PC用のサイズになっていますので、見づらい場合は一番下のはてなブログのリンク先(タイトルは同じ)をご参照下さい。
(1)オリーブ山・死海写本博物館 (3)死海・マサダ・ユダの荒野(バプテスマのヨハネの活動地)・ハロデの泉 死海 名称は、旧約聖書の中では、塩の海、東の海アラバの海として登場します。南北約75キロ、東西約18キロ(平均15キロ)、
死海に着いたのが夕方だったので、あまり綺麗な写真が残っていませんでした。^^;
水着に着替えて死海に浮いていた仲間もいましたが、私は当時アレルギーで身体のあちこちに引っかいた跡があり、
マサダ 死海の水面から約430m上がった山。ダビデの要塞か?(サムエル上22:4-5)ヨナタン・マカビーが砦を築く。
動画が出て来ない場合は、黒画面の真ん中のYouTubeで見るか画面の下のリンクをクリックして下さい。
ロープウェイで上まで上がりました。 「マサダ」はアラム語で要塞という意味だそうです。 マサダ国立公園と書いてあります。 ユダの荒野 バプテスマのヨハネが育ち、宣教した場所。 『そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、 「悔い改めよ、天国は近づいた」。預言者イザヤによって、 「荒野で呼ばわる者の声がする、 『主の道を備えよ、 その道筋をまっすぐにせよ』」 と言われたのは、この人のことである。 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、 いなごと野蜜とを食物としていた。(マタイ3:1-4 )』 ハロデの泉 『さてエルバアルと呼ばれるギデオンおよび彼と共にいたすべての民は朝早く起き、ハロデの泉のほとりに陣を取った。ミデアンびとの陣は彼らの北の方にあり、モレの丘に沿って谷の中にあった。(士師記7:1)』
『そこでギデオンが民を導いて水ぎわに下ると、主は彼に言われた、
下記リンク先はブログのページです。ブログの写真はウェブサイトより小さめになっています。
(1)オリーブ山・死海写本博物館 2010年11月聖地旅行の旅程表です。
|