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PC用のサイズになっていますので、見づらい場合は一番下のはてなブログのリンク先(タイトルは同じ)をご参照下さい。

(1)オリーブ山・死海写本博物館
(2)ユダの荒野・クムラン(死海写本が発見された場所)・エンゲディ
(3)死海・マサダ・ユダの荒野(バプテスマのヨハネの活動地)・ハロデの泉
(5)ガリラヤ湖・イエス様の時代の舟
(6)山上の垂訓教会・パンと魚の奇跡教会・ペテロ召命教会
(7)カペナウム・ゴラン高原から臨むガリラヤ湖・ヤルデニット(洗礼場)・ガリラヤ湖の朝
(8)メギド・カルメル山
(9)カイザリア(円形劇場・競技場・十字軍時代の都市の遺跡・導水橋)
(10)エルサレム(オリーブ山・マグダラのマリア教会・主の涙の教会・ゲッセマネの園・苦悶の教会)
(11)エルサレム旧市街(西壁・マハネイェフダ市場・鶏鳴教会)
(12)エルサレム旧市街(神殿の丘・ヴィアドロローサ・ヨッパ・皮なめしシモンの家)

(4)ナザレ、受胎告知教会

ナザレ

ナザレは私は受胎告知教会のみの訪問でしたので、それ以外の詳しい情報は中川先生の聖地旅行の動画をご覧いただければと思います。
特に2000年前のナザレの生活を再現した所はとても興味深く必見です!
なお、解説はハーベストタイム聖地旅行のハンドブックを参照しました。

ヨセフとマリアの故郷(ルカ1:26〜28、2:4,39)であるナザレは、カナン時代からあった町であるが、旧約聖書には出てこない。
イエスの時代、人口は120〜150人程度と思われる。評価の低い町(ヨハネ1:45-46)。

ローマ、ビザンチン時代、多くのメシアニック・ジューが住むユダヤ人の町。十字軍時代に、多くの教会が建った。
18、9世紀になって、ナザレは西洋の聖書学者たちによって脚光を浴びる。今日、イスラエル最大のアラブ人の市。
人口はイスラム教徒、アラブ人クリスチャン合計で6万人強。


www.youtube.com


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私たちはバスを降りて町の中を歩いて受胎告知教会に行きました。47人も参加者がいたので、とても長い列になったと思いますが、
親しくなった女性と私は先頭の中川先生にピッタリくっ付いて歩いていました。

赤いのはザクロかな??

教会の中に入りました。とても広く、ちょっと暗かったです。

礼拝が行われていました。

教会の下の方に位置しているgrottoです。ほら穴?辞書を引いたら、(祈祷用に作った)岩屋となっていました。
マリアが受胎告知を受けた場所と言われています。

二階には世界各国から贈られた母子像などの絵画が飾られていますが、
これは、長谷川ルカ(路可)画伯の「華の聖母子」というモザイク画です。

教会の外(裏側)に出た所で写真を撮りました。

下記リンク先はブログのページです。ブログの写真はウェブサイトより小さめになっています。

(1)オリーブ山・死海写本博物館
(2)ユダの荒野・クムラン(死海写本が発見された場所)・エンゲディ
(3)死海・マサダ・ユダの荒野(バプテスマのヨハネの活動地)・ハロデの泉
(4)ナザレ、受胎告知教会
(5)ガリラヤ湖・イエス様の時代の舟
(6)山上の垂訓教会・パンと魚の奇跡教会・ペテロ召命教会
(7)カペナウム・ゴラン高原から臨むガリラヤ湖・ヤルデニット(洗礼場)・ガリラヤ湖の朝
(8)メギド・カルメル山
(9)カイザリア(円形劇場・競技場・十字軍時代の都市の遺跡・導水橋)
(10)エルサレム(オリーブ山・マグダラのマリア教会・主の涙の教会・ゲッセマネの園・苦悶の教会)
(11)エルサレム旧市街(西壁・マハネイェフダ市場・鶏鳴教会)
(12)エルサレム旧市街(神殿の丘・ヴィアドロローサ・ヨッパ・皮なめしシモンの家)

2010年11月聖地旅行の旅程表です。