近の脳科学では前頭葉を積極的に使うのでよいとか、子供の教育上メタ認識能力を養成するのは有効(教育上重要)とか、あるいは人工知能の研究など多くの分野で注目されている。またメタ認識で自分の考え方のクセを知って矯正することもできる。一般的に人は自分の欠点を認めたくないし自分は見えないけれども、メタ認識ができると自分の欠点をユーモアで表現したりもできる。自分の欠点を認めるほど他人に対しても優しくなる。・・それにしても研究テーマとして「メタ認知」は理解できるが、「自分を客観的に見る」ことの訓練としては「言葉」が難し過ぎる。「メタ認識」なんて言わないで、もっと分かり易い言葉で考え方を普及させられないものか・・。
この日に「バベルの塔」(陶芸)本体が焼成できることを期待したが、まだ一週間は先になりそうである。代わりに「頭頂部2」を「今日の表紙」に掲載した。


7月25日(土)  <ピロリ菌・・・>
ピロリ菌が私の胃の中に存在することが検査で分かった。ピロリ菌は強酸性の胃液の中で生息する珍しい細菌だ。ピロリ菌のだす酵素で胃液からアンモニアをつくり局所的に胃酸を中和させて胃に定着できるという。以前はほとんどの人がピロリ菌を保菌していたが最近の若い人は特に感染率が低いときいた。このピロリ菌を完全に除去すべきかは未だ議論がある段階らしい。ピロリ菌を保菌していても何一つ悪い症状が現れないケースも多い。そのような事情を反映してか、現在、除菌治療で保険が適応されるのは胃潰瘍と十二指腸潰瘍の場合のみである。胃ガン予防には除菌を"勧める”指針がある一方で、除菌は胃ガン予防にはよいが、食道癌のリスクは増えるのでないかとも言われる。善玉か悪玉か細菌の世界でも判定は難しいのか・・。菌の増殖を抑制するといわれる梅を食べながら、除菌すべきか否かを悩んでいる。

7月26日(日)  <楽茶碗・・・>
楽茶碗をみるだけでこれほどに感動できるとは思っていなかった。楽茶碗といっても400年前に作られた国宝などの名品とは違って、たまたま陶芸教室に飾ってあった仲間が制作した楽茶碗である。私が通っている陶芸教室には「楽焼き」のコースがある。私は茶道をたしなまないので参加したことはないが、完成した作品をみるのは好きだ。中でも一つ、地味でかつモダンな雰囲気を持ち、表面に不思議な模様がある茶碗に目が留まった。白ベースの色にメロンの外面のような薄い割れ模様があり、一方で釉薬が大きくひび割れた線が趣のある形を描いている。写真で紹介できないのが残念だが、とてもそのすばらしさを表現できない。茶碗を手にとって回しながら模様をみていると時間を忘れた。以前、国宝や重文の黒楽茶碗(例、長次郎作=ここ)を見たことがあるが、確かにその簡素な美は見ていて飽きない。それにしても仲間が制作した楽茶碗の不思議な美しさ・・。私には火の力と共同で自分の世界を創り出すのに成功した見事な名品に見えた。美術館に行かなくても直ぐそばで名品に会えるのは幸せだ・・。
7月27日(月)  <お台場・・・>
お台場にいった。お台場は最近開発がめざましい東京の臨海副都心。施設はレインボーブリッジ、フジテレビ、東京国際展示場(ビッグサイト)、大観覧車、船の科学館など挙げていけばきりがないが、今日、多忙な母親と別行動となった孫娘を預かって連れて行ったのは「日本科学未来館」である。台場とは幕末に開国を迫られた幕府が異国船と対抗するために設置された要塞・砲台の呼び名だった。ペリーの江戸攻撃に備えて江戸の湾岸には7つの海上砲台が建設され、この砲台は幕府に敬意を払って「お」を付けて「お台場」と呼ばれたという。現在は第三台場は場所と名前が残っているがほとんどの砲台跡は埋め立てにより埋没している。今もなお開発が続けられているお台場には最近ほとんど行ったことはなかったので、その変貌振りには驚くばかりだった。日本科学未来館にも初めて行ったが施設が贅沢である上に現場には多くの説明者がいてみな親切丁寧。どうやって運営しているのかが気になるほどだ(HP=ここ、文部科学省、経済産業省など国の関連施設であった)。お台場はいわば”灯台もと暗し”であったことに気がついた。家からそれほど遠くないところでまだまだ知らない魅力的な場所がある。
2007-07-27@日本科学未来館

7月28日(火)  <マックとウィンドウズ・・・>
マックとウィンドウズの使い分けはコンピューターユーザーにとっていつも悩ましい。私はパソコンが商品化された当初からマック一筋のMACファンであるが会社勤めの時には当然のこととしてウィンドウズを使いこなした。今日は私の最新マックにウィンドウズソフトを覚え込ませるのに悪戦苦闘した。今のマックには初めからウィンドウズのソフトを並行して使用できるように考えてある。具体的にはMAC内にBOOT-CAMPというソフトを備えていて必要に応じてWINDOWSのOSを読み込み、ある範囲内を全てウィンドウズ関連のゾーンとして使用する。私のパソコンの場合、ハードデイスクの容量が300GBあった中で60GBをウィンドウズ用に割いた。先に悪戦苦闘などと書いたが、なるだけ安価に機能を持たせるために紆余曲折を経たけれども今日の結果は大成功だった。これからはパソコンを起動させた後、マックかウィンドウズかを選択することとなった。私としては現状のMAC(24インチのI-Mac)にほとんど不満はない。けれども最近役所へのパソコンによる申告がウィンドウズに限るとか、人間ドックで入手したMRIのデイスクを見るソフトがウィンドウズ専用であるとか、知人からもらったCDの文章(一太郎の変換文)がMacでは読めないとか、ウィンドウズの力を見せつけられる件が続いた。マックは好きであるがマックだけにこだわる理由もない。世界が広がったとみればマックーウィンドウズの両用も悪くはない。

7月29日(水)  <暑中お見舞い申し上げます・・・>
暑中お見舞い申し上げます。・・暑い日が続く。強烈な太陽が照りつけていると思うと一転して雨が強く降ることもある。生物にとっては恵みの太陽であり恵みの雨である。どちらが欠けても生きていけない。暑さもまた夏らしくていいと自分に言い聞かせる。時が経てば確実に涼しくなり、また寒くなるのだ。それでも生活の知恵として暑さの中では無理をしない。流れに身を任せるように過ごすのが一番だ。成果とか作品とかアイデイァなどと言うことなく、できれば昼寝をする。体力さえあれば後は自然となるようになる。我が家の金魚もアール(コーギー犬)も元気です。・・明日から信州に小旅行のためコラム休みます・・。
 
2009-07-29

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu +  Picture + Ceramics  + Gallery +  Corgi +  Ebisu /Daikanyama  +  Special  +  Links