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PC用のサイズになっていますので、見づらい場合は一番下のはてなブログのリンク先(タイトルは同じ)をご参照下さい。

(1)オリーブ山・死海写本博物館
(2)ユダの荒野・クムラン(死海写本が発見された場所)・エンゲディ
(4)ナザレ、受胎告知教会
(5)ガリラヤ湖・イエス様の時代の舟
(6)山上の垂訓教会・パンと魚の奇跡教会・ペテロ召命教会
(7)カペナウム・ゴラン高原から臨むガリラヤ湖・ヤルデニット(洗礼場)・ガリラヤ湖の朝
(8)メギド・カルメル山
(9)カイザリア(円形劇場・競技場・十字軍時代の都市の遺跡・導水橋)
(10)エルサレム(オリーブ山・マグダラのマリア教会・主の涙の教会・ゲッセマネの園・苦悶の教会)
(11)エルサレム旧市街(西壁・マハネイェフダ市場・鶏鳴教会)
(12)エルサレム旧市街(神殿の丘・ヴィアドロローサ・ヨッパ・皮なめしシモンの家)

(3)死海・マサダ・ユダの荒野(バプテスマのヨハネの活動地)・ハロデの泉

死海

名称は、旧約聖書の中では、塩の海、東の海アラバの海として登場します。南北約75キロ、東西約18キロ(平均15キロ)、
周囲約200キロ。海抜下約390メートル、約400メートルの深さ。今日、鉱物の宝庫として知られる。
塩分の含有量は普通の海の約6倍にあたる26.4パーセントにも達する。湖水の比重は16°Cで1.2274。

死海に着いたのが夕方だったので、あまり綺麗な写真が残っていませんでした。^^;
下の最初の2枚はgettyimagesから拝借しました。

水着に着替えて死海に浮いていた仲間もいましたが、私は当時アレルギーで身体のあちこちに引っかいた跡があり、
沁みるのを恐れて断念しました。^^;

マサダ

死海の水面から約430m上がった山。ダビデの要塞か?(サムエル上22:4-5)ヨナタン・マカビーが砦を築く。
パルテヤ人の侵略でエルサレムを逃れたヘロデは、ここに家族を残しローマへ。
詳しいことは、下の中川先生の動画をご覧いただければと思います。^^;


www.youtube.com

動画が出て来ない場合は、黒画面の真ん中のYouTubeで見るか画面の下のリンクをクリックして下さい。

www.youtube.com

ロープウェイで上まで上がりました。

「マサダ」はアラム語で要塞という意味だそうです。

マサダ国立公園と書いてあります。

ユダの荒野

バプテスマのヨハネが育ち、宣教した場所。

『そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、 「悔い改めよ、天国は近づいた」。
預言者イザヤによって、 「荒野で呼ばわる者の声がする、 『主の道を備えよ、 その道筋をまっすぐにせよ』」
と言われたのは、この人のことである。 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、
いなごと野蜜とを食物としていた。(マタイ3:1-4 )』

ハロデの泉

『さてエルバアルと呼ばれるギデオンおよび彼と共にいたすべての民は朝早く起き、ハロデの泉のほとりに陣を取った。
ミデアンびとの陣は彼らの北の方にあり、モレの丘に沿って谷の中にあった。(士師記7:1)』

『そこでギデオンが民を導いて水ぎわに下ると、主は彼に言われた、
「すべて犬のなめるように舌をもって水をなめる者はそれを別にしておきなさい。またすべてひざを折り、
かがんで水を飲む者もそうしなさい」。 そして手を口にあてて水をなめた者の数は三百人であった。
残りの民はみなひざを折り、かがんで水を飲んだ。 主はギデオンに言われた、
「わたしは水をなめた三百人の者をもって、あなたがたを救い、ミデアンびとをあなたの手にわたそう。
残りの民はおのおのその家に帰らせなさい。(士師記7:5-7)』

下記リンク先はブログのページです。ブログの写真はウェブサイトより小さめになっています。

(1)オリーブ山・死海写本博物館
(2)ユダの荒野・クムラン(死海写本が発見された場所)・エンゲディ
(3)死海・マサダ・ユダの荒野(バプテスマのヨハネの活動地)・ハロデの泉
(4)ナザレ、受胎告知教会
(5)ガリラヤ湖・イエス様の時代の舟
(6)山上の垂訓教会・パンと魚の奇跡教会・ペテロ召命教会
(7)カペナウム・ゴラン高原から臨むガリラヤ湖・ヤルデニット(洗礼場)・ガリラヤ湖の朝
(8)メギド・カルメル山
(9)カイザリア(円形劇場・競技場・十字軍時代の都市の遺跡・導水橋)
(10)エルサレム(オリーブ山・マグダラのマリア教会・主の涙の教会・ゲッセマネの園・苦悶の教会)
(11)エルサレム旧市街(西壁・マハネイェフダ市場・鶏鳴教会)
(12)エルサレム旧市街(神殿の丘・ヴィアドロローサ・ヨッパ・皮なめしシモンの家)

2010年11月聖地旅行の旅程表です。